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映画『ダウントン・アビー』を完全ビギナーが観てみたら? 意外にも強い現代性と間口の広さ

リアルサウンド

20/1/11(土) 12:00

 『ダウントン・アビー』といえば、2014年から2017年にかけてNHK総合でも放送されて、2010年代に入ってから始まったテレビシリーズ(イギリス本国での放送は2010年から2015年まで)の中でも、BBCの『シャーロック』と並んで日本で最も多くの人に視聴されてきた作品と言っていいだろう。2010年代はアメリカのケーブル局やストリーミング・サービスが制作する、性描写や暴力描写や薬物描写などにリミッターのない作品が時代を席巻したディケイドだったが、日本ではそうした作品の多くはNHK、地上波民放、WOWOWといった視聴者をゾーニングできない局からは敬遠されて、結果的に世界的人気テレビシリーズの視聴者数が、作品によって大いに偏ることとなった。

参考:ゴージャスなセットでの場面写真はこちらから

 と、まどろっこしい導入になってしまったが、自分はまさにそんな「性描写や暴力描写や薬物描写などにリミッターのない作品」を特に好んで見てきた視聴者で、世界中で絶賛されてきたことは十分に認識しながらも、「20世紀前半の英国貴族を題材にしている」という理由から『ダウントン・アビー』をこれまでずっとスルーしてきた。そもそも、東京生まれザ・スミス育ちの自分にとって「クイーン・イズ・デッド」精神は人格形成の根幹にまで関わっていて、「華麗なる英国貴族の館」(同作にNHKがつけたサブタイトル)と言われた時点で、自分とは関係のない作品だと思い込んでしまう。

 本稿のテーマは、そのような完全な『ダウントン・アビー』初心者が観た映画版『ダウントン・アビー』というものである。日本にも熱心なファンがたくさんいる作品で、このような原稿をプロとして書くのはなかなか勇気がいることだが、オファーに応えるのもまたプロの仕事である。逆の立場で、「『ブレイキング・バッド』初心者が観た『エルカミーノ』」というテーマの記事を目にしたら自分がどれだけ眉を顰めることになるかを想像しながら、慎重に書き進めていきたい。

 時代設定は、テレビシリーズの最終話から2年後の1927年。ジョージ5世国王とメアリー王妃のダウントン訪問を告げる手紙を運ぶ郵便車、及び列車の移動を広い画角でとらえたオープニングは、映画ならではのスケール感に溢れている。長編映画はこれが2作目(日本公開されるのは今作が初めて)となる、シーズン5から本作の演出に参加しているアメリカ人監督マイケル・エングラー。「映画にしなきゃ」という気負いからだろうか、少々クレーン撮影を多用しすぎてるきらいはあるものの、登場人物が多く、主役らしい主役がいない(逆に言えば全員が主役)という本作のハードルを、淀みのない演出で上手くさばいてみせる。

 物語が進行するにつれて見えてくるのは、本作のテーマが、一つは家族の「相続」であり、もう一つは「主人と使用人の関係」であることがわかってくる。「相続」、つまりは「継承」の問題は現在放送中のテレビシリーズで最も高い評価と支持を集めているHBO『サクセッション』(日本では『キング・オブ・メディア』のタイトルも同時に流通している)の主題でもあり、贅を尽くした生活描写も含め、なるほど、あの作品には現代版『ダウントン・アビー』という側面もあったのだなという発見があった。「主人と使用人の関係」というテーマは、言うまでもなく格差社会のアナロジーでもあり、『ダウントン・アビー』的なイギリスの階級社会が100年近い年月を経て世界中で固定化してしまったのが現在のグローバル経済社会だという見方もできる。そう考えると、『ダウントン・アビー』が扱っているテーマは意外にも現代的なのだ。

 実際、本作では「主人たち」の生活と同じくらいの力点を置かれて、「使用人たち」の間で交わされる奔放な会話や、「主人たち」に対する「反乱」が描かれている。『ダウントン・アビー』は英国貴族の物語であるだけではなく、民衆の物語でもあるのだ。また、女性の権利やゲイへの偏見といった、マイノリティーに関する現代的イシューについても、時代背景から浮き上がりすぎることのない範囲で誠実に描かれていることに感心させられた。

  王室の面々がダウントンに訪れている最中、クローリー家の亡き三女シビルの夫トム・ブランソンはこのように漏らす。「僕は王室を支持しない。それでもクローリー家は家族だ。彼らの政治信条は愚かだと思うが、それよりも愛情が勝る」。貴族と使用人の立場の違いだけではなく、貴族の中にもあるこのような複雑で批判的な視点も包括しているのは、『ダウントン・アビー』を食わず嫌いしていた自分にとって新鮮な驚きだった。政治的な信条の違いを超えて、家族の継承や(本作の場合は領主として)地域に根ざすことを優先させるというのは、現代社会の多くの問題を解きほぐす手段として、近年になっていろんな場所で改めて見直されている「生き方」でもある。

 と、わかったようなことを書いてきましたが、結論としては、『ダウントン・アビー』初心者は本作に臨む前に、せめて本作のオフィシャルページにもリンクされている「映画『ダウントン・アビー』約10分でおさらいできる特別映像」を見ておくことをオススメします。映画『ダウントン・アビー』の基本はあくまでも、これまでシリーズを見てきた人へのご褒美。ただ、本作を入り口にして、『ダウントン・アビー』の世界に本格的に浸るという人もきっとたくさん生まれるはず。それだけのクオリティと間口の広さは保証します。 (文=宇野維正)

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