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中川右介のきのうのエンタメ、あしたの古典

ATGでも任侠ものでもなく、『黒部の太陽』こそが「1968年を代表する」映画だ!

毎月連載

第2回

18/8/12(日)

『黒部の太陽』

 映画に限らず、ジャーナリズム、評論は、低予算で作家性の高い映画を持ち上げる傾向がある。それはそれで正しい。大ヒットしている映画は、誰もが知っているのだから、あえて取り上げる必要はない。
 しかし、その時はそれでいいが、何十年も過ぎてしまうと、「名作として評価された」作品は、その年の映画の賞の受賞リストやベストテンの一覧表として残るので、後の世代も「この年はこういう映画があったのか」と分かるが、「大ヒットした映画」は忘れられてしまう傾向がある。

 たとえば半世紀前の「1968年の日本映画」として語られる時、そこに挙げられるのは、大島渚の『絞死刑』とか、羽仁進の『初恋・地獄篇』などのATG映画か、高倉健や藤純子の東映任侠映画が大半だ。
 この年は佐世保闘争、日大闘争、新宿騒乱、やがて東大安田講堂事件へとつながる学生運動が激化した年でもあり、アメリカでも公民権運動とベトナム反戦運動、フランスでは「パリ5月革命」、チェコスロバキアでは「プラハの春」と世界的に若者が反乱した年でもあるので、そうした時代の空気を象徴するものとして、ATGや任侠映画が語られる。

 だが、1968年に最も多くの人々が観た日本映画は、石原裕次郎と三船敏郎が主演し製作した『黒部の太陽』(熊井啓監督)である。観客数733万7000人、配給収入7億9616万円という数字は、この年最大のヒットというだけでなく1960年代の劇映画としても最大のヒット作だった。『黒部の太陽』こそが1968年を代表する映画だったのだ。

『黒部の太陽』

700万人の日本人が観た裕次郎・三船・熊井啓の「自主製作映画」

 先日、改めて『黒部の太陽』をDVDで観た。
 たしかに大作で風格はある。トンネルの事故のシーンは迫力もある。しかし、ストーリーとしては単調で、それほど面白い映画ではない。製作費の規模こそATG映画の数10倍だが、『黒部の太陽』も、石原裕次郎と三船敏郎と熊井啓の自主製作映画なのだと思った。娯楽性に乏しいのだ。それなのに、よくぞ700万人も観たと思う。
 当時の人々は、こういう作家性の強い映画に慣れていたのだろうか。

 ヒットしたのは関西電力や建設会社が前売り券を大量に購入したからでもあるが、それだけでは700万人にはならないだろう。石原裕次郎の人気も『嵐を呼ぶ男』の頃ほどではないのは、この前後の映画の興行成績をみれば分かる。

 私は1968年はまだ8歳だったので、時代の雰囲気は何も覚えていない。文献から「1968年」を知ろうとすると、そこにあるのは学生運動に代表される、反体制、反戦の空気ばかりだ。その文脈で語られるのが、大島渚や高倉健なのは実に分かりやすい。

 だが一方で、『黒部の太陽』を観に行った700万の人々がいる。
 この700万人と、この年の参議院議員選挙の全国区で石原慎太郎に投票した300万票とはかなり重なるだろう。あるいは、クレージーキャッツ映画を観に行った100万人前後と青島幸男に投票した120万票も。
 高倉健と石原裕次郎は、どちらも「1968年のスター」だったのだ。
 その視点から、「1968年」を見直さなければならない――そう思って、その作業をしているところだ。

作品紹介

『黒部の太陽』

ブルーレイ・DVD発売中/デジタル配信中
発売日:2013年3月20日
発売元:株式会社ポニーキャニオン
監督:熊井啓
製作:三船プロダクション・三船敏郎/石原プロモーション・石原裕次郎
脚本:井手雅人/熊井啓
原作:木本正次(毎日新聞連載・講談社刊)
出演:三船敏郎/石原裕次郎/樫山文枝/高峰三枝子/宇野重吉

『黒部の太陽』制作著作:株式会社三船プロダクション/株式会社石原プロモーション

プロフィール

中川右介(なかがわ・ゆうすけ)

1960年東京生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、出版社アルファベータを創立。クラシック、映画、文学者の評伝を出版。現在は文筆業。映画、歌舞伎、ポップスに関する著書多数。近著に『海老蔵を見る、歌舞伎を見る』(毎日新聞出版)、『世界を動かした「偽書」の歴史』(ベストセラーズ)など。

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