Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

ある家族の肖像を描き、私たちの1年を総括 藤原竜也VS柄本明の“劇薬”舞台『てにあまる』の衝撃

リアルサウンド

20/12/30(水) 8:00

 激動の1年となった2020年を、なんとか終えようという12月も下旬。この年の瀬に、思いがけず劇薬を口にしてしまった。東京芸術劇場・プレイハウスにて上演中の舞台『てにあまる』のことだ。本作は、劇団サンプルの松井周が脚本を書き下ろし、柄本明が演出を担当するうえ自身も出演するもの。藤原竜也が主演を務め、高杉真宙、佐久間由衣らの4人が舞台いっぱいに火花を散らし合っている。

 本作を端的に言い表すならば、“家族の物語”だ。家族モノというジャンルにもいろいろあるが、ほのぼのとした家族の肖像が描き出されるわけではない。先に述べたように“劇薬”ともいえるものである。物語は、ある日、ひとり暮らしをしている老人(柄本明)のもとへ、一人の男(藤原竜也)がやってくる。この男はベンチャー企業の経営者であり、彼は老人を家政夫として自宅に住まわせ雇うことに。男の周囲には、彼を慕う部下(高杉真宙)がおり、そして、彼と離婚をしたがっている別居中の妻(佐久間由衣)がいる。男は自ら老人を迎え入れたにもかかわらず、この老人の介入によって、すべてが大きく歪みはじめていくことになるーー。

 本作の主軸であり見どころとなるのは、なんといっても、“藤原竜也VS柄本明”という演劇人が対立し溶け合う構図。想像すれば分かるだろう、劇場にどれだけの緊張感が張り詰めていることか。本作は、これから地方公演も含めて長く続く。2021年の観劇初めとして楽しみにしている方も多いのだろうから、核心に触れてしまうようなネタバレは避けたい。

 主演を務める藤原が“演劇の申し子”ともいわれていることを知る方は、どれくらいいるだろうか。映画作品などで演じるアクの強いキャラクター像が独り歩きしている感が否めないが、やはり藤原の真骨頂は舞台の上にこそある。舞台上で躍動する生の藤原を筆者が目にするのは、2018年の『ムサシ』以来のことだった。やはり、彼がその第一声を発しただけで、舞台上にその姿を現しただけで、つい涙がこぼれてしまう。彼が登場することによって変化する劇場空間を知覚することで、いわば生理現象のように。

 本作で藤原が演じる男は、とあるトラウマを抱え、それに苛まれている存在。社会的には成功していようとも、その内面は不安定で、藤原は緩急自在な話芸で表現する。ときにダラダラ言葉を垂れ流し、ときに他を圧する勢いでまくし立てる。男は統合失調症のような状態にあり(あくまで筆者の主観)、薬を服用せずにはいられない。それを体現するかのごとく、藤原の演技もグルグルと切り替わる。まるでなにかに取り憑かれているようで、見ていて思わず戦慄が走ってしまう。

 とはいえ、それは演じる自分自身を見失ったり、溺れたりするようなものではけっしてない。“緩急自在な話芸”と先に記したが、彼の発話における“演劇的な間”は心地が良い。もちろん本作の場合にかんしては、セリフ自体は聞くに堪えないものが多い。だが、聞き惚れてしまうのだ。当然ながら計算されたものなのだろう。

 そんな藤原を支え、迎え撃つのが演出も兼ねる柄本だ。誰もが知るクセモノ俳優であり、演劇界の巨人である。“藤原竜也VS柄本明”ーーとは先述したとおりだが、ふたりの“ズレている”掛け合いが面白い。劇中では、彼らが会うのはおよそ20年ぶりなのだという。若き経営者と、さもしい独居老人。立場が大きく異なるふたりは、価値観もまったく異なる。この相反する関係性から生まれるズレも当然あるのだが、激しやすい性格の男を演じる藤原のほとばしる熱情に対し、浮世離れした感のある老人を演じる柄本のサラリと身をかわすような芝居。このズレが面白いのだ。そうしてこのズレは、やがてほかの登場人物との間にも大きく表れてくる。

