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山本益博の ずばり、この落語!

お気に入りの落語、その四『千早振る』

毎月連載

第30回

(イラストレーション:高松啓二)

『千早振る』─出たとこ勝負の口から出まかせ。“落語の話芸の極致”にぴったりの名作

百人一首にある在原業平の「千早振る 神代もきかず 竜田川 唐紅に 水くぐるとは」の歌の訳を聴きに来た八五郎に、知ったかぶりのご隠居が珍解釈を繰り広げる、落語の名作。

落語は「咄」とも「噺」とも書く。さも今思いついたようにしゃべって見せる、言ってみれば、出たとこ勝負の口から出まかせ、噺のあらすじは決まっていても、中身の話はいつでも生まれたて。それが、落語の話芸の極致なのである。

そういう落語という話芸にぴったりの噺が『千早振る』なのではなかろうか。

「COREDO落語会」でも、かつて、三遊亭小遊三、瀧川鯉昇のおふたりに『千早振る』を高座にかけていただき、客席はご隠居の珍解釈に大爆笑だった。

小遊三の『千早振る』では噺の運びがリズミカルで、二人の問答が可笑しく、つい、ご隠居さんの作り話の展開の巧さに、八五郎は歌を忘れてしまうほど巻き込まれてしまったし、鯉昇の『千早振る』では、ガンジス川、インダス川、チグリス・ユーフラテスまで出てきて、竜田川と千早花魁が出会うのが、北千住のフィリピンパブで、最後は噺の舞台がモンゴルまで飛んでいってしまうという、破天荒な噺の展開になっていた。

そのご隠居の珍解釈とは?

「竜田川とは、じつは相撲取りの名前。田舎相撲の出身ながら、三年の間、女を断って大関まで上り詰めた関取だった。初めて廓で見かけた千早太夫という花魁に一目惚れしたが、『わちきは相撲取りはいやでありんす』と振られてしまい、妹女郎の神代も『姉さんが嫌なものは、わちきもいやでありんす』と言うことを聴かず、竜田川は落胆のあまり相撲をやめて、故郷へ帰って家業の豆腐屋を継いだのだった。

何年かののち、店の前にみすぼらしい女がやってきて、よく見ると、これが千早太夫の成れの果てだった。豆腐のあまりものの卯の花(おから)を恵んでくれと懇願されたが、昔の恨み、くれるどころか、突き飛ばしてしまった。すると、飛ばされた千早太夫、井戸に身を投げて死んでしまった」

あまりに奇想天外なストーリーに引き込まれた八五郎は、すっかり和歌のことを忘れていたが、ふと思い出して、ご隠居さんに問いただす。
「ところで、歌の訳は?」
ご隠居は、得意になって言う。
「今の話が、歌の訳だよ! 千早太夫が竜田川を振り、神代も言うことを聴かないから『千早振る 神代もきかず 竜田川』だろッ」
「ふむ、ふむ」
「その竜田川が千早太夫に卯の花、おからをやったかい、やらないだろ、だから、からはくれないんだよ」
「ふむふむ」
「千早太夫、それを悲しみ、世をはかなんで井戸に飛び込んで死んでしまったから、水くくる」だよ。
「なあるほど。歌の訳は、相撲取りと花魁の話だったんですね。ちょっと待ってくださいよ、じゃ、歌の最後の『とは』は何なんです?」
「『とは』かい? 『とは』は、千早の本名だった」

古今亭志ん生の『千早振る』は生まれたてに見せかける噺の最高傑作!

さて、この噺の眼目と言えば、隠居が「竜田川」を相撲取りに仕立てる場面である。前から想定していたのでなく、突然思いついたように「竜田川」を相撲取りだと言い始める。

ほとんどの落語家が「この竜田川、何だと思う」と言いだし、噺が展開し始めると、次第に隠居は得意になってゆく。

ところが、古今亭志ん生の『千早振る』だけは、違うのである。「竜田川」をどう説明しようと、窮地に追い込まれた末、「竜田川っ! しっかりしろ!」と半分やけ気味に大声で放つ、その瞬間、「竜田川」を相撲取りに見立てることを思いつき、それからは一気呵成に嘘八百というより、作り話、ほら話を得意になってしゃべりだす。

これぞ、志ん生の生まれたてに見せかける噺の最高傑作!

全ての録音ではないが、ニッポン放送の音源に残されているものがそれである。『志ん生全席 落語事典』(保田武宏著/大和書房刊)によれば、1961年2月8日に放送されたもので、ポニーキャニオン『五代目 古今亭志ん生 名演大全集(33)』に収まっている。

また、『五代目古今亭志ん生全集』(川戸貞吉・桃原弘編/弘文出版刊)の第四巻に載っている『千早振る』では、
「『竜田川竜田川、しっかりしろォー』ッという声が、かかるなァ」
「なァにィしっかりしろォッてのはァ? ……竜田川ッてえのァなんですゥ?」
「竜田川ッてえのァ、相撲取(すもう)だね」
と速記されている。

柳家小三治は『千早振る』を得意にしているが、私はまだ聞く機会に恵まれない。小三治は、この場面、どのように展開しているのだろうか? ぜひ、いつかどこかで聴いてみたいものである。

プロフィール

山本益博(やまもと・ますひろ)

1948年、東京都生まれ。落語評論家、料理評論家。早稲田大学第ニ文学部卒業。卒論『桂文楽の世界』がそのまま出版され、評論家としての仕事がスタート。近著に『立川談志を聴け』(小学館刊)、『東京とんかつ会議』(ぴあ刊)など。

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