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ジム・キャリーはアニメーションと実写の境を超える “原形質性”から考える“デジタル時代の俳優”

リアルサウンド

20/7/26(日) 12:00

 ジム・キャリーのことを「顔芸役者」と呼ぶ人がいる。

 それは侮蔑の意味がこもっている、らしい。コメディ以外の作品への出演も増えたことでそう呼ぶ人も減っているかもしれないが、彼が頭角を現した90年代にはそういう評価をする人も確かにいた。

 しかし、「顔芸役者」がなぜ侮蔑になるのか。彼の表情の柔軟さは誰にも真似できないというのに。むしろ、顔芸を封印した作品の方が世間的には役者として評価されやすい傾向がある。

参考:詳細はこちらから

 そんな彼の最新出演作『ソニック・ザ・ムービー』は、往年の彼の持ち味が存分に発揮された作品だった。『ソニック・ザ・ムービー』は、SEGAの生んだ世界的ヒットゲームを映画化したものだ。ゲームやコミックの世界を実写化することは常に難しいことだが、ジム・キャリーは軽妙にゲームの世界の住人になりきってみせる。

 デジタル技術の発達は、実写とアニメを接近させたばかりか、融合させつつあるが、役者の肉体そのものは強固なまでに実写だ。しかし、ジム・キャリーの肉体は例外だ。彼の肉体は鮮やかに、軽やかに、アニメーションと実写の境を超える。なぜなら、彼の肉体の柔軟さには、アニメーションの特質「原形質性」が宿っているからだ。

 この論考では、もっぱらアニメーションを論じる時に用いられる「原形質性」をキーワードに俳優ジム・キャリーという生身の俳優の魅力をひも解き、アニメーションと実写の区分がしづらくなったデジタル時代の俳優の重要な資質について考えてみる。

・原形質性とは
 原形質性とは何か。この言葉を最初に用いたのは、映画の基礎教養ともなっているモンタージュ理論の提唱者セルゲイ・エイゼンシュテインだ。彼自身はアニメーションを作っていないが、アニメーションに関する優れた論考を残している。

 原形質性とは、アニメーションにおける自由な形状変化を指す言葉だ。エイゼンシュテインは、自由に身体を伸縮させるディズニー作品のキャラクターに魅了され、以下のような言葉を残した。

「一度定められれば永久に固定される形状という拘束の拒絶。硬直化からの解放。ダイナミックにいかなる形状をも取りうる能力。この能力を私は『原形質性』と呼ぼうと思う。ドローイングによって具現化された存在は、形状を定められ輪郭を決定されていたとしても、原初的な原形質のようにふるまうからである」(『アニメーションの映画学』、P.66、第2章「柔らかな世界」)

 原形質的なアニメーションの魅力を存分に発揮する、近年の映画監督の例として最も適切なのは、湯浅政明監督だろう。『夜明け告げるルーのうた』の水の自在な動き、人魚のルーをはじめとするキャラクターたちの伸縮自在な身体、『夜は短し歩けよ乙女』など他作品も同様に湯浅作品のキャラクターたちは様々に身体を伸び縮みさせる。こうした形状変化は、実写作品にはない、アニメーション独自の魅力として多くの作品に大なり小なり見られるものだ。

 しかし実は、エイゼンシュテインは原形質的な魅力を持つものについてアニメーション以外にも見出している。映画批評家の今井隆介氏は、エイゼンシュテインが「ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』やドイツの児童小説の挿絵、日本の浮世絵において描かれてきたような柔軟に伸び縮みする身体の例を列挙し、ニューヨークのナイトクラブで骨や関節がないかのように身体をくねらせるスネーク・ダンサー」などに原形質性を見出していると語っている(『アニメーションの映画学』、P.21、第1章「“原形質”の吸引力」)。原形質性の魅力は確かにアニメーションにおいてその力を発揮することが多いが、提唱者のエイゼンシュテインはそれにとどまらない、普遍的な魅力を持った形式と見ていたのだ。

 アニメーション研究家の土居伸彰氏は、原形質性とはビジュアルレベルの変化のみを指すわけではなく、その神髄は見る者の意識のなかに生まれる変容、「具体的なかたちを持たない抽象的な『メタファー』を流転させる能力」のことで、現実に対して新たな理解をもたらすものだと自著で指摘している。(『個人的なハーモニー』、P.327)。

・『マスク』のCGはジム・キャリーの肉体を必要とした
 今日、実写映画においてさえ、肉体の可変性はCGによって実現されている。そのことを端的に証明した作品が、ジム・キャリーの出世作のひとつ『マスク』(1994年)だ。本作の驚きは実写とアニメーションの垣根を払い、原形質的な魅力を実写映画で再現したことにある。

 奇妙なマスクを拾った冴えない銀行員が、そのマスクをかぶると緑色の顔をした怪人に変身する。その怪人は、身体を自由自在に伸び縮みさせ、コミックキャラクターのように目玉が飛び出す。カートゥーン的なデフォルメを違和感なく実写映画に持ち込んだことが高く評価され、当時の観客に驚きを与えた。しかし、この映画の成功はCG技術だけでは語れるだろうか。CGによる肉体の可変可能性に説得力を与えたのは、CGなしでも顔面をしなやかに動かせるジム・キャリーだったのではないか。本作のCG技術は90年代としては確かに先進的で今見ても色褪せないが、CG未使用パートでも変幻自在に顔の筋肉を移動させる、ジム・キャリーの卓越した芝居があったからこそ、CGによるダイナミックな肉体変化に観客はリアリティを感じられる。

