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太田和彦の 新・シネマ大吟醸

「脚本家 新藤兼人」で上映の『銀座の女』と「若尾文子映画祭」の『女は二度生まれる』

毎月連載

第23回

20/5/2(土)

特集「脚本家 新藤兼人」のチラシ

『銀座の女』
シネマヴェーラ渋谷
特集「脚本家 新藤兼人」(2/8~3/6)で上映。

1955(昭和30年)日活 109分
監督:吉村公三郎
脚本・新藤兼人・高橋二三
撮影:宮島義勇 音楽:伊福部昭
美術:丸茂孝
出演:轟夕起子/乙羽信子/藤間紫/南美寿子/島田文子/日高澄子/北原三枝/長谷部健/宍戸錠/多々良純/近藤宏/三田村健/清水将夫/浜村純/神田隆/金子信雄/殿山泰司/安部徹/清水元/青木富夫

太田ひとこと:東京に見習いに出る17歳の娘は、ちゃんと雪の東北にロケして、娘を売って買った乳牛と一緒に上京の汽車を見送る場面に続く、着いた銀座路地は、バー「HOLSTEIN」の看板アップから始まるのがおかしい。

銀座の置屋「しずもと」は四人の芸者と、賄いのおばさん、見習いの娘が起居している。

女将・轟夕起子は旦那の大物代議士・清水将夫の外遊帰国を迎えに行くが家族と鉢合わせし、娘も年ごろになったと縁切りを言われ、仕方なく受ける。

乙羽信子は新聞社主催のミスコンテストで三等になった美人ぶりが自慢だが、実兄・浜村純が税務署員なことで客に一目置かれているのは知らない。

藤間紫は田舎に残した男の子との同居を願って宝くじを頼りにしており、修学旅行で上京した子に「50円なら1枚買ってやるよ」ともらったくじが嬉しい。

南美寿子は初めて世話された旦那の老浪曲師が嫌いで、ジャズで気をまぎらわす。

まだ十七歳の島田文子は東北の田舎からもらわれてきた下働きだが、胸の病気になってしまい、母が恋しい。

轟はじつは、いずれ養子にするつもりで、貧乏工大生・長谷部健の学費などの面倒をみているが、彼は学校に行かず小説を書きはじめ、轟に縁を切りたいと言い、涙にくれるが決心する。元「しずもと」で今はバーをやっている日高澄子は、店でバイトする文学好きの北原三枝と話しに来る長谷部を気に入り、寝込んだ彼を見舞いに行き、いい仲になってしまう。そこに来た轟は怒り心頭になるが、肝心の長谷部は出かけてしまう。彼は小説のネタに二人の世話を受けていたのだ。残された轟と日高は「もうあんなのは相手にしない」と誓う。しかしその後、彼が文学賞を取ったと知り「しずもと」でお祝い会を開くが、やってきた彼は「二人の芸者を観察して書いた小説の賞金だ」ときっちり精算してすぐ帰り、二人は荒れる。

ある日「しずもと」は火事になり半焼で残った。出火原因を調べる銀座警察署に別々に呼ばれた轟・乙羽・島田はそれぞれが「私が火をつけた」と言い出し、警察は途方にくれる。

映画で好きなジャンルが世情を描く風俗映画だ。その風俗映画でよく取り上げられるのが銀座の街。いくらでも深刻に描ける話を、出てくる人物はみな気が良いとして、気楽に観ていられるのがこの作のよいところ、面倒な“社会派”などではない。

世話好きの轟夕起子はやけ酒が似合う。乙羽信子はふっくらと気の良い美人芸者がぴたりで、その後の名作『大阪の宿』や『青べか物語』につながる役どころ。川辺で釣りをする兄・浜村純とのショットはうれしい組み合わせだ。私のごひいき、うりざね顔の藤間紫は出ているだけでニコニコ。この三人が一つ部屋をうろうろする良さ。

特筆は多彩な脇役陣にそれぞれ見せ場を作る、監督:吉村公三郎の余裕しゃくしゃくたる演出だ。

トップシーン。もと芸者の飯田蝶子が多摩あたりの養老院に入居に行き、歓迎されて三味線で一節うなるのは“華やかな銀座芸者の末路”だが、満足そうな表情がよく、それを見ていた轟が「あの人は」と気づくしゃれた出だし。

