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古谷実『ヒメアノ~ル』が名作とされる理由 元少年Aが共感した、サイコキラーの苦悩

リアルサウンド

20/9/15(火) 18:48

 古谷実といえば『行け!稲中卓球部』をはじめとしたギャグマンガの印象も強いが、2001年に『週刊ヤングマガジン』で連載が開始された『ヒミズ』以降は、人間の内面における狂気や絶望、不条理などをテーマに描くシリアスな作品が続く。実際『ヒミズ』の単行本が発売された際は、「笑いの時代は終わりました…。これより、不道徳の時間を始めます」という衝撃的なキャッチコピーが帯に印字されていた。

 2008年に連載が開始された『ヒメアノ~ル』は、『ヒミズ』の流れを汲んだ作品の一つで、平凡なビル清掃員の岡田とカフェ店員のユカ、岡田の先輩である安藤を軸に繰り広げられるラブコメシーンと、ユカを殺したいという欲望を抱く森田が巻き起こすサスペンスシーンが平行して進んでいく。この記事で特に言及したいのは、森田の存在である。彼は殺人に性的な興奮を覚えるサイコキラーであり、高校時代に自身を壮絶ないじめ地獄に陥れていたクラスメイトの河島を殺してから、殺人鬼としての人生を歩みだす。

 サスペンス映画や漫画でサイコキラーが出てくる作品は少なくないが、多くは“理解不能な異常者”として悪役ポジションを担っている。たとえば、2008年に原作小説の連載が始まり2012年に漫画・映画化された『悪の教典』では、表向きは爽やかで人気者の高校教師が実はサイコキラーで、校舎内で生徒を次々と惨殺していく。2013年に原作漫画の連載が始まり2016年に映画化された『ミュージアム』は、猟奇的な殺人事件を起こすカエル男と刑事によるバトルがストーリーの主軸になっている。どちらの作品においても読者や観客は、被害者の一般市民に自分を重ねて怯え、サイコキラーを追い詰める側を応援するだろう。『ヒメアノ~ル』は、これらの作品と一線を画している。それは、サイコキラーという異常者に生まれてしまった森田の苦悩をテーマとして描いた作品だからだ。

 森田は自身の性癖に苦しみ、常に孤独を感じている。それは彼のモノローグや他の登場人物との会話から垣間見えるのだが、特に彼の悲哀が強く感じられるのは最終話の「マヌケニンゲン」である。何人もの人間を殺したあとに公園で寝ていた森田は、中学時代に“自分が普通じゃない”と気づいたときのことを不意に思い返す。そしてそのときの感情を「もう本当に悔しくて…その場で死にたくなった……泣いちゃったよ……」と語る。

 見開きのページには、山や田んぼに囲まれた田舎道で蹲る中学生の森田。傍らには先ほどまで乗っていただろう自転車が倒れていて、地面に落ちた通学鞄からは教科書やノートが零れている。常に無表情で感情の読めない森田の人間味が強く感じられ、異常に生まれてしまった者の痛みが滲み出ているシーンである。善良な市民には理解しえないはずの異常者の内面を生々しく描くことで、読者は森田に少なからず感情移入してしまい、心から憎むことができなくなってしまうのだ。

 本作品は、2016年にV6の森田剛、濱田岳によるW主演、R15+指定で映画化され高い評価を得たが、ストーリーや設定は原作から所々変更されている。最も大きな変更点は。森田の異常性が後天的なものとして描かれている点である。映画の中の森田は元々普通の少年であり、岡田とも友達だったのだが、いじめをきっかけに精神に異常をきたし、殺人鬼になったという流れになっている。映画のラストで森田が警察に連行される際に一度だけ元の人格を取り戻し、岡田に笑顔で「またいつでも遊びに来てよ」というシーンも挿入されている。

 映画オリジナルの設定について、監督をつとめた吉田恵輔は、「赤ちゃんのときから殺人鬼みたいな人って絶対にいないと信じたいので。でも逆に言えば、どんなにいい人って思われてる人間でも、環境と運が悪ければ誰でも怪物になり得る」(引用:https://natalie.mu/comic/pp/himeanole/page/2)と言及している。原作からの改変については賛否両論あるものの、“誰でも怪物になり得る”すなわち、自分の身にも降りかかるかもしれないという別の角度からの恐ろしさは、映画版でしか味わえない重みを感じさせてくれた。

 実在するサイコキラーによる事件で第一想起するのは、1997年に発生した神戸連続児童殺傷事件である。14歳の少年による犯行であったこと、極めて猟奇的で残酷な殺害方法であったこと、挑発的で犯行声明文がマスコミに送付されたことなどから、記憶に焼き付いて離れない。加害男性は2015年に「元少年A」名義で『絶歌』という名の手記を出版し、再び世間に波紋を呼んだ。

 本書は二章に分かれており、第一章では事件に至るまでの心情や経緯、第二章では少年院出所後の人生が綴られている。その第二章では、元少年Aが古谷実のファンで、『ヒメアノ~ル』を「僕がいちばん好きな古谷作品」といい、特に先述した最終話の「マヌケニンゲン」で森田が自分の過去を回想するシーンには自分を重ね、漫画を読んで初めて泣いたことが綴られていた。本書ではこれ以外にも、彼が普通に生きられなかった苦悩が所々に綴られおり、元少年Aは確かに森田に通じる点があるようにも感じた。これは、『ヒメアノ~ル』が非常にリアルにサイコキラーの心理を描いた秀逸な作品である証拠ともいえるだろう。

 ちなみに『ヒメアノ~ル』のラストシーンはかなり唐突で、公園で寝ていた森田が警察官に発見されて即終了となる。しかし、漫画を閉じた後も森田のことが頭から離れない。捕まった後、森田はきっと死刑になるだろう。死を待つ間、森田は何を考えるのだろう。ユカを殺せなかったことを悔やむのだろうか。それとも、自身の運命を呪うのだろうか。そして、現実にも発生しうる森田のような存在を私たちはどう受け止めるべきなのだろうか。漫画自体はあっさりと終わるにもかかわらず、読者の胸にはズシンと重たい何かを残していく。ある意味、後味の悪い読後感も、この作品が名作といえる理由の一つである。

■南 明歩
ヴィジュアル系を聴いて育った平成生まれのライター。埼玉県出身。

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