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『おちょやん』道頓堀編までを振り返る 時代への忠実性から見える“不変かつ普遍なるもの”

リアルサウンド

21/1/3(日) 6:00

 お茶子の千代(杉咲花)が座布団を抱えて駆け抜ける道頓堀の風景ーー劇場の呼び込み、チンドン屋、一張羅を着た芝居見物の客たち、弁当を担いだ棒手振。9歳の千代(毎田暖乃)が初めてここに来たときには見当たらなかったモガが、しゃなりしゃなりと歩いている。『おちょやん』(NHK総合)の、まるで大正時代の白黒写真がフルカラー化・3D化したような街の風景には、いつも目を奪われる。

 このドラマの作り手は、当時の人々の生活や「在り方」の臨場感にとことんこだわっているとみえる。特に第10話の台詞に息を呑んだ。父・テルヲ(トータス松本)の夜逃げの報せを受けたうえに、奉公先である岡安のご寮人さん・シズ(篠原涼子)からクビを言い渡され、街を彷徨う千代。お家さんのハナ(宮田圭子)がホームレスのおっちゃんらから得た目撃情報で千代を見つけ出すのだが、このときハナが発した「この街のことは乞食の小次郎はん(蟷螂襲)に聞くんが一番や」という言葉にハッとした。「乞食」ーー厳密に言えば、いわゆる「放送禁止用語」と呼ばれるものには当たらないものの、長らくテレビで使うには慎重視されている単語だ。クレームを恐れて、別の表現に置き換えようと思えば容易い。しかし、大正時代の道頓堀の街の成り立ちや人々の生活、社会背景を忠実に再現しようとするなら、当時使われていたままの言葉を使うのが筋であると、おそらく制作陣は考えたのだろう。

 「道頓堀編」では、岡安と小次郎たち「乞食」が、持ちつ持たれつの関係であることが繰り返し描かれた。ハナは親しみと敬意を持って彼らに接し、助けてもらえば「これであったかいもんでも食べて」と寸志を渡す。シズが昔の思い人・延四郎(片岡松十郎)から受け取った手紙の束を燃やしに向かった先は、小次郎が暖を取る焚火だった。千代は、お客の弁当の残りを小次郎たちに回してフードロスをなくし、往来で彼らに出会えば軽口を叩き合う仲だ。長年、道頓堀の街を見てきた守り神のような存在の「乞食」たち。そして彼らは、居場所をなくしかけた幼き千代を見つけ出し、テルヲの作った借金のカタに千代を売ろうとする借金取りから守ってくれた恩人だ。それも岡安と彼らのつながり、日ごろの千代と彼らの関係性から自然に生じた行動と思える。アダム・スミスの言葉を借りるなら「分業に基づく協業」というやつであろうか。人それぞれの立場と役割があって社会は成り立っている。都合よく「千代のために作られた社会」に生きているのではなく、もともとある社会の中に千代が生きている。そこにこそ物語がある。

 さらに、姿を現しこそしなかったものの、道頓堀を裏で取り仕切る極道らしき存在も匂わされていた。千代を逃した後、借金取りに元本相当の金を渡して手打ちとし、「これ以上よそもんが調子乗ってたらどないなことになるか、わかれしまへんよって!」とシズが切った啖呵は、地元の「みかじめ」を行う大きな組織があることを言い表していたともとれる。江戸の昔から、興行とヤクザは切っても切れない縁。芝居の街・道頓堀を舞台に時代性を重んじて描くドラマとして「なきもの」にはしない。それをシズの「ハッタリかもしれないし、実際に後ろ盾があるのかもしれない」と、どちらともとれるシーンとして“朝ドラサイズ”に落とし込む作劇が見事だった。

