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L’Arc~en~CielやMUCCら所属 MAVERICK DC大石征裕氏に聞く、これからの時代のマネージメント

リアルサウンド

20/3/28(土) 12:00

 L’Arc~en~CielやMUCC、シドなどが所属するMAVERICK DC GROUPの代表である大石征裕氏が自伝『夢の船』を上梓した。

 10代で知り合った44MAGNUMのスタッフとなったことから、バンドのマネージメントやレコード制作に関わるようになりDANGER CRUEを設立。D’ERLANGER、DER ZIBET、DEAD END、そしてL’Arc~en~Cielと多彩なバンドのマネージメントを手がけるようになり、同社を法人化したのが2000年。2002年にはMAVERICK DC GROUPへと組織変更した。

 個性的なアーティストを多数抱える硬派な代表として知られる大石氏だが、多彩な経験をして来たことが現在の姿勢とスタンスを作っている。著書には収まらなかった氏の足跡を、改めて伺った。(今井智子)

挫折して気づいたマネージメントの役割

ーーまずは、大石さんが音楽の仕事に興味を持ったきっかけから教えていただけますか?

大石:10代でバンドを組んだのですが、その頃から音を追求するのが好きだったんです。なんで日本のバンドの音は外タレみたいな音にならないんだろうと、ずっと疑問で。誰も教えてくれないから自分でやるしかない、と研究を始めました。カセットテープでピンポン録音したりしてね。

ーーそれで大阪電子専門学校へ?

大石:それは何もしないためには何かの学校に入ったほうがいいなと(笑)。毎日パチンコして2800円儲かったらやめて、バンドのリハ代を稼いでました。

ーー音への興味が音楽の仕事に進んだ理由ですか。

大石:その頃はまだ音楽は趣味でしたね。録音するのが目的で、演者は誰でもよかった(笑)。はじめに音を提供してくれたバンドがMARINO、すかんちでした。そのうち44MAGNUMからライブのPAをやってくれ、ついでに車で楽器を運んでくれと言われ、一緒に東京に行こう、と行動を共にするようになりましたね。自分から能動的にやったわけではなくて、必然でそうなったんです。なんでもやってみて、ダメなら人に任せるという感じでした。

ーーアーティスト自身がマネージャーとなって、マネージメントのトップになることはよくありますが、PAやレコーディングに興味があった人がマネージメントになるという流れは珍しいのではないでしょうか? それならスタジオを作る側になるのではないかと思いますが。

大石:そうなんですよ。よく言われたのは、なぜレコード会社に入らないんだとか、マネージャーには向いてないんじゃないかとか。当時のLOUDNESSのマネージャーには、「ほかのことはちゃんとできてるのにマネージメントとしては何もできてない」と言われたこともあります。マネージメントが何か、わかってなかったんでしょうね。私はハードロックがベースにあるので、バンドの音のことはよくわかるんですけど。

ーーしかし、現在までたくさんのアーティストと関わっている大石さんと、音作りについて意見を言い合えることは、彼らにとって重要なことなのでしょうね。

大石:本書の最後にはいろんなバンドから私へのコメントが掲載されていますが、とにかく音にうるさいと。特にドラム。今でも気になりますね。

ーーそういう知識があると細かいところに気がいって、全体を俯瞰できないことはありませんか。

大石:それはよくあります。80年代は本当にPAの音が気になってほかのことが後回しになっていました。自分でエンジニアをやると自分の好みのところだけをちゃんとやるので、トータルのサウンドメイクがめちゃくちゃになる。44MAGNUMはそれがバンドの個性にもなったけれど、ほかのバンドは通用しなかった。『ヤング・ギター』誌の編集長だった山本隆士さんに、「音が固すぎてよくないよ」と言われて気づきました。なので、それ以降は音作りに携わることからは手を引いて、マネージメントに専念していくようになります。

ーーたしかに大石さんのマネージメントは、D’ERLANGERと関わるようになってからスタンスが変わったように思います。

大石:彼らはBOOWYやBUCK-TICKの世代で、布袋(寅泰)や今井(寿)のギターの音色をよく聴いてましたね。「元々ハードロックは歌も楽器だった」と話しても、D’ERLANGERは全く共感してくれなかったな(笑)。その後、89年に44MAGNUMとD’ERLANGERが解散したんですけど、それはマネージメントがなっていなかったことに原因があった。それで私はマネージメントに向いていないと思ったし、マネージメントを続けていくには全体を組織立てていかないといけないということに気づくんです。

ーー具体的には?

