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葛西純が明かす、結婚秘話と大日本プロレスとのすれ違い 葛西純自伝『狂猿』第8回

リアルサウンド

20/4/15(水) 12:00

 葛西純は、プロレスラーのなかでも、ごく一部の選手しか足を踏み入れないデスマッチの世界で「カリスマ」と呼ばれている選手だ。20年以上のキャリアのなかで、さまざまな形式のデスマッチを行い、数々の伝説を打ち立ててきた。その激闘の歴史は、観客の脳裏と「マット界で最も傷だらけ」といわれる背中に刻まれている。クレイジーモンキー【狂猿】の異名を持つ男はなぜ、自らの体に傷を刻み込みながら、闘い続けるのか。そのすべてが葛西純本人の口から語られる、衝撃的自伝ストーリー。

関連:“デスマッチファイター葛西純が明かす、少年時代に見たプロレスの衝撃 自伝『狂猿』連載第1回

 新人時代は、当然のように大日本プロレスの道場の2階にある寮に住んでたんだけど、実は俺っちは割と早い段階でその寮を出ている。そのキッカケは、いまのカミさんとの出会いだった。デビューして1年半くらい経ったころだったかな。当時『格闘探偵団バトラーツ』という団体に、アーバン・ケンっていう新人がいたんだけど、彼がケガをして出れなくなったから、大日本プロレスに「誰か若手の選手を派遣してくれ」っていうオファーがきた。

 バトラーツはバチバチスタイルだから、ボクシングをやってた伊東が合ってるんじゃないかって話だったんだけど、途中から葛西が行った方が面白いんじゃないかってことになって、俺っちがバトラーツの長野大会に出ることになった。バトラーツは好きだったし、入団しようと思って履歴書も送ったことある団体だったから、こういう形で参戦するとは思わなかったね。

■バトラーツの打ち上げで運命の出会い

 試合は臼田勝美さんとのシングルだったんだけど、その頃の俺っちは蹴りや関節とかは全然できなかったから、普段通りの純プロレスで、ミサイルキックやジャーマン、ダイビングヘッドバットで挑んだ。試合が終わって、バトラーツの人が「打ち上げがあるから、葛西くんも来なよ」って誘ってくれて、そこに行って出会ったのが今のカミさんだった。彼女は、お姉さんとふたりで打ち上げに参加していて、あとで知ったんだけど「長野の熱狂的な新日本プロレスファン姉妹」として、新日本の選手の間でも知られてるくらいの有名姉妹だったそうだ。

 あとから聞いた話なんだけど、彼女は打ち上げ会場だったお店のマスターと知り合いで、「バトラーツ興行のチケット10枚買ってくれたら打ち上げに参加させてやる」って言われて、姉妹で10枚買い取って飲み会に参加してたらしい。まぁ、プロレスラーと一緒に飲める滅多にない機会だと思ったんだろうね。彼女は、新日本プロレスファンだから、それ以外の試合を見てないし、バトラーツでも田中稔さん以外は知らなかったみたい。俺っちは、バトラーツの選手でもないし、デビューして1年半ぐらいのペーペーだったから、当然向こうは葛西純なんてレスラーは知らない。そのうえ金髪だし、前歯も無いし、俺っちの第一印象はとにかく怖かったらしい。

 でも、そんな風貌なのに話してみると普通だったから、そのギャップが良かったみたいで、向こうは数分前まで葛西純のかの字も知らなかったんだけど、もうグイグイくるわけだよ。俺っちもデビューしたてで、そんなにチヤホヤされたことなかったから気分良くなっちゃって、一緒に写真撮ったりして、またどこかで試合あったら見に来てね、みたいな感じで別れた。

 それから何週間か後に、大日本の道場に彼女から手紙が来て、一緒に撮った写真が同封してあって「今度、大日本プロレスの長野大会があるみたいなので応援行きます」みたいな感じで電話番号とメアドが書いてあった。本間さんに「こんな手紙もらってるんですよ」みたいな相談をしたら、「お前、そんなの行くしかねーだろ」って背中押されて、「結果は報告しろよ!」みたいな感じで送り出してくれた。

 ホテルを抜け出して彼女と会って、夜の諏訪湖を手繋ぎながら散歩して、「付き合おうか」みたいな話になった。で、その時一応「彼氏とかいるの?」って聞いたら、「います」って言うんだよ。じゃあ付き合えないじゃんって言ったら、「いや別れるから大丈夫」って。もうグイグイくるんだよね。それから遠距離での付き合いが始まって、俺っちは夜になったら寮を抜け出して、道場の近くのボックスから電話するのが日課になった。

■「じゃあ別れる」の一言ですべてが決定

 そんな感じで半年ぐらい経ったころ、彼女が仕事が休みでこっち来たので会ったら「もう、こっちに出てきたいんだよね」と言い始めた。彼女は長野で事務員をしてたから「仕事どうするのさ」って言ったら、「やめてこっち来るつもり」と。いやいや、いま来られても俺はまだ道場に住んでるペーペーだし、ちょっと困るよ、なんて言ったら、「それじゃあ別れる」って言い出して。

 まぁ別れるのはちょっと……みたいな感じで渋々OK出したら、すぐに彼女は相模原にアパート借りて1人で住むようになった。まぁ、これで会えるようになったし、別にいいかと思って、ほぼ毎日どこかで会ってデートするような生活を2ヶ月くらいしたのかな。そしたら彼女が今度は「同棲できないかな」と。「いやいや、俺はまだデビューしたてでプロレスで食えるようになってないし、寮を出て女と暮らすなんて会社には言えないよ」って言ったら「じゃあ別れる。アパート引き払って長野帰る」。ぜんぶ同じパターンだよ……。

