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『鬼滅の刃』大ヒットの理由は原作とスタジオの相性にあり? TVシリーズと劇場版の表現から探る

リアルサウンド

20/10/27(火) 10:00

 日本での初公開から10日で107億円という記録的な興行収入を獲得し、コロナ禍という特殊な状況とはいえ、同期間の日本を除く世界全ての興行成績すら上回ってしまうという、異常ともいえる結果を出した『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』。ブームは社会現象と呼べるまでに加熱し、コロナ禍による劇場の興行不振のなかで、その凄まじい勢いは上映館の救いの主となっている。

 しかし、いったいなぜ本作はここまでの大ヒットにつながったのだろうか。膨大な上映館数の確保、TVシリーズのネット配信、原作の連載完結などなど、多くの条件が重なったことが、この結果を生み出すことに寄与したのは確かだろう。だが、あくまでそれらは外部的な要因でしかない。どんなに大規模なプロモーションを打とうが、結果が出ないものは出ないのだ。ここでは、作品の中身そのものに絞って、今回多くの観客を呼び込むことになった理由を見つけていきたい。

 『週刊少年ジャンプ』の人気漫画作品として、2020年までの4年間という連載期間を終えた『鬼滅の刃』。その連載が佳境にあった2019年に、TVアニメ第1期の放送が開始された。まず、そのTVシリーズを作り上げたスタジオ“ufotable”による、ブームを強く後押しすることになったアニメーション表現に注目していこう。

 TVシリーズ第1話を思い出してほしい。山奥に住む主人公の竈門炭治郎(かまど・たんじろう)は、家を留守にしている間に家族が鬼の襲撃に遭い、母親や弟、妹たちを惨殺されてしまう。一人だけ、かろうじて生きていた妹の禰豆子(ねずこ)を治療するため、彼女を背負って、山奥の自宅から離れた麓の村まで向かうという、絶望的な物語の幕開けを、第1話冒頭のシーンとして切り取っている。そのときカメラは、炭治郎を俯瞰しながら上空へと上がり、彼の向かう先がおそろしく遠くにあるということを、スケール感を与えながら表現する。

 手描きで表現することが困難な、ドローン撮影のような実写的カメラワーク。これはufotableが、CGを得意とするスタジオだからこそ達成し得たシーンだといえよう。しかし、こんな難度の高いカットを作らなくても、最低限、原作の雰囲気を再現したシーンで内容を構成するだけで、アニメ化の仕事はまっとうできたはずなのだ。

 人気漫画作品を原作にしたアニメーション、とりわけ近年の『週刊少年ジャンプ』作品というのは、スタジオの暴走を許さず、原作から外れた内容を描かないように、絵柄にも物語にも、レールから外れないよう厳しいチェックを入れるはずであり、その目はより厳しいものとなってきている。だから、この種の題材は比較的自由度がなく、やり甲斐が薄いと感じてしまうクリエイターも少なくないのではないだろうか。しかし、そんな状況においても、アニメーションが独自に描くことができる範囲がある。それは、原作のコマとコマの間に存在する、“描かれなかった余白”であり、絵の中で“省略された動き”である。

 この余白をリッチにしていくという努力は、炭治郎が鬼を退治するための剣技を習得し技を披露するシーンで、派手に表現されることになる。原作でも印象深い、刀から葛飾北斎の浮世絵のような波が現れるという演出を、CGと手描きによって見事なアニメーションとして映し出すことに成功したのである。このように、エフェクトや細かなアニメーションの動きに取り組み、新しい表現を生み出そうとするこだわりが、作品のクオリティを高く保つことに結びついたのだ。

 漫画『鬼滅の刃』のアクションは、少年漫画のなかでとくに際立ったものだとは言いづらい。なかでも必殺技にあたる、太刀筋を表す“型”の表現については、それがどんな原理でどんな効果が起こっているのか、そしてどう技同士がぶつかり合っているのか、漠然としていて抽象的だと感じる場面が少なくない。その意味では、技の名前を叫ぶものの実際に何が起こっているかよく分からない『聖闘士星矢』などの作品に通じるところがある。一枚の絵としては華やかに感じるものの、殺陣(たて)そのものにそれほど興味がないのではないか。だが、この動きをアニメーションが、より具体的なものとして補完してくれる役割を果たすのである。