大石:80年代の私は人の言うことは一切聞いていなかったから、90年代は、何とか人と協調性を持ってやらなくちゃいけないということと、「餅は餅屋」ということを覚えましたね。あの時代は、レコード会社がしっかり機能していた。だから音楽面をコントロールする担当と、ライブをコントロールする担当とリレーションする形になって、外部との協業が身についていきました。その中で、マネージメントというのはバンドの抱える問題を解決することこそが役割なんだと思うようになりました。

ーー90年代はレコード会社が大きな力を持っていましたが、今はマネージメントが自力でやらなければならない部分が増えましたよね。そうした時代のマネージメントについてはどう考えますか。

大石:アーティストと共存していきながら、新人から15年を越えているバンドまで一緒に考えていけるような組織にしないとなと。私も60歳を越えて所属バンドのメンバーたちも40歳を越えて、売り上げを上げ続けるノウハウを構築する必要があると感じています。最近、事務所の1FフロアをYouTubeのスタジオにしたのですが、それもここから発信していくしかないと考えたからで。ロックはニッチなものなので、なかなかマスメディアには扱われにくいですからね。YouTubeも太平洋に塩を巻くようなものだから、何かコンテンツの色をつけていかないといけませんけど。そういったことができるような座組を考えたいです。

 2010年まではプロダクションでござい、アーティストに育成してやるぞ、俺のいうこと聞けよ、というのが純日本風のマネージメントだった。しかし、この15年から20年の間にそのかたちは変わって、より共存型、共同経営者のような関係性になっているんです。以前は音楽さえやれれば後は任せますと言っていたアーティストも、どうしたら収入を増やせるかなど、一緒に考えるようになってきています。私の会社もそういう風にしていきたいと思っています。

ーー大石さんが音制連(日本音楽制作者連盟)の理事長を務めていた時期にフリーマガジン『音楽主義』で、原盤権や印税を解説していたのも印象的でした。

大石:うちからリリースした最初のインディーズがREACTIONの『INSANE』(1985年)だったのですが、この作品はJASRACに著作権を管理してもらっていないんです。なぜかというと、インディーズだから曲はほぼオンエアされないので、放送使用料を徴収する機会がないし、コンサートをやるのも、レコードの売り上げも全て自分たちのものだから。そういう経験もあって、音制連の理事長の時にはやれることをだいぶやったと思います。

ーーそうした意識の変化があるとマネージメントとしての立ち入り方も変わってきますか。

大石:はい。今後はアメリカの仕組みのような契約ベースで、やることを決めていくかたちになるのがいいと個人的には思っています。そうなるとアーティストは事務所との契約はもちろん、レーベルとの契約についてもマネージメント任せではなく、しっかり自分自身で介入していく必要が生まれてきます。そのような交渉もアーティストにとっては欠かせないことになっていくのかもしれません。

ーー御社所属のMUCCのように自身でリリースをハンドリングしながら活動できるアーティストもいるわけですが、近年のレコード会社の役割についてはどうお考えですか?

大石:私も一時期は「レコード会社不要論」を唱えたこともあったのですが、最近はそうでもないなと思っています。特にメジャーのレコード会社は、その名の下にサンプル盤が動いたり情報が流れたりする、たくさんの人が動いている感じがやはりあるんですよね。こうした動きは、事務所がSNSにアップするのとでは伝わり方のボリュームやインパクトが違います。

ーー日本のメジャーレーベルはプロモーション機能が高いから共存できるわけですね。

大石:昨今のメジャーレーベルとの契約では、新人はライブコンテンツとグッズの権利をシェアすることがほとんです。だからレコード会社と事務所とアーティストの隔たりは徐々になくなってきているように感じますね。とはいえ先ほどお話ししたとおり、私は「餅は餅屋」という考えを持っているので、視野を広げて動くようにはしていますが、なるべくそれぞれの専門家がそれぞれの役割を果たすことが重要だと思っています。

昔から“ないもの”を作ろうとするのが好きだった

大石征裕『大石征裕 自伝 夢の船』

ーーマネージメントという面で大石さんが大切にしているのはアーティストとのコミュニケーションですか。

大石:そうですね。今もメンバーとはダイレクトに話をして、物事を決めるようにしています。あまりそれぞれのマネージャーに対してでしゃばらないようにしているのですが、メンバーからの希望が強いときはマネージャーを飛ばして話すこともあります。

ーーMAVERICK DC GROUPの今後の体制については?

大石:プロモーションチームは20代、マネージメントは経験がある人でないとなかなか難しいので40代、そういう体制を考えています。この自伝に求人広告を入れて欲しかったくらいですね(笑)。常に人材は募集しています。ただ、この本を書いていて思ったのが、20代のバンドに10代のローディーが付いていた時代が、夢もあって逃げもあって、ちょうどよかったのかもしれないということで。学校や家庭に居場所のなかった若者たちが、バンドとともに成長していくというか。うちにもそういうスタッフがいましたが、お母さんに「私の言うことは聞かなかったのに」といまだに感謝されています(笑)。

ーー本書では大石さんの武勇伝についても包み隠さず書かれています。

大石:あれでも随分削ったんですよ。原稿が上がって来た時に落ち込みましたね。アーティストと私とのエピソードが酒席の話しかなかったので。それより、あの時のレコーディングがどうだったとか、あの時はお世話になったとか、一人でも書いてくるかと思ったら、全員が「酒癖が悪い」とか、「よく事務所のスタッフがついていくなあと不思議に思う」とかばかりで(笑)。本当にマズいと思ったので、落ち込みついでに自分が飲んでいる時の会話を録音してみたんですよ。でも聞いたら途中で嫌になりましたね。それで反省を込めて今は減酒を試みています(笑)。