 『マスク』という作品自体、原形質的なメタファーにあふれた作品でもある。主人公が初めてマスクをつける直前に、カートゥーンアニメーションをテレビで観ていたのは偶然ではない。金目当てのゴロツキに風船アートで犬やマシンガンを作ってみせるシーンも、なんにでも形状を変化させる原形質的な本質をとらえている。

 土居伸彰氏は、CG時代の映像について興味深いことを語っている。

「メタファーとしての原形質性が発動しやすいデジタル時代のアニメーションにおいて実写とアニメーションが組み合わさるとき、アニメーションの方が実写よりもよりリアルに感じられる事態さえ生起する」(アニメーション的想像力の現在:ノルシュテインから『この世界の片隅に』まで 『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』(フィルムアート社)刊行記念イベント 資料)。

 凡百の役者が『マスク』の主演を務めたら、いかにCG技術がすごくともリアリティを得ることはなかっただろう(実際、ジム・キャリーが出演していない『マスク2』は、技術は向上しているはずなのに散々な出来だった)。ジム・キャリーという原形質的な役者がいたからこそ、あの極めてカートゥーン的な世界と現実空間とのリアリティレベルを合わせることができたのではないだろうか。

・『ソニック・ザ・ムービー』でなぜジム・キャリーはなぜ「無意味」に踊るのか
 『ソニック・ザ・ムービー』は、そんなジム・キャリーの原形質的な魅力を久々に堪能できる作品だった。本作で彼が演じるのは悪役のドクター・ロボトニックだ。マッドサイエンティストでソニックのスーパーパワーを手に入れるために、自ら開発した兵器でソニックを追い詰める。ジム・キャリーは自らの肉体とセンスを生かしてコミック的な芝居を披露する。それこそ、生身の肉体でフルCGのソニックとリアリティレベルで肩を並べていると言っても過言ではない。

 本作で筆者が最も印象に残ったシーンは、ジム・キャリーのダンスシーンだ。大筋のストーリーの中では、およそ必要とは思えないダンスシーンがなぜか用意されているのだ。

 このロボットダンスとパントマイムとスラップスティックコメディを足したようなシーンを作った真意は製作者たちに聞かねばわからない。しかし、この無意味なダンスシーンは無意味であるがゆえに重要だ。

 エイゼンシュテインは、ディズニーのアニメーション『人魚の踊り』の形状変化に「純粋に形式的なもの」の素晴らしさを発見したのだと今井隆介氏は語る。

「小鳥のさえずりが意味ではなく音の響きそれじたいで聴く者の耳を楽しませくれるように、ディズニー作品は内容というよりもむしろ形式において観客を解放する」(『アニメーションの映画学』、P.19、第1章「原形質の吸引力」)。このダンスシーンにも「純粋に形式的」な魅力が溢れている。

 エイゼンシュテインはスネーク・ダンサーにも原形質性の魅力を見出していた。ここでジム・キャリーがパントマイムによって披露した変幻自在のシチュエーション描写は、柔軟な肉体だけでなく、彼のセンスにもメタファーとしての原形質性が見て取れる。エイゼンシュテインが原形質性を発見したのは「人魚の踊り」だった。ダンスという抽象表現は、そもそも原形質的な魅力を発揮しやすいのかもしれない。

 もうひとつ、蛇足的に付け加えるなら、ここでジム・キャリーが披露したのがパントマイムだったことも興味深い。パントマイムという技術は、一言で言うと「現実を再構築させる」芸術のことだ(パントマイムにおける模写的表現…イメージの再構築について)。

 現実をつぶさに観察し、現実そのものを正確に再現するのではなく、重要なエッセンスをデフォルメすることで、見る者にリアルだと知覚させる。それはドローイングによってエッセンスを抽出し強調させることで、人間のリアリティを追求するアニメーションとどこか似ていないだろうか。

 ちなみにここでジム・キャリーが披露している、恐竜に食われて首がなくなるパフォーマンスは、ディック・ヴァン・ダイクのTVショーへのオマージュだそうだ。ディック・ヴァン・ダイクと言えば、実写とアニメーションの融合に挑んだディズニー映画『メリー・ポピンズ』で知られる。アニメーションと実写の境界に挑んだ先人を参考にしたわけだ。

・デジタル時代の芝居の価値
 ジム・キャリーの肉体は唯一無二だ。ゴムのようにしなやかな肉体と表情筋で、軽やかに実写とアニメの境界を超える彼の肉体は、まさに特権的肉体だ。

 昨今、高い評価を受ける芝居は常に現実的で、自然で、普遍的な芝居ばかりだ。それも確かに素晴らしい。しかし、芝居の価値を測る物差しはそれだけではないはずだ。彼の原形質的な魅力に溢れた、唯一無二の肉体を生かした芝居には、「現実に対する新たな理解」をもたらす力すらあるのだ。デジタル時代、実写はますますアニメーションに、アニメーションはますます実写に近づく時代に、生身の役者にはジム・キャリーのようなしなやかさと柔らかさが必要とされるのではないだろうか。 (文=杉本穂高)

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