 そんな研鑽の結果が、ついに爆発するのが、「那田蜘蛛山編」といわれるTVシリーズの一部で描かれる、強敵とのバトルシーンである。次々に技を繰り出し、さらには回想シーンをはさみながら、派手なエフェクトと手描きアニメーション、縦横無尽に動く視点によって表現されたバトル描写は、原作が描いたアクションの流れを、極限まできらびやかに連続性をもって生まれ変わっている。これによって、漫画では見過ごされてきた細部の魅力が強調され、多くの観客がアクションそのものを深く味わえるようになるのである。

 ufotableは、そんな“増幅器(ブースター)”としての役割を受け入れた上で、余白にあらゆる創造性や表現手法を投げ込むことを選択したということだ。こうして、炭治郎の畳み掛ける技の連続や、仲間の善逸(ぜんいつ)らのアクションの魅力は、原作の表現を否定しないかたちで“増幅”されたものとなる。

 そこで、何が起きるか。もともと原作漫画が用意している、読者を喜ばせる最大の魅力というのは、アクションの果てに生まれるカタルシスの爆発である。ここでは、鬼に対して効果的な武器「日輪刀」によって“鬼の首を斬る”、または日光によって“鬼を滅する”ことで、「鬼滅」の本懐を遂げる瞬間が、それにあたるだろう。人間を襲う鬼による被害や、鬼の冷酷さや残忍さ、そして炭治郎たちが苦しめられるほど、その蓄積はカタルシスを盛り上げる火薬の量を増すことにつながっていく。そして、鬼が敗れる瞬間、爆弾が起爆するように、それまでの重圧からの解放が巡ってくる。ブースターの役割を担っているアニメ版では、そのカタルシスの爆発の規模がはるかに大きくなるのだ。「那田蜘蛛山編」は、まさにそのメカニズムをきわめて分かりやすく証明するエピソードとなった。

 それは、もちろんベースとなった原作漫画自体の持つ魅力があってこそだ。『鬼滅の刃』が抜きん出ている特長は、首を狩るという、分かりやすい目的が存在することである。通常の人間におけるフィジカル能力をはるかに超えた戦いを表現する多くのバトル漫画は、どのくらい敵にダメージを与えられれば勝利を得られるのかが分かりづらい。そこで、作者のリアリズムのバランスやアイディアが、その都度問われることになるのである。その点、『鬼滅の刃』は基本的に、斬る、滅するという一点に全ての想いを集約させることができる。

 これは、ufotableにとっても、自分たちの製作能力を最大限に活かす機会に恵まれたといえるのではないか。この、きわめて明快なメカニズムと、“妹や人々を救うために奮闘する”という主人公のシンプルな行動原理を得たことで、表現が多くの視聴者、観客の心に届くものになったのだ。

 くわえて、炭治郎の家族が蹂躙されたように、カタルシスを醸成する、鬼の残忍さを示すエピソードの強烈さ、禍々しさも、原作者・吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる)の得意とするところだろう。多くの鬼たちは人間を喰らうが、それだけでなく被害者の遺品をコレクションしていたり、助けを請う人間の表情を楽しんだりと、サイコキラーのような性質を持っていることがある。このような猟奇的表現や、そこに一種の恍惚を求めるような倒錯した耽美というのは、大正時代の日本を舞台にしていることも相まって、大正期の作家である泉鏡花の『高野聖』などの怪奇的な幻想文学を想起させられるところがある。このような趣味を、『子連れ狼』や『うしおととら』など、既存の漫画の要素をくわえながら、バトル漫画の文脈に乗せたところに、本作のユニークさがある。