ーー大石さんは孤高なイメージがありましたが、本書を読むとユイミュージックの後藤由多加さんをはじめ、様々な方と幅広く深く接していることがわかります。あらゆる方々とお付き合いするコツみたいなものはありますか。

大石:私はこう言ったら悪いですが、ジジ転がしなんです(笑)。大阪にいた19歳の頃にPA会社を始めたときも、私の先輩が金銭面でサポートしてくれた。その次はビルのオーナーの方が1フロア無償で貸してくれて、そこでスタジオ運営をすることができました。おそらく私は、うまいこと夢を語るんですよ(笑)。でも、語るだけではなく、自分で楽器を運ぶ、配線をする、レコーディングもPAもする、スピーカーも作る。スタジオも自分で壁に毛布を張って、誰よりも動いていましたから。それを見て、こいつは何かやりそうだな、とみなさん思ってくださったんじゃないかなと。

ーーそういう行動力も重要なんですね。漠然と夢を語るのではなく具体的に見せていくというか。

大石:昔から、ないものを作ろうとするのが好きなんです。今も海外で日本のアーティストをプロモーションする仕組みを作りたくて、いろんな人と協業する準備をしてるんですけど、なかなかうまくいかないですね。

ーーL’Arc~en~CielやHYDEさんも海外での活動が目立ちます。大石さんのなかでは、LOUDNESSがアメリカで成功したことが一つの指針となったとのことですが。

大石:ロックはもともと西洋のものですよね。東洋人が真似してどこまでできるかというのもありますが、そろそろ東洋製のロックがあってもいいんじゃないかという思いがあります。ヴィジュアル系やアニソンなどのニッチなジャンルは、海外の人からしたら真似したいものになりつつありますし。YOSHIKIもHYDEもそのど真ん中の人なので、彼らを応援するという意味でも海外進出は重要なことだと考えています。最近では、RADWIMPSやThe fin.などの音楽もアジアを中心に海外で受け入れられていると聞きます。

ーーアメリカ進出は規模が大きいので大変かと思いますが。

大石:そうですね。まずアメリカは現地のレコード流通に入れないことが大きなネックです。ライブはいろんなアーティストが日本からファンを連れて行けば実現することはできますが、それはやりたくなかった。あくまでも現地のプロモーターに呼んでいただくことにこだわっています。うちで最初にアメリカでライブをやったのはMUCCで、彼らは35箇所を回るロックサーキットに呼ばれて回ったんですが、現地プロモーターの管轄する部分は我々にはどうにもできない。ライブハウスのネットワークもそうですし。それぞれ場所によって対応も異なるので過酷な取り組みではありました。ライブ・ネイションのような大手のエージェントと組むのはある程度の規模のあるアーティストでないと難しいですからね。ようやく近年ライブ・ネイション・ジャパンができたので、彼らがどんな動きをするのか、そこには期待しています。L’Arc~en~Cielがライブ・ネイション・ジャパンにライブまわりをお任せしているのは、そういった期待に依るところも大きいです。

ーー今後の目標はありますか。

大石:一つは、私がお世話になったジャパメタ(ジャパニーズメタル)への恩返しですね。やっぱりメタルが好きなんですよ。メタルはニッチな世界で、ヴィジュアル系にも繋がる部分がありますが、今も熱心なファンの人たちがいる。そのファンの人たちと、現存している往年のジャパメタの人たちのコミュニティをうまく繋ぐことができたらいいなと思って、LOUDNESSの高崎晃と話したりしています。もう一つは、先ほどお話ししたようにいろんなアーティストのグローバル化を実現させたいです。日本のコンテンツを海外展開する団体『SYNC NETWORK JAPAN』を立ち上げたので、そこをハブにしてコミュニティを広げていければと思っています。

ーーこのところ新型コロナウイルスの感染予防でライブがほとんど中止・延期になっています。

大石:エンターテインメントが娯楽であることは確かなので、生命を守るためには致し方ないことだと思います。個人的にはなにか保証があってもいいのではないかとは思いますが。でも、そんな中、L’Arc~en~Cielの“エアライブ”がかなり盛り上がったんですよ(『ARENA TOUR MMXX』ツアー2月28日・29日横浜アリーナ公演、3月4日・5日東京・国立代々木競技場公演が中止に。28日「#エアMMXX」ハッシュタグをつけてファンが架空のライブで盛り上がる中にメンバーも参加した)。Twitterでもトレンド入りするほどで。無観客ライブも賛否ありますけど、エンタメが何かの力になれたらいいですよね。この時期だからこそYouTubeや配信、ネットでの展開について考えたり、人を集合させないで楽しませる方法をもう少し模索していきたいです。

ーー最後になりますが、本書を通じて読者に伝えたいことは?

大石:アーティストとの関わり方もケース・バイ・ケースなので、この本にはとにかく自分が挫折したことを書こうと思ったんですよ。だからなにかに励んでいて辛くなっている人、挫折しそうになっている人の手助けにはなるかもしれません。

■書籍情報
『大石征裕 自伝 夢の船』
2020年2月28日(金)発売
出版社:シンコーミュージック
公式サイト

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