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池上彰の 映画で世界がわかる!

『アイダよ、何処へ?』―現代でも起きかねない民族浄化という名の大虐殺“ボスニア内戦” 

毎月連載

第39回

現代でも民族虐殺がありうるのだということ。それを国連のPKO(平和維持活動)の部隊でも阻止できなかったということ。衝撃的な事件を映画化した作品です。

事件の舞台となったのは、1995年7月、旧ユーゴスラビア連邦のボスニア・ヘルツェゴビナです。

かつて東西冷戦時代には、社会主義体制をとりながらもソ連圏に入ることを拒否して独自の道を歩んでいたユーゴスラビア連邦。東西冷戦の狭間で、いつ他国の侵略を受けるかもしれないという危機感から、多民族国家ながら国家の統一が維持されてきました。中心になっていたのはセルビア人でした。ところが、東西冷戦が終わると、民族意識の高まりから国家が次々に分裂していきます。

まず1991年にスロベニアとクロアチアが独立。続いて1992年にボスニア・ヘルツェゴビナも独立を宣言します。

ところがボスニア・ヘルツェゴビナは民族と宗教が複雑に入り組んでいました。ボシャニク人(イスラム教徒)が44%を占める多数派である一方、セルビア人(セルビア正教徒)も31%、クロアチア人(カトリック教徒)が17%いたのです。

ボシャニク人とクロアチア人はセルビア人が主導権を握るユーゴスラビアからの独立を目指したのですが、セルビア人は、セルビア本国から切り離されてしまうことに反発。本国からの軍事支援を得て武装し、ボシャニク人やクロアチア人を攻撃。セルビア人だけの国家にしてしまおうと、“民族浄化”に乗り出します。要は他民族を対象にした大量虐殺を始めるのです。これが“ボスニア内戦”です。

この戦闘は1995年まで続き、人口435万人のうち死者20万人、200万人以上の難民・避難民を発生させる悲惨な事態となりました。

とりわけ深刻だったのはボスニア東部の町スレブレニツァでした。内戦を終わらせようと国連のPKO部隊が送り込まれ、この町は“安全地帯”に指定されました。この町を守ることになったのはオランダ軍。民族間の戦闘が起きないように監視する役割を担っていました。

ところが、ここにセルビア人の武装民兵たちが攻め込んできます。僅かな武器しか持っていないオランダ軍は守勢に回り、国連施設に逃げ込んだボシャニク人を守ることができません。国連本部に武力支援を要請しますが、聞き入れられません。結局、セルビア人武装民兵による住民の処刑を阻止することができませんでした。8000人もの住民が虐殺されてしまったのです。

どうして、こんなことが起きたのか。映画は、夫と息子たちを助けようと奔走する国連の通訳の女性の行動を描きます。

この女性アイダを演じるヤスナ・ジュリチッチは、迫害を受けるボシャニク人役ですが、実際はセルビア人。また、セルビア人武装民兵の指導者であるムラディッチ将軍役のボリス・イサコヴィッチは夫で、やはりセルビア人です。夫婦で敵味方を演じたのです。

ボスニア内戦が終わると、ムラディッチ将軍は旧ユーゴスラビアの戦争犯罪を裁く国際裁判で有罪となりますが、セルビア本国ではいまだに英雄視する人たちがいます。このためアイダを演じたヤスナは、「セルビア人の英雄を犯罪者扱いする映画に出演した裏切り者」と非難されます。それでも、この映画には出演する意味があったと判断したのです。

それにしてもオランダ軍の存在には歯がゆいものがあります。もしこのPKOに自衛隊が派遣されていたら、果たして何ができたのだろうと考えると、PKOの任務の困難さを痛感します。

現代でも起きかねない民族浄化という名の大虐殺。私たちに重い課題を投げかけます。

掲載写真:『アイダよ、何処へ?』
(C)2020 Deblokada / coop99 filmproduktion / Digital Cube / N279 / Razor Film / ExtremeEmotions / Indie Prod / Tordenfilm / TRT / ZDF arte

『アイダよ、何処へ?』

9/17(金)より Bunkamura ル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、他 全国順次公開

監督:ヤスミラ・ジュバニッチ『サラエボの花』『サラエボ、希望の街角』
出演:ヤスナ・ジュリチッチ、イズディン・バイロヴィッチ

プロフィール

池上 彰(いけがみ・あきら)

1950年長野県生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。記者やキャスターをへて、2005年に退職。以後、フリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活躍するほか、東京工業大学などの大学教授を歴任。著書は『伝える力』『世界を変えた10冊の本』など多数。

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