 そんな鬼のおそろしさ、鬼を退治することの快感を描く一方で、一部の鬼については、かつて人間だった頃の記憶や、その想いを鎮めるような場面を作っているという特徴もある。敵の背景を描くことでドラマを生み出すというのは、本作ばかりではなく、少年漫画の手法としては珍しくない。だがここでは、鬼はもちろん、鬼を倒す組織「鬼殺隊」に所属する少年少女たちが、それぞれに傷つけられ、すでに取り返しのつかない状況に追いつめられているように、基本的に全員が不幸のただなかにあるというのが印象的なのだ。

 そんな者たちで構成されている、鬼、鬼殺隊、どちらの陣営も、厳しく監視されながら危険な任務を与えられ、命のやり取りによって、その存在が消費され続けている。こんな状態が長年の間繰り返し続いけられているというのだ。この絶望的な世界観は、災害や経済状況、政治状況を含めた近年の日本の社会情勢が背景にあるのではないか。国連で調査している「世界幸福度ランキング」において、ここ5年間、日本の順位は下降の一途を辿っている。そのような暗い世相によって、人々が『鬼滅の刃』のダークで不幸な物語に共鳴しているのかもしれない。

 そう考えると、主人公が家族を失うという展開は、かつての日本から失われた、平凡な幸福の喪失を示す象徴的な悲劇にも見えてくる。そして登場人物たちが、不幸のなかで感じるささやかな慰めこそが、現在多くの人々が求めている、唯一リアリティのある幸福の姿であり、子どもたちが感じている、漠然とした未来への不安を麻痺させる僅かな希望なのではないだろうか。

 さて、これらを踏まえたうえで、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は、どうだったのだろうか。

※次ページ以降、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の一部ネタバレを含みます。

 本作では、蒸気機関車の乗客たちが忽然と姿を消すという事件が発生。鬼殺隊はこれを鬼の仕業だとして、隊員を事件が起こった汽車へと送り込むといった物語となっている。炭治郎と禰豆子、善逸、伊之助(いのすけ)といういつもの面々のほかに、鬼殺隊は「柱(はしら)」と呼ばれるトップ9人の剣士の一人である煉獄杏寿郎(れんごく・きょうじゅろう)を差し向けていた。かくして炭治郎らと煉獄のチームは、夜汽車のなかで敵を待ち受けることになる。

 対するのは、鬼の禍の元凶・鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)の配下のなかでもトップの12体「十二鬼月(じゅうにきづき)」の配下・7番目の序列にあたる魘夢(えんむ)。実力のある鬼が使う血鬼術(けっきじゅつ)によって、炭治郎たちを眠らせ、夢の世界へと送り込む。人間だった頃よりサイコパスだったという魘夢は、人間に幸せな夢を見せた後で、夢を悪夢に変えることで、人間の苦悶の表情を見ながら殺すことが大好き。鬼のなかでは比較的、同情の余地がないキャラクターだ。

 炭治郎は、夢のなかで自分の首を刀で斬り落とし自決することで、そんな魘夢の術を破ることに成功する。魘夢は何度も術をかけるが、炭治郎はその度に自決を繰り返し、魘夢の首を狙う。その執念は、サイコパスの魘夢をして、まともではないと口走らせる。夢は次第に悪夢の様相を見せ、夢のなかで優しく炭治郎に接する家族たちが、生き残ったことを責めるようになってくる。

 このエピソードは、ダークな展開の『鬼滅の刃』のなかでも、残酷きわまるものだ。とくに自決を延々と繰り返すという異常な描写は、これがいま子どもたちに人気の作品だということを忘れさせてしまうところがある。そして、何度も死ぬことよりも生きることの方がより辛いのだという価値観は、『鬼滅の刃』の本質部分であるように思える。そんな炭治郎を支える信念は、生き残った妹が現実に存在し、彼女を守らなければならないという想いゆえである。

 そんな炭治郎の悲壮さに対して、異なる世界を見せるのが、本作の実質的な主役となる煉獄杏寿郎という存在である。彼は、自分の最も大事な人間から教えられた倫理観を引き継ぎ、隊員や乗客を含め人間を一人も死なせないという信念のもと、絶対的な強さを持つ敵との対決に挑む。

