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Yo-Seaから紐解く、CHICO CARLITOら沖縄出身ラッパーに共通する“メロディアス”なフロウ

リアルサウンド

19/4/7(日) 8:00

 BCDMGに所属するシンガー/ラッパーのYo-SeaがEP『7878』をリリースした。意外にも彼のまとまった作品集はこれが初めて。Yo-Seaは2018年2月に「I think she is」で突如シーンに現れてから、BCDMGやKANDYTOWN周りのアーティストたち、さらに同年代のHIYADAM、Taeyoung Boy、3Houseらとの共演曲を発表し続けていた。また宇多田ヒカル「Too Proud(remix)」をビートジャックした「Too Proud (Remix) feat. Yo-Sea」も話題になった。

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 近年はCHICO CARLITOや唾奇というメロディアスなフロウを使うアーティストが沖縄から立て続けに登場した。なかでもYo-Seaのスタイルが新鮮なのは、“ラッパー寄りのシンガー”でも、“シンガー寄りのラッパー”でもなく、ラップと歌が完全にクロスオーバーしている点だ。こういうアーティストは、他にRIP SLYMEのPESとKREVAしか思い浮かばない。そこで本稿ではYo-Seaを中心に沖縄のメロディアスなフロウについて考察する。

・USのラッパーたちが本格的に“歌い出した”2016年

 順を追って話していこう。Yo-Seaは、歌うことがとにかく大好きだったとインタビューで明かしている。これを読むと、おそらく彼のスタイルはひとつの明確な何かに起因するものではないだろう。彼が育った環境、音楽をはじめたタイミング、そして世界の音楽トレンドなどが絡み合って生まれたものだと考えられる。

 Yo-Seaは、音楽マニアではなかったが、よく自宅でゴスペルを聴いてリラックスしていたという。さらに家族が好きだったZeebra、RIP SLYME、松任谷由実、山下達郎などにも影響を受けた。教師を目指して勉強をしていたが、やはり歌が諦めきれなかった。しかし、音楽をやりたくてもまったくツテがなかった。クラブやライブハウスには行っていなかったからだ。そんな時、たまたまInstagramで沖縄のビートメイカーを見つける。勇気を出してコンタクトしてみると、気軽にレコーディングに誘ってくれた。「I think she is」はその時に誕生した。それが2016年。この年はUSのラッパーたちが本格的に“歌い出した”時期。そのトレンドが加速して、2019年の現在はラッパーとR&Bシンガーの境界線が非常に曖昧になった。

 また2016年は日本でもUSヒップホップの歌うフロウが本格的にブレイクした。BAD HOP「Life Style feat. T-Pablow, YZERR」のMVがYouTubeで公開されると同時に驚異的な再生回数を叩き出したことがその象徴だ。さらにいえば、日本でK-POPのムーブメントが再燃したことも見逃せない。韓国にとってアメリカ文化は非常に身近なものだ。それは90年代まで多くの韓国人がアメリカに移民として暮らしていたからだ。ヒップホップサバイバル番組『SHOW ME THE MONEY』がお茶の間レベルの人気番組なのも、その辺りが深く関係している。当然K-POPアイドルの楽曲にもUSヒップホップのトレンドはダイレクトに影響を受け、それが日本にも入ってきていた。代表的な楽曲はBTS「피 땀 눈물 (Blood Sweat & Tears)」だ。USから始まったメロディアスなフロウは、こうしたさまざまな流れの中で日本に定着していった。

・沖縄の土地と人に染み付いた音楽の感覚

 話を戻そう。Yo-Seaは自分のルーツは海にあると前述のインタビューで話していた。彼はクラブやライブハウスではなく、海で一人で歌っていたというのだ。つまりこれまで書いてきたカルチャー面の話は、あくまで彼を構成する小さな要素でしかなく、本質はおそらく沖縄という海に囲まれた島の空気感にあるように思える。

 沖縄といえばもともと赤土クルーのRITTOが有名で、近年は『フリースタイルダンジョン』で注目されたCHICO CARLITO、そしてその盟友である唾奇も大きな注目を集めるようになった。彼らはUSのトレンドとは別のところでフックに歌を取り入れることが多い。さらにYo-Seaと同じクルー・Southcatに所属する3Houseも2018年6月に公開したMV「Purple Rain」でデビュー。彼らの歌の感覚も、沖縄という土地に起因しているように思える。ここからは想像の域になってしまうのだが、沖縄ではいたるところで民謡が聞けるという。結婚式やお葬式はもちろん、町の居酒屋、親戚の集まり、子守唄にいたるまで、本土では想像がつかないほど土地と人に音楽が染み付いているそうだ。この感覚と沖縄の多種多様な訛り、さらに彼らにビートを提供するプロデューサーたちが持つ沖縄のイメージとが合わさった時、あのメロディアスな感覚が生まれたのではないだろうか。

・本土の人間がまだまだ理解してない悲しみ

 みなさんは6月23日が何の日かご存知だろうか。沖縄全戦没者慰霊祭が行われる日で、沖縄では「慰霊の日」として学校などは休みになる。恥ずかしながら、私はこのことをCHICO CARLITOのライブのMCで知った。沖縄には本土の人間がまだまだ理解してない悲しみがある。だが私は同時に美しいメロディは悲しさややりきれなさから生まれると考えている。それがメロウであると。ハッピーな音楽だと考えてられているレゲエは、ジャマイカの血なまぐさいゲトーから生まれたのと同じ理屈だ。

 Yo-Seaは静岡出身だが物心ついた時にはもう沖縄に移住していた。彼は海を見ながら何を思っていたのだろうか。目に映る海は何色だったのだろうか。空には米軍の飛行機は飛んでいたのだろうか。映画『アート・オブ・ラップ』でモス・デフは「音楽は土地に影響される」という旨の話していた。だから同じアメリカのヒップホップでも、ニューヨークとロサンゼルスなどではまったく違うサウンドになるんだ、と。沖縄からメロディアスなヒップホップ/R&Bのアーティストたちが生まれた根本的な理由には、そうした土地のメロウネスが関係していると思った。(宮崎敬太)

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