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『SLAM DUNK』はなぜ“ダンク”で終わらなかったのか? 『DRAGON BALL』との共通点から探る、ヒーローの条件

リアルサウンド

20/5/6(水) 14:00

※本稿では『SLAM DUNK』と『DRAGON BALL』の最終章の展開について触れています(筆者)

 その時――チームの絶対的エースにボールは渡った。エースはそのまま凄まじい勢いでゴール下までドリブルしていき、シュートを打つために高く飛んだ。だが敵もさるもの、ふたりの相手チームの選手が、彼のシュートを阻止するためにほぼ同じ高さまで飛んでいる。残り時間は2秒。わずか1点の差が重くのしかかってくる。と、その瞬間、エースの目に、すぐ傍で両手を広げて立っている赤い髪の少年の姿が映る。「左手はそえるだけ…」。そうつぶやく赤い髪の少年に、エースはすべてを託すことにした。それは、バスケの天才である彼がはじめて、“初心者”の元不良少年を一人前(いちにんまえ)の選手――いや、“仲間”として認めた瞬間だった。パス。そして――。

関連:『SLAM DUNK』の絵にはすべて”理由”が描かれているーー桜木花道が圧倒的に読者の共感を呼んだワケ

 これは、ご存じ井上雄彦の『SLAM DUNK』のクライマックスシーンだが、ここにいたるまでの23ページはセリフもナレーションも一切なく、つまり、絵だけで試合の流れや選手の動きを見せている。週刊連載の漫画としてはなかなか思い切った表現ではあるが、こうした描写はそれまでのスポーツ漫画でなかったわけではないし(たとえば小山ゆうが『がんばれ元気』のクライマックスシーンで、20ページに渡って同様の描き方をしている)、すでに多くの書き手がいろいろな角度から論じていることだろう。だから本稿ではそうした漫画表現論的なことよりもむしろ、前述の赤い髪の少年――主人公の桜木花道が放った最後のシュートが、なぜ、作品のタイトルにもなっている、そして絵的にも派手なダンクシュートではなく、「左手はそえるだけ」からの基本に忠実なシュート(ジャンプシュート)だったのか、ということを問題にしたい。

■ひとりでは出来なかった技

  結果からいえば、このとき、エースの流川楓からのパスを受けた桜木は、美しいフォームでシュートを決める(そして試合に勝つ)。なお、「左手はそえるだけ」というのは、ダンクとレイアップしか決めることのできなかった桜木のために、キャプテンの赤木が通常の練習のあとも体育館に残って、何度も反復させた基本的なボールの持ち方だ。ちなみに厳密にいえば、桜木が決めたシュート自体は、その赤木との練習とは別に、安西監督の指導でジャンプシュートを2万本打った合宿の成果だといえるが(このときはいわゆる“桜木軍団”が手伝った)、あの土壇場で「左手はそえるだけ…」という言葉が出てきたというのは、やはり、赤木(や木暮)と汗だくになって練習した夜の体育館の思い出が、彼の頭によぎっていたのではないだろうか。

 なんにせよ、これ以上の力強い“最後の技”(というか極めて『少年ジャンプ』的な技)がほかにあるだろうか。だからこそ、この稀代のスポーツ漫画の最後を飾るのは、主人公が持ち前の運動能力を活かして自力で決める派手なダンクではなく、彼を信じてパスを出したエースや、毎日の基礎練習につきあってくれたキャプテンや仲間たちの想いをつなぐ、堅実なシュートでなければならなかったのだ。それは、「友情・努力・勝利」という『少年ジャンプ』の3大原則を踏まえたクライマックスの定型であると同時に、バスケットボールという球技に対する井上雄彦の誠実な気持ちの表われでもあっただろう。

 ……というようなこともまあ、もしかしたら誰かすでに書いているかもしれない。だが、いま述べた『SLAM DUNK』のクライマックスシーンと、鳥山明の『DRAGON BALL』のそれには2つの大きな共通点がある、という話ならいかがだろうか。