 鬼は致命傷を受けない限り、身体をすぐに修復することができるし、数千年以上の時を生きることができる。杏寿郎はおそろしいほどの鍛錬によって剣技の冴えを獲得したが、個の人間としての肉体の弱さと、数十年で衰弱する運命を背負っている。だが彼は、人間の強さは精神に宿り、その強さは次代へと受け継がれていくと考える。そして、強い者は弱い者を守ることが責務なのだという信条を持っている。これこそ、現代に生きる多くの人々が強者に対して無自覚的に、ときに自覚的に欲しているものなのではないか。世の中というのは、そうあるべきではないのか。

 一方で、信念や倫理を守るために進んで犠牲になるような選択を、“感動”として認識してしまうことには危うさもある。本作では、鬼殺隊を束ねる“お館様”が、これまで犠牲になった隊員たちの墓参りをする、一見慈悲深いと思える場面がある。だが鬼殺隊が、用心に用心を重ね、さらに多くの戦力を後詰めとしていれば、ここまでのピンチに陥ることはなかっただろう。その責任はやはり追及されなければならないし、そもそも入隊の最終選別試験で多くの子どもたちの命がいたずらに失われていることを考えれば、そんな鬼のような伝統を存続させているお館様を、いまさら好意的に描くことは矛盾を引き起こすことになってしまう。

 本作は、まっすぐな正義を描きながらも、見方を変えれば、同じ目的と思想を持つ集団が命を捧げるカルト的な状況を後押ししてしまう面もある。この精神的な一体感によって不幸という痛みを麻痺させようとする、麻酔の気持ちの良さは、ある意味で『君の名は。』(2016年)における、日本神話を根拠に日本全体が災害から癒されるような、大きな価値観に吸い込まれていく感覚に近いところがある。良くも悪くも、自覚的にしろそうでないにせよ、背景にはこのようなものが渦巻いているという点については、意識しておいた方がいいだろう。

 クライマックスはこれでもかとエフェクトが乱れ飛び、ufotableの実力を、これ以上は困難だと思えるほど最大限に投入した凄まじさを見せる。その意味で本作『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は、原作の持つ力と、そのポテンシャルを極限まで引き出すことで、まさに炎のような熱を放つことに成功した、現時点での『鬼滅の刃』を象徴する一作となったといえる。原作だけでも、スタジオだけでも、この境地に達することはできなかっただろう。『鬼滅の刃』は、それぞれに足りないところを補い合うことで、多くの観客を熱狂させる劇場版へと昇華したといえるのだ。

 ここまで述べてきたことは、あくまでヒットへと至る要素に過ぎないが、同時に核となる部分でもある。『君の名は。』が大ヒットして以来、高校生の男女を主人公とした同様の企画が乱立したが、今後は『鬼滅の刃』を意識した劇場アニメーションの企画が増えてくる可能性が大きい。だが、設定など作品の外形的な特徴ではなく、このような核となるものを見ることが最も重要なのではないだろうか。むしろ多様性を持った作品を増やしていくことが、今後の日本のアニメーション、映画館を盛り上げていくことになるはずである。

※禰豆子の「禰」は「ネ」に「爾」が正式表記。
※煉獄杏寿郎の「煉」は「火」に「東」が正式表記。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』
全国公開中
声の出演:花江夏樹、鬼頭明里、下野紘、松岡禎丞、日野聡、平川大輔、石田彰
原作:吾峠呼世晴(集英社『週刊少年ジャンプ』連載)
監督:外崎春雄
キャラクターデザイン・総作画監督:松島晃
脚本制作:ufotable
サブキャラクターデザイン:佐藤美幸、梶山庸子、菊池美花
プロップデザイン:小山将治
コンセプトアート:衛藤功二、矢中勝、樺澤侑里
撮影監督:寺尾優一
3D監督:西脇一樹
色彩設計:大前祐子
編集:神野学
音楽:梶浦由記、椎名豪
主題歌:LiSA「炎」(SACRA MUSIC)
アニメーション制作:ufotable
配給:東宝・アニプレックス
(c)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
公式サイト:https://kimetsu.com
公式Twitter:@kimetsu_off

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