 とりあえず会社の人間を説得してみるってことになって、意を決して山川さんに事情を話したら「そっか、いいんじゃね」みたいな軽い答えで。「また練習生も入ってくるし、お前が寮を抜けたところで何も変わらないから」みたいな感じで、すんなりと寮を出ることになった。彼女の相模原のアパートに一緒に住んで、通いで鴨居の道場まで行って練習してたんだけど、ある日彼女が晩飯食いながら「おばあちゃんが高齢で先も長くない。はやく孫の顔を見せたいから結婚してほしい」と。いやいや俺っちはまだ結婚願望なんてないし、プロレスに集中したいし、それに同棲して、すぐに籍入れますっていうのは会社にも言いづらいな、みたいに答えたら、また例のごとく「なら別れて長野に帰る」ってゴネるので、「もうわかりました」と。

 それで会社に結婚しますって伝えなきゃなって思ってたら、すごいタイミングで、とある選手と、とあるスタッフが社内結婚する話が湧き上がった。大日本プロレス的には社内恋愛だから、そっちのほうが大事件で、これは俺も言いやすいと思って便乗して会社に言ったらすんなり結婚することができた。

 俺っちは、家庭ができたからって守りに入るつもりなんてサラサラなかったし、すごい試合をドンドンやって、トップに立ってやろうと思っていた。実際、この頃はどんな試合でも盛り上がっていたからね。自分では、今日はちょっとヤバいな、ショッパい試合しちゃったなと思ってても、お客さんには大受けだった。

■客の反応と会社の反応の違い

 例えば、2001年2月24日後楽園ホールの『CZWスタイル・フィラデルフィア・バナナマッチ』。自分的には、これはねぇだろっていうぐらいのショッパい試合だったんだけど、お客さんは喜んでくれて、『週プロ』がカラー3ページで取り上げてくれていた。ちょっと違和感を感じていたけど、だったらもっとやってやろうと、新たなデスマッチをどんどん仕掛けていった。松永さんとやった「画鋲裸足&CZWカリビアンスタイル有刺鉄線デスマッチ」とか、ザンディグと「ガラス&ボブワイヤーボード CZWスタイル キング&バナナマッチ」をやったりね。団体のプッシュっていうのはまるっきりなくて、対戦相手が考えた試合形式に便乗する形でいかに自分が目立てるかを考え、自分のプロデュース力だけでのし上がっていった時期だった。

 この頃には本間さんはもうランナウェイしてたし、山川さんは博多で頭蓋骨骨折の大怪我をして欠場してしまっていたから、自分でいうのもなんだけど、大日本プロレスといえば葛西純というぐらいの存在感はあったと思う。

 でも、会社からはそんなに評価されていなかった。当時の大日本プロレスは、MEN’Sテイオーさんの意見が強かったんだけど、テイオーさんは俺っちのことを「コミカルで客にウケることをやってるけど、レスリングに関してはダメ」って思ってたんじゃないかな。俺っちの味方はザンディグくらいで、「カサイはあれだけ試合でファンを沸かしてるのに評価が低すぎる」って、会社に言ってくれていた。それにザンディグ自身も、CZWも扱いが悪いと感じていたみたいで、2001年の秋ぐらいから、大日本プロレスとザンディグの間で意見の食い違いみたいなのが出てきていた。ザンディグはもっと好きにやらせてくれと訴えても、会社からしてみたら、いやいやお前らウチらが呼んでるだけのガイジンだろ、みたいなところがあったんだと思う。

■決定打となった横アリ大会

 リングの外も中もいろんな波風が立っていて不穏な空気が漂うなか、大日本プロレスが文字通りの社運を賭けたビッグマッチ、横浜アリーナ大会が開催されることになった。俺っちも経験したことのない大会場だから、いままで以上の相手と、見たこともないデスマッチをやりたいと気合いが入っていた。でも、実際に決まったカードは、休憩前の第5試合で、マッドマン・ポンド、ワイフビーター、そして当日発表の「X」と「時間差4WAYバトル蛍光灯200本デスマッチ」。これじゃ、いつもとやってることが変わらないじゃないかって、ガッカリした。「X」の正体はザンディグで、試合は俺っちが勝ったけど、不完全燃焼だった。

 小鹿さんとMEN’Sテイオーさんは、テリー・ファンクやマスカラスを呼んで、自分たちの好きなことをやってるように見えたし、関本大介は大谷晋二郎選手とシングル。ケガで休んでた山川さんは感動的な復帰戦をやってるし、俺っちの扱いってなんなのってなるよね。やっぱり、団体内の誰かから嫌われてたのかもしれない。俺っちが、勝手に好きなことをやって人気が出ちゃったから、調子に乗るんじゃねぇみたいな気持ちが少なからずあったとは思う。

 この横浜アリーナ大会のメインイベントで、松永さんとシングルで対決したザンディグは、試合後にCZW勢をリングにあげて、大日本プロレスを離脱することを宣言した。俺っちは、そんなことになるとは知らなかったけど、その光景をみて、もうCZWは来ないんだということは確信していた。

 このメインのあとに山川さんの復帰戦があって、最後に大日本プロレスの選手のほとんどがリングに上がって涙を流していたけど、俺っちは、その輪の中には入らなかった。

■葛西純(かさい じゅん)
プロレスリングFREEDOMS所属。1974年9月9日生まれ。血液型=AB型、身長=173.5cm、体重=91.5kg。1998年8月23日、大阪・鶴見緑地花博公園広場、vs谷口剛司でデビュー。得意技はパールハーバースプラッシュ、垂直落下式リバースタイガードライバー、スティミュレイション。

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