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『クリード 炎の宿敵』に刻まれたドラゴ親子の30年 歪な構造が“奇跡”の作品に

リアルサウンド

19/2/25(月) 12:00

 『クリード 炎の宿敵』はこの十数年間で一番と言っても過言ではないぐらい号泣してしまった作品でした。正直、冷静に鑑賞できたという自信はないのですが、素晴らしい映画とはそういうものだという確信があります。ここまで泣いたのは『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』以来です。つまり、大人になった(なってしまった)からこそ刺激されるポイントが多々あるのです。そこをひたすら突かれるかのような映画でした。ただ、本作は決して“完璧”な作品ではありません。前作『クリード チャンプを継ぐ男』の完成度が高かったこともあり、本作に対して否定的な意見があるのも分かります。人物描写やストーリー運びなど、誰もが納得するスマートさがあるとは言い難い。でも、一作目の『ロッキー』から前作『クリード』まで、すべてを見てきた自分にとって、子を持つ親となった自分にとって、本作は現時点で2019年度ベストの基準になっています。

参考:『クリード 炎の宿敵』は新たなチャレンジが少ない旧世代のための映画? シリーズの存在価値を考察

 本作の捉え方が観る方によって大きく違うのは、映画の中に流れている“時間”を共有できるか否かがひとつの要素としてあったと思います。主人公アドニス・クリードが今回戦う相手は、『ロッキー4/炎の友情』でロッキーに破れたイワン・ドラゴの息子ヴィクターです。ドラゴはクリードの父・アポロを倒した(殺めた)相手であり、クリードにとって因縁の相手。一方、ドラゴはロッキーがフィラデルフィアの、アメリカの英雄となっていったのとは逆に、ソ連(ロシア)を追放され、妻・ルドミラ(ブリジット・ニールセン)にも見放され、どん底状態に。映画の冒頭、ドラゴとヴィクターが日雇い労働のようなものをしている様子が映し出されますが、ドラゴを演じるドルフ・ラングレンの顔を観た瞬間に、僕はこみ上げてくるものがありました。彼自身も『ロッキー4』でスターとなるものの、人間核弾頭というイメージから離れられず、いつも演じているのは感情のない兵士が最後に自分を利用していた国や組織に反逆するか、最後まで感情のないままの兵士ばかりで、最近ではロボットや鮫と戦い、私生活でも離婚があったり……というキャリアを知っているだけに、ドラゴがどんな人生を過ごしてきたか、映画の中で説明されるわけではないのに、勝手に脳内補完がされてしまって、そこにドラゴの30年の月日が見えたのです。

※以下、ネタバレ含みます

 だから、クリードとヴィクターの最後のボクシングシーンは、クリードというよりもヴィクター、その後ろにいるドラゴに感情移入しっぱなしでした。ドラゴ親子はクリードを打ち破ったことにより(判定ではヴィクターの反則負け)、ロシア祖国からも祝福を受け、元妻(スタローンの元妻でもあるブリジット・ニールセンが登場した時は、仰天しました)も再びすり寄ってくるのです。ようやく底辺から抜け出し、栄光を掴みかけていたわけですが、物語の構造上、最初に負けたクリードがロッキーとの特訓を経て、ヴィクターに勝つことは分かりきっているわけで……となると、彼らにどんな“敗北”を与えるかが重要なわけです。

 パワーアップしたクリードを相手に押されながらも、自身のため、父のためにヴィクターも応戦し、ドラゴも卑怯な手を使ってでも勝つように指示を出します。それでも徐々に形勢が悪くなっているドラゴ親子に、止めをさしたのはクリードの拳ではなく、試合を観ていた母・ルドミラが立ち去っていく姿でした。ルドミラがいなくなった席を見て、一気にドラゴが弱っていくさまには、まるで「人間とはこういう生き物なのだ」と断言されるのような神々しさがありました。彼の戦いはここで終わったのです。

 そしてドラゴが最後に取った選択に感動しました。『ロッキー4』は、サブタイトルの「炎の友情」が示すように、アポロのセコンドをしていたロッキーが、アポロの意志を尊重するというその友情がゆえに、彼は命を落としてしまいます。なぜあそこでタオルを投げなかったのか、というロッキーの後悔の念が、その後のシリーズでも描かれていくわけです。そしてその思いが、『クリード』1作目でアポロの息子・アドニスを育てるところにも繋がるわけですよね。そういったシリーズの流れと積み上げてきた時間を、ドラゴがタオルを投入するという形で回収する。もう完璧すぎる伏線回収です。ある種、息子を自分の名誉のために育てあげてきたドラゴが、最後の最後に名誉よりも本当に大事なものに気づく。自分も息子への思いをめぐらせたらもう涙が止まらなかったです。

 はっきり言って、本作の構造は変なんです。映画の冒頭も、ラストカットも、映るのはドラゴ親子。『ロッキー4』を見ていない人にはなんと不親切な構成でしょう。しかも試合のシーンで物語の決着を敵につけさせるというのは歪です。止めを刺したのはクリードでもロッキーでもなく、ルドミラですから。しかし作り手がドラゴ側に寄せなければ結末にいけない、という気持ちも分かります。ドラマの厚さが今回は敵の方が圧倒的ですから。だからこそ奇跡の映画になっていると思います。長寿シリーズというのは数多くありますが、『ロッキー』から『クリード』へ、こんなに素晴らしい形で繋げたことは改めてすごいことです。映画って長く観ているとこんなこともあるんだな、と思いました。正直『ロッキー4』は名作とは言い難いです。かつては試合に負けても、別の勝利を手にしたはずのロッキーがアメリカを代表してソ連と戦うという時代を反映した(しすぎた)映画です。80年代ならではの異様なテンションはありますが、『1』にあった奇跡のような映画とは異なります。しかし『クロード 炎の宿敵』には幼い頃にそれらの映画を観て感動したものを、現代的にアップデートしようという志を感じるのです。そしてスタローンの人生で出来なかったことを『ロッキー』というシリーズで描こうという決意も。『クリード チャンプを継ぐ男』の直前に亡くなった実子、セイジ・スタローンへの想いも作品の中に取り入れているのです。スタローン自身の覚悟が本作にはあります。

 また、本作を観て感じたのは、『ロッキー』シリーズであると同時に、紛れもなく2010年代の映画ということ。過去の『ロッキー』シリーズは、作品ごとにテーマを変えてはいるんですが、構造はシンプルで、基本的にはロッキーの物語でしかないんです。有名すぎるエイドリアンも、実は続編では存在が薄いんです。『2』はせっかく勝利するのにテレビで見てるだけでしたし、『3』ではアポロに夫を取られてしまいます。でも、『クリード』2作は、クリード自身だけではなく、妻・ビアンカとの関係、難聴として生まれた娘、前作では癌と戦っていたロッキーのことなど、到底1作品では収まりきれないさまざまな要素を詰め込んでいるんです。だから、続編への種が随所に散りばめられている。そして、上映分数もあわせて長くなる。決して、それが悪いというわけではないのですが、マーベル・シネマティック・ユニバースが象徴的なように、観客をとにかく引っ張るということが、今のアメリカ映画には求められているのでしょう。

 ロッキーとはそんな時代の要望にも応えられるキャラクターなのです。

(松江哲明)

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