 そして、なんといっても千代の父・テルヲの存在が際立つ。酒に溺れて働かない、博打と借金を繰り返す、子どもたちをネグレクトする、挙げ句の果てには、やっと自分の生きる道を見つけた千代に寄生し、借金のカタに売ろうとする……。まさに「朝ドラ史上、最クズ親父」と呼ぶにふさわしい人物造形だ。テルヲを演じるトータス松本が、公式サイトの特集コーナー「テルヲのいいわけ」にて「テルヲには生きてきた経験値が積み上げられてない、全部デリートしてる」と分析するように、本物のバカだ。トータスの、役を深く理解しつつ適切な距離を保ち、「振り切ったバカ」を演じ切る姿が見事だ。

 おちょぼ(見習い)として8年岡安に奉公し、年期が明け、正式にお茶子として岡安で働くことを望んだ千代。その矢先にテルヲが現れて放った「娘が親助けるって当たり前のこっちゃないけ」という台詞に背筋が凍る。多くの時代物の朝ドラにおいて、父親は「ヒロインに立ちはだかる『時代』という障壁」の象徴として機能しているが、ここまでヒロインの父を「時代の闇」として描き切る朝ドラもなかなかない。しかし、こんな父親は当時たくさんいたのだろう。テルヲのようなダメ親父でさえ、詭弁に使うことのできる「家父長制」という因習。朝ドラなので描けないが、多くの父親は言うことを聞かせるために暴力も辞さなかったはずだ。ヒロインのモチーフとなった浪花千栄子さんの幼少期はもっと凄まじいものだったと聞く。

 ところが、このテルヲの「クズ描写」が、物語の中で実によく効いている。もしもテルヲの造詣がもっとソフトで、令和の視聴者好みに漂白されたものだったら、千代の「うちはどこにも行きとうない!」という台詞が、「胸がちぎれるほどの渇望」として伝わってこないし、命の危険にさえ晒されつつあった自分に「生き直す場所」をくれたシズに恩返しがしたいという千代の悲願も、ぼんやりしたものになるだろう。人は、環境によって作られる。だからこのドラマは「時代」を可能な限り忠実に再現し、その時代に生まれた人々の「生」を刻みつけようとしているのではないだろうか。

 同時に、「むかし」を忠実に描くからこそ「不変かつ普遍なるもの」が浮き彫りになってくる。船着場でシズが千代にかけた「これからは自分のために生きますのや。生きてええのや」という言葉は、複雑多様化した現代、何らかの生きづらさを抱える私たちの胸に深く響く。少女編から絶えず発し続ける、「枷になるなら属性を断ち切っていい。家族も捨てていい。誰にでも幸福を追求する権利があり、自分の幸せは自分で作れる」というメッセージだ。

 シズに見送られ、小舟に乗って旅立つ千代が「こないなドブ川にも花が咲くんやな」と言い表した、水面に映る灯り。それは、清濁併せ呑む社会へと旅立つ千代の、そして視聴者にとっての希望だ。小舟を漕いで旅立ちを助けるのは、あの小次郎だった。

■佐野華英
ライター/編集者/タンブリング・ダイス代表。エンタメ全般。『ぼくらが愛した「カーネーション」』(高文研)、『連続テレビ小説読本』(洋泉社)など、朝ドラ関連の本も多く手がける。

■放送情報
NHK連続テレビ小説『おちょやん』
総合:午前8:00〜8:15、(再放送)12:45〜13:00
BSプレミアム・BS4K:7:30〜7:45
※土曜は1週間を振り返り
出演:杉咲花、成田凌、篠原涼子、トータス松本、井川遥、中村鴈治郎、名倉潤、板尾創路、 星田英利、いしのようこ、宮田圭子、西川忠志、東野絢香、若葉竜也、西村和彦、映美くらら、渋谷天外、若村麻由美ほか
語り:桂吉弥
脚本:八津弘幸
制作統括:櫻井壮一、熊野律時
音楽:サキタハヂメ
演出:椰川善郎、盆子原誠ほか
写真提供=NHK
公式サイト:https://www.nhk.or.jp/ochoyan/

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