 恥ずかしながら筆者は、舞台での高杉を初めて見たのだが、こんなにも素晴らしいとは知らなかった。映像作品での彼にかんしては追いかけてきたつもりだが、いま猛省している。まず、発声、滑舌……などといった、演劇に必要とされるそもそもの基礎力が非常に高いと感じた。彼が演じたのは、藤原演じる男と、佐久間演じる妻に翻弄される役どころだが、男を思い慕う真っ直ぐさと狼狽ぶりを柔軟に演じ、観客から笑いを引き出す役割も引き受けていた。筆者は劇場一階の後方席で、演者たちの細かな表情までは捉えられなかったのだが、高杉の柔軟性によって、“見えないはず”のその表情がありありと浮かんだ。

 佐久間は本作が初舞台。藤原と柄本、同世代ながらも舞台経験の豊富な高杉たちのなかに飛び込んでいくのは、かなりチャレンジングな経験となったのではないだろうか。ほかの3者と並ぶと、どうしても声量などの弱さがはじめは目立ってしまっていたが、シーンが進むにつれ、とくに夫役である藤原がエキサイトし演技もヒートアップしてくると、彼女もつられてヒートアップ。佐久間は演技におけるリアクションがとてもいいのだ。今後の舞台出演への期待を抱かせるものだった。

 さて、本作は家族の物語だが、それ以前に注目したいのが、コロナ禍であることを反映させた作品だということ。物語の冒頭、藤原が演じる男はマスクを着用して登場する。老人の自宅に訪れるシーンだ。ふたりは、およそ20年ぶりの再会であり、すでに室内にありながらも、男はマスクを外さない(しかも、うっかり土足で上がり込む)。これは、得体の知れない異物を遮断しつつ、自身の素顔(=本心)を隠そうとしているようにも思えた。そしてこれが、あとで効いてくる。異物(=老人)に蝕まれ、素顔を暴かれることになるのだ。

 現在のコロナ禍において誰しもが、家族という小さなコミュニティや、あるいは自己という存在に向き合わざるを得ないのではないかと思う。それを舞台上で展開させているのが本作だ。ある対象に“向き合う”ことで、それまで潜んでいた問題が見えてくることがある。いまの私たちの社会がそうだ。多くの問題があちこちで浮上し続けている。この1年の出来事を、いち早く過去のものにしてしまいたい年の瀬だが、本作を観たことによって引きずることになりそうだ。そう考えると本作は、ある家族の肖像を描きながら、私たちの1年を総括するものにも思えるのだ。

 あらすじの最後の方に、“これは家族をやり直そうとする物語。あるいは、家族を終わらせようとする物語。”ーーとある。ここでの主語は、いくらでも置き換えられるはずだ。それは、希望的なものであり、絶望的なものでもあるだろう。答えは観客の一人ひとりに委ねられているのだ。藤原演じる男が過剰に服用する薬が象徴的なように、それは観客である私たちにも投与されることになる。やはりおそらく、劇薬である。俳優たちにしろ、物語にしろ、まさに“手に余る”作品だ。

■折田侑駿
1990年生まれ。文筆家。主な守備範囲は、映画、演劇、俳優、服飾、酒場など。最も好きな監督は増村保造。Twitter

■公演情報
出演:藤原竜也、高杉真宙、佐久間由衣、柄本明
脚本・演出:松井周
舞台監督:幸光順平
公式サイト:https://horipro-stage.jp/stage/teniamaru2020/
公式Twitter:@teniamaru
写真撮影:宮川舞子
主催:ホリプロ/TOKYO FM
特別協賛:Sky株式会社
企画制作:ホリプロ

<東京公演>
期間:2020年12月19日(土)〜2021年1月9日(土)
(12月28日〜1月3日休み)
会場:東京芸術劇場プレイハウス
主催:ホリプロ/TOKYO FM

<大阪公演>
期間:2021年1月19日(火)〜1月24日(日)
会場:新歌舞伎座
主催:新歌舞伎座

<愛知公演>
期間:2021年1月26日(火)〜1月 27日(水)
会場:刈谷市総合文化センター大ホール
主催:メ〜テレ/メ〜テレ事業

<三島公演>
期間:2021年1月30日(土)〜31日(日)
会場:三島市民文化会館・大ホール
主催:静岡朝日テレビ/三島市民文化会館

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む