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“映画”から“一つの事態”へ 寄せられた論点と作品の先進性から、実写版『ムーラン』の価値を探る

リアルサウンド

20/10/20(火) 10:00

 『美女と野獣』(2017年)や『ライオン・キング』(2019年)、『アラジン』(2019年)など、ディズニーのアニメーション映画を実写化するシリーズが、近年好評を得ている。そのなかで、最近最も物議を醸した作品といえば、『ムーラン』だろう。

 本作を観ることができるのは、現状では一部地域を除き、ディズニー動画配信サービス「Disney+(ディズニープラス)」などで追加料金を払うサービスのみ。コロナ禍の影響から、ディズニーは社として映画館で公開するよりも配信で公開することでのメリットが大きいと判断したのだろう。この選択については様々な反応があったが、とくに『ムーラン』を公開するために宣伝に協力していた世界の映画館が、コロナ禍のなかでなんとか活路を見出そうとしていた矢先に、この大作がスルーされたダメージには切実なものがあった。

 それだけでなく、本作は様々な理由で批判を浴びた経緯があり、われわれはそれらの問題を耳にすることで、素直に作品を鑑賞することが難しくなっているのも確かだ。ここでは、そんな『ムーラン』に寄せられた論点をすくい取り整理しつつ、内容についての価値を同時に語っていきたい。

 本作の基となっているアニメ版『ムーラン』(1998年)は、中国を舞台にしたこと、伝承を下敷きに、男性だと偽り戦へと赴く女性が主人公であること、ジェンダーについての問題が中心に描かれるなど、ディズニー作品のなかでも飛び抜けて先進的な題材や要素を扱っていた作品だった。だから公開当時よりも、このようなジェンダー問題を扱った作品が増えてきた現在の方が、内容が広く理解されやすいのではないだろうか。それだけに、いまふたたび『ムーラン』が実写版として公開されることは、時流に乗っているといえよう。

 そして実写版『ムーラン』は、アニメ版とは異なる特徴を持った作品だ。なかでもインパクトがあるのは、ミュージカルの要素をカットしたり、エディー・マーフィーが声優を務めた陽気なドラゴンのキャラクター“ムーシュー”の存在を消し去るなど、アニメーションならではのポップな要素を排除してリアリティを高めた点にあるだろう。これは、アニメ版の名シーンの“再現”を目指した『アラジン』などのアプローチとは明らかに異なる。

 その意味で、アニメ版のファンから一部不満が出たことは確かだが、ムーランを演じた主演俳優リウ・イーフェイはじめ、コン・リー、ドニー・イェン、ジェット・リーなど、中国、香港のスター俳優が集結し、それぞれにアクションを披露したり、実際に平原を騎馬隊が走るシーンが見られたりなど、本作の戦闘シーンやスペクタルシーンの説得力ある映像を観ると、あくまで実写映画として独立した魅力を持つことが一貫したコンセプトなのだということが伝わってくる。その意味で本作は、新しい表現に挑戦した意欲作なのだ。残念なのは、これらの迫力ある場面を映画館の設備で体感できないという点である。

 また、実写版『アラジン』で、王女ジャスミンの役割が大きなものになっていたように、本作でも設定に現代的な改変が加えられた部分がある。代表的なところでは、ムーランに恋愛感情を持つキャラクターが、軍の上官から同僚に変更されていることが挙げられる。これは、同じ組織の中で上下の立場にある者同士が恋愛するという状況に、アンフェアな印象が与えられる場合があるからだろう。もちろん、そのような恋愛が間違ったものだという意図はないだろうが、女性の自立を表現する作品には相応しくないという判断は理解できる。

 そしてもう一つの大きな改変は、コン・リー演じる魔女シェンニャンの登場である。彼女は敵でありながら、女性への偏見に苦しむという意味においてムーランの先輩のような存在でもある。ムーランは野を駆け回る活発な女性だが、封建的な社会のなかでは、その個性は欠点だとみなされ、力を発揮すればするほど、そして“ありのまま”の自分でいようとするほど迫害を受ける姿が映し出される。これは、日本を含め現代の様々な社会にも共通するところがある構図だ。女性が強い個性を持ち自己主張をすると、「生意気だ」とバッシングを受けるケースは少なくない。本作はこのような描写を強調することで、ジェンダー問題をより前へと進めているといえよう。

 さらに、結末も大きく変化した。本作のムーランは、女性として戦士であることが本来の自分の姿だったということを発見する。アニメ版ではムーランの結婚を予感させ、ディズニーのプリンセス・ストーリーの系譜に連なる“Ever After.(そして幸せに……)”という締めくくりが似合うものになっていたのに対し、本作ではさらなるムーランの活躍を示唆することで、女性の価値観や幸せのかたちに広がりを持たせている。性別にとらわれずに自分の可能性を追求する素晴らしさを、本作を観る子どもたちに教えることができたという点については、アニメ版よりも優れているといえよう。その意味で本作は、新しく実写版を撮る意義が、これまでの実写化企画のなかでも、とくに大きかったといえるのではないだろうか。

