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男性と女性、善人と悪人……差異の境界は曖昧なもの 山下紘加『クロス』、滝田愛美『ただしくないひと、桜井さん』評

リアルサウンド

20/5/12(火) 16:10

 渋谷センター街の入り口にある大盛堂書店で書店員を務める山本亮が、今注目の新人作家の作品をおすすめする連載。第5回である今回は、生活の中に潜む差異の境界を丁寧に紡ぎだした、山下紘加『クロス』と滝田愛美『ただしくないひと、桜井さん』の2作を取り上げる。(編集部)

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 ジェンダーレスに以前より比較的寛容になった言われる現代でも、性別で人を区別したり、また性格を安易に判断されることは普通に行われていて、それによって窮屈な思いをしたり、自分が普段持っている感覚を相手がねじ曲げて解釈してしまうこともあると思う。そうなってしまうとやはり悲劇だし、受け入れる受け入られる以前にお互いのコミュニケーションの扉が、眼の前で閉められてしまうのは残念なことだろう。

 男性が女性の着るような装い(あやふやな定義ではあるけれど)をしたら周囲はどういった反応をするのだろう。その様を描く山下紘加『クロス』は、ある少年の逃れられない性と暗闇を描いた著者の力作『ドール』から5年、今年4月に刊行された第2作目だ。

 警備会社に勤務する28歳男性の主人公・市村は、表面上妻と平穏な生活を送っているが、浮気相手の愛未の持ち物を通じて女性装に目覚め、新たな衣装を身にまとい自身の顔に化粧を施していく。その様子はこれまで男性として生きて今まで感じていた息苦しさから解き放たれたようにも見えるが、ただ女性装をすることで内面と外見が一致していく訳ではない。

〈性は固定されたものではなく、はっきりと反転するものでもなく、常に揺らぎ続けるものだった。〉

〈自分のこととはいえ受け入れがたい事実を、その緩やかな傾斜を、大切にしたいと思えるようになったのだ。〉

 性別や外見だけでの区別を拒むことを無意識に市村自身が表しているようにも感じられる。そして市村は新たな服を着て、様々な人と出会う。妻や愛未、同僚の男達、また「マナ」と名前を変えて同じ境遇の人々と話し、ある男に抱かれる。その間も逃れられない「男」として基盤が見え隠れしているが、そこで愛未の家でくすねて履き続けるストッキングの存在が浮かび上がる。

 自宅や勤務中、外で身に着け時折触り確かめ、寄る辺のない自分のお守りであったそのストッキングによって、女性装をすることが単なる好奇心からではなく正直な感情に根ざした行為へと変化していくのが読み取れる。生活を送る中で決定的に心が満たされるわけではないが、不満足でもない。それでも手探りをしながら生きていくことで、「どちらとも区別されない」世界が広がり、見えないが存在する隔たれた壁を静かに取り払う力がこの小説には確かにあるように感じられた。

 R-18文学賞読者賞を受賞した4年前の連作短編集であるデビュー作が、今年4月に文庫化された滝田愛美の『ただしくないひと、桜井さん』も紹介したい。

 まず本書に触れる前に、小説家の彩瀬まるが、この文庫版解説で自身のある思い出に関して記した次の文章を読んで欲しい。

〈ある一つの行為を「悪いこと」とみなして遠巻きにする人と、実際にその行為をしている人の間には、ものすごく大きな認識や感覚の段差があるのだ〉

 あるNPO法人が運営する「ぽかぽかハウス」。家庭や学校に居場所がない子供たちを受け入れる施設を舞台に、ボランティアの学生や子供、周囲の大人を中心に展開される本作。主人公の「桜井さん」は、他の子供と同じように家庭に恵まれず、卒業後に新聞記者を目指す男子大学生だ。

 この小説に登場する人々は様々な行動を起こす。女子中学生が同じ施設に通う児童の親と関係を持ったり、ある老女は若い男性との付き合いに溺れていったり、ある者は犯罪を起こしたり……。

 それぞれ日常の正しさを口にしながら、一方で人には言えないやましい行動や感情がほとばしっていく。それは突然訪れる衝動なのか、今までの生活の積み重なりの結果なのだろうか。事情は様々だが、一つ言えることは互いに「相手に対する認識の差」があるということだろう。きっちり判断できないもやもやとしたその差を、著者は突き放すことなく丹念に描き提示する。自問自答しながら読み進めて行くと、桜井はこう呟く。

〈…こちら側にいる俺と、向こう側で手錠はめられて腰縄つけられてる彼らと、何が違うんだろうって。どうしても、違うと思えなくてさ。とんでもないことするなよ、とは思うんだよ。けど、それが殺人犯であっても、自分とは違う種類の人間だと思えないんだよね。〉

 こういった言葉を通じて、改めて相手を無意識に区別し判断してしまう怖さを感じ、他の人間が起こすことを「遠巻き」に見ることのできない視線を新たに持つことが出来る。桜井が大切に想っているある女性が言う〈でももう、罪人でいい〉という言葉など次々と印象深い言葉が覆いかぶさってくる。

 読者はどのように考えて登場人物の行動を理解するのか。読み終えた後、自分も向こう側いるかもしれないし、その境目は本当にあやふやで段差すらないものなのだと気付くはずだ。

(文=山本亮)

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