 周知のように、『SLAM DUNK』と『DRAGON BALL』は、90年代前半の『少年ジャンプ』を代表する2大ヒット作である(後者の連載開始は1984年だが、社会現象的な大ヒット作に化けたのは、80年代末から90年代の初頭にかけてのことだった)。余談だが、90年代といえば、私は某週刊青年漫画誌の編集者をしていたのだが、ある時期、その2作が終われば『ジャンプ』の“一強”は終わる、というような心ない噂が業界内で囁かれていたものだ(たしかに2作の連載終了後、同誌は一時期低迷したようにも見えたが、実際はその後も『ONE PIECE』から『鬼滅の刃』に至るまでさまざまな大ヒット作を生み出しており、いまなお少年漫画誌のナンバー1だ)。

 さて、『DRAGON BALL』のクライマックスシーンといえば、主人公の孫悟空と強敵・魔人ブウの最終決戦が描かれるわけだが、まず注目すべき点は、その戦いのなかで悟空とライバルだったベジータが手を組む、という点だ。長い戦いを通じて、“人の心”を目覚めさせつつあったベジータではあるが、この最終決戦にいたるまでは、(おそらくは“王子”としてのプライドもあり)悟空と対等の立ち場で手を組むということはほとんどなかった。だが、いまや妻と子という守るべき存在を得た彼は、戦闘民族サイヤ人としての本能とは別に、生まれてはじめて多くの人々のために命を賭して戦おうとする。そして、終生のライバルともいえる孫悟空を友として認め(最終的には、「がんばれカカロット[注]…おまえがナンバー1だ!!」とまでいう)、頼れる味方となって戦うのだ。この展開がまず、『SLAM DUNK』終盤での桜木から流川へ、あるいは、流川から桜木へのパスが通ったシーンを思わせはしないだろうか。

 そして、そのベジータの指示で、悟空が最後に放つ大技がまた味わい深いものである。ご存じのように、本作の主人公たちは、ある段階から異様ともいえる(「超」を何度も超える)進化を重ね、それにともない、必殺技も宇宙規模の大技になっていった。だとしたら、本作のラストで描かれるべき必殺技は、いままで出てきた大技をはるかに超える、いわば「超技」でなければならないだろう。しかし、実際に孫悟空が最後に魔人ブウに放った技は、過去に何度か使ったことのある「元気玉」だった。

■主人公だけの力で物語を終わらせなかった

 元気玉は、人間をはじめとした、あらゆる生命から少しずつ力(「気」)をもらって巨大な球体を作り、それを敵にぶつけるというものだが、なぜここにきて、そんな(言葉は悪いが)新鮮味のない必殺技を鳥山明は選んだのか。それは、先に述べた『SLAM DUNK』の最後に桜木が放ったシュートが、彼ひとりの力によるものではなかったのと同じことで、『DRAGON BALL』の作者もまた、主人公だけの力で物語を終わらせるのを「よし」としなかったからだろう。結果、孫悟空は世界中の人々の「気」を集めることに成功し、超特大の元気玉を魔人ブウにぶつけて、勝つ。当然、その勝利の裏には、ベジータの身を挺した戦いや、仲間たちの協力、そして、無数の名もなき人々の想いが込められていたわけである。

 そう――長い物語の最後に終生のライバルと心からわかり合い、派手ではないが、多くの人々の想いをつないだ必殺技で勝負を確実に決める。いささか強引にまとめさせてもらえば、それこそが誇り高き『少年ジャンプ』のヒーローの条件のひとつ、だといっても過言ではないだろう。

[注]カカロット……孫悟空のサイヤ人としての名前

■島田一志
1969年生まれ。ライター、編集者。『九龍』元編集長。近年では小学館の『漫画家本』シリーズを企画。著書・共著に『ワルの漫画術』『漫画家、映画を語る。』『マンガの現在地!』などがある。

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