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松田龍平×綾野剛『影裏』、原作小説が描いた“日常”と“震災” 映画で紡がれる新たな物語への期待

リアルサウンド

19/11/27(水) 8:00

 松田龍平、綾野剛の初共演で話題を集めている映画『影裏(えいり)』(2020年2月14日公開)。原作は、2017年の文學界新人賞、第157回芥川賞を受賞した、沼田真佑による小説だ。

『影裏』の魅力の中心にあるものとは?

 主人公は、医療用品を扱う会社に勤める今野秋一。出向で岩手に移り住んだ今野は、周囲の人たちや土地柄になかなかなじめずにいたが、ただ一人心を許したのが会社の同僚、日浅典博だった。互いに川釣りと酒が好きで、すぐ意気投合した二人は、静かな交歓を深めていく。その関係に変化が生まれたのは、日浅が会社を辞め、互助会(結婚式、葬式などに備え、会費を積み立てるシステム)の訪問営業の仕事に就いたことがきっかけだった。ふたりは少しずつ疎遠になり、孤独な時間に戻ってきた頃に、震災が発生。今野は、日浅の消息が分からなくなっていることを知る――というのが、『影裏』のあらすじだ。

 映画『影裏』の公式HPには「突然消えた親友。哀しみも、過ちも、失って」とあり、実際にその通りのストーリーなのだが、原作の小説にドラマティックな展開はほとんどない。“今野は同性愛者で、かつての恋人は性別適合手術を受けて女性として生きている”という重要なエピソードも、うっかりすると読み落としてしまうほどのさりげなさでしか描かれていないのだ。主要な人物である今野、日浅の背景もほとんど説明されず、ただ日常だけが淡々と過ぎていく。そう、小説『影裏』の魅力の中心にあるのは、驚くような物語性でも緻密な構成力でもなく、一見、何事もなく過ぎていく日常の描写そのものだ。

 たとえば、「一種の雰囲気を感じて振り仰いだら、川づたいの往還に、立ち枯れたように直立している電子柱の頂に、黒々と蹲る猛禽の視線と私の視線がかち合ったりした」(10Pより)もそうだが、ひとつひとつの描写が美しく、読み手に情景を喚起させる力も十分。ストーリーとは関係のないところで、小説を読む悦楽を存分に感じることができる。頭のなかで音読するとわかるのだが、日本語の響きを活かした(いわばキャッチ—な)言葉遣いもきわめて魅力的だ。また、今野と日浅が釣りをする場面、酒を酌み交わす場面に顕著なのだが、作者の沼田が住んでいる盛岡の生出川の描写はもちろん、ふたりが使っている道具や車、タバコやアウトドア用のグッズなどを詳細に描いていることも印象に残る。その根底にあるのは、何事もなく過ぎていく日々に対する、執着と言っていいほどの愛情だろう。

震災がもたらした変化

 小説『影裏』の通奏低音になっているのは、東日本大震災だ。本作における震災の扱い方については、芥川賞の選考委員の間でもかなり評価が分かれていたが、小説全体を覆っている暗い予感、“いつかすべてが崩壊してしまう”という予兆を示すメタファーとして十分に機能していると思う。稲垣吾郎が司会を務める読書バラエティー『ゴロウ・デラックス』(TBS系)に出演した際に沼田は、「2010年から11年。あの時代の人や社会を書けばおのずと震災のにおいがしてくる」とコメントしているが、具体性をあえてぼかし、“におい”として存在させることで、読み手の感情にまとわりつくような濃密な表現につながっているのだ。

 小説の終盤、消息不明になった日浅の足跡を調べるなかで、今野は日浅の裏の顔を少しずつ知ることになる。決定的なことは何も起こらず、全貌はまるでわからないままに小説は終わりを迎え、その後には、大切なものが失われているという薄暗い思いだけが残る。ぼんやりと過ぎていく日常のなかで、決定的なことは何も起こらない。我々は“いつの間にか、取り返しがつかないほどに変わってしまっていた”という事実に後から気づくだけなのだ。

 最後に、本作の映画化について。映画になることが決まった後で小説を読んだので、今野には綾野剛、日浅には松田龍平のイメージが付きまとってしまったが、違和感はまったくなく、頭のなかで、それぞれの言葉を綾野、松田の声で再生することを楽しんだ。映画のなかではおそらく、原作の時間の流れも変更され、新たな物語として再構築されるはず。できれば映画の公開前に、小説「影裏」の濃密な空気を味わうことをおすすめしたい。

■森朋之
音楽ライター。J-POPを中心に幅広いジャンルでインタビュー、執筆を行っている。主な寄稿先に『Real Sound』『音楽ナタリー』『オリコン』『Mikiki』など。

■書籍情報
『影裏』
沼田真佑 著
価格:本体550円+税(文庫版) 
判型:文庫
発売:文藝春秋
公式サイト

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