 先進性が強調された一方で、保守的に感じられる部分もある。それは、ムーランの活躍や覚悟が、国家や家系の利益に資するもののように見えてしまうということだ。あくまで権力の中枢に位置する皇帝は男性であり、男尊女卑の慣習を持った社会の存続のために、女性の可能性や努力が使われてしまうのであれば、本末転倒なのではないか。アニメ版では、ムーランの父親が名誉の象徴である剣や皇帝の紋章を地面に捨ててムーランを抱きしめる場面が感動的だったが、本作では剣が重要なものとして扱われている。このような描き方が、中国市場でのビジネスを意識したものなのかは分からないが、中国政府に気をつかったのではないかという見方があるのは確かである。

 とはいえ、このような保守的な描写は、もともとアニメ版にも数多くあったのも、また確かなことだ。そもそも、自国の朝廷を善、一方の民族を悪であるというようにとらえた一方的な前提自体が、今日の目から見ると硬直した価値観だといえる。そして同種の問題は、“王国”というシステムを必要とする、ディズニーのプリンセス・ストーリー自体に共通して横たわっている。先進的な試みが多く見られる『アナと雪の女王』シリーズですら、最終的に王国が民主化されるところまでには至らない。ディズニーは、このように保守性と革新性という両輪を回すことで成立しているところがある。そのなかでことさら『ムーラン』が批判されるのは、現実における近年の中国政府の強硬姿勢が影響している部分もあるだろう。

 本作は製作中から懸念材料が持ち上がっていた。周知の通り2019年より香港では激しい民主化デモが起こっており、中国政府による香港政府への圧力によって、香港警察が強硬な姿勢で市民運動を取り締まっている。そんな事態のなか、本作でムーランを演じた中国映画のスターでもあるイーフェイは自身のSNSに、「香港警察を支持する」と書き込んだのだ。ムーラン役の俳優が中国の強権姿勢に同調する姿勢をとることで、民主化を求める香港市民や、それを応援する者たちが『ムーラン』に賛同しにくい状況が生まれ、ボイコット運動も起こった。

 このような事態には、『ワンダーウーマン』(2017年)の主演俳優ガル・ガドットが、イスラエル軍によるガザ地区の爆撃をSNSで支持したという、同様の先例がある。作品のなかで多様性の象徴となる存在が、作品外とはいえ権力による暴力的な行為を後押しするというのは、問題だとみなされても仕方のないところがある。

 反対に、ペネロペ・クルスやハビエル・バルデムがガザ地区攻撃を批判したり、ベテラン俳優アンソニー・ウォンが香港の市民運動を支持したことで仕事が激減し、それぞれアメリカや香港での活動が難しくなったという状況もある。自身のキャリアよりも、自由や平和を求める市民の側に立つことを選んだ彼らの姿勢は素晴らしい。その上で、そういう道を選ばなかった俳優を批判し、ボイコットをするかどうかは、個々人の感覚や政治的姿勢によって判断されるべきだろう。

 もう一つ、本作が批判にさらされたのは、劇中で使用された場面の一部に、新疆ウイグル自治区で撮影されたものがあったという事実についてだ。当地ではウイグル族が中国側によって差別的な弾圧が加えられているという指摘が、国際社会からなされている。そして、本編のクレジットに自治区の政府機関への感謝が記されていることから、人権や多様性を弾圧する側に与していると見られたのだ。とはいえ、さすがにディズニー側が意図的に中国政府の方針に同調してそのような措置をとったとは考えづらい。これは、単にリサーチ不足で脇が甘かったために起こった事態ではないだろうか。しかし、国際問題への意識を高めていれば回避できたケースではある。

 一方で、中国のウイグル問題を、逆に中国への反感や差別意識を煽りたいという意図を持った人々がネガティブキャンペーンに利用しているケースもある。このように複数の差別感情が交錯する複雑なケースについては、実態への詳細な理解が必要であり、一面的な見方で批判することが差別を助長させてしまう可能性もある。今回の『ムーラン』批判には、背景にそのような構図も存在しているのではないだろうか。

 本作は、ハリウッド娯楽大作としてアジア人、アジア系の人々でキャストが占められている稀有なアメリカ映画である。そして、女性の生き方の可能性を広げようとする進歩的なテーマを持っている。今回の多方面からの批判は、それぞれに正当性が存在するが、それは本作の先進性そのものを台無しにしてしまうような性質のものではないだろう。そしてディズニーのアニメーションを実写映画化した企画のなかでは、最も意欲的な姿勢で本格的な実写映画としての魅力を持っている。それだけに、この作品が数々の批判によって敬遠される向きがあるのは残念でならない。

 そして、もちろん寄せられた数々の批判も無視されてはならない。本作はその意味で、批判など多様な見方も含めて、単なる映画から、作品の内外が構成する一つの世界であり一つの事態へと変化したのである。10年後、20年後に本作はさらに変化していくことだろう。そのダイナミックな構図をも含め、『ムーラン』がユニークで重要な存在であることは間違いない。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■配信情報
『ムーラン』
ディズニープラス会員、プレミアアクセスで独占公開中
※追加支払いが必要。詳しくはdisneyplus.jpへ
監督:ニキ・カーロ
出演:リウ・イーフェイ、コン・リー、ジェット・リー、ドニー・イェン
オリジナル・サウンドトラック:ウォルト・ディズニー・レコード
日本語吹替版声優:明日海りお、小池栄子
(c)2020 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

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