狂言回しの新聞記者・多々良純とカメラマン・近藤宏は銀座特集のルポ記事で、お座敷で乙羽の酌を受ける大物作家・三田村健の表情にいろいろ注文をつけて笑わせる。

日高澄子のバーの北原三枝は、長谷部が小説を発表した文芸誌を手に、「あなたはサルトル派? カミュ派?」と論争をいどむ。

代議士・清水将夫のドラ息子は、同学の長谷部を援助しているのが自分の父の妾であることを知り、それをカタに金を貸せと迫る。演ずるのは宍戸錠。

月島診療所の金子信雄はかねて薄幸の島田を気にかけ、銀座警察署に出火犯は島田ではないと言いに行き、婦人警官に「署長は忙しくて会えません」と断られるが、その後ろにいた署長・殿山泰司は「オレはひまだよー」とその話をひきとる。

殿山は大のミステリファンで「わからなくなりました」と頭を抱える警部・安部徹に「真犯人は、事件でいちばん得する奴なんだ」と説を垂れる。

これが作られた1955年は日活が製作を再開した翌年で、時代劇も文芸作も戦記物も喜劇もいろいろ試行錯誤していた。なんといってもうれしいのは、悪役やアクションなどに役柄が固定する以前の俳優が、そうでない役を演じているところだ。癖のある金子信雄はまだ普通の良心医師。その後大物悪役が定番になる安部徹は警部。警察で自白する轟・乙羽・島田の奥に脇の誰かを置いてその表情に芝居をさせる。いつもは脇役のそのまた脇くらいの青木富夫が、喋る前に必ず鼻を伸ばすなど演技を工夫しているのがうれしく、これも小悪役専門になる近藤宏が新聞社カメラマンを台詞ゆたかに面白げに演じている。特筆はフレッシュな北原三枝(演技さすが)と、まだ豊頬手術をする前の細面の宍戸錠だ(ワンシーンのみ、演技ヘタ)。

放火自白は、轟は妄想、乙羽は「新聞に出たかっただけ」で、小娘の島田が、店がなくなれば故郷に帰れるとの一心からだったと殿山は探り出す。その後がいい。留置室から出された島田に殿山が「こっちにおいで」と指さした先には、東北から呼び寄せた両親がいて、島田は抱きついて泣く。土産の搾りたて牛乳を殿山は「みんなで飲もう」と呼びかける。きっと娘は寛大な処置となっただろう。

裕次郎登場でアクション路線に舵を切る前の日活作品は、おもしろい映画を自由に作る意欲と若さに満ちてすばらしい。この1955年には川島雄三『愛のお荷物』『あした来る人』『銀座二十四帖』、市川崑『青春怪談』『こころ』をはじめ、『月は上りぬ』『女中ッ子』『月夜の傘』『消えた中隊』『警察日記』『陽気な天国』『スラバヤ殿下』『次郎長遊侠伝 秋葉の火祭り』『生きとし生けるもの』『緑はるかに』(浅丘ルリ子デビュー作)『六人の暗殺者』『地獄の接吻』『人生とんぼ帰り』『歌くらべ三羽烏』など秀作や面白そうなものばかり。どこかで「日活1955年」の特集をしてくれないか。




若尾文子をみごとに女にしてみせた川島雄三作品

特集「若尾文子映画祭」のチラシ

『女は二度生まれる』
角川シネマ有楽町
特集「若尾文子映画祭」(2/28~4/2)で上映。

1964(昭和39年) 大映 99分
監督:川島雄三 原作:富田常雄
脚本:井手俊郎・川島雄三
撮影:村井博 音楽:池野成
出演:若尾文子/山村聡/フランキー堺/山茶花究/藤巻潤/潮万太郎/高見国一/村田知栄子/山岡久乃/江波杏子/倉田マユミ/高野通子

太田ひとこと:上高地登山口の「島々」駅は私の長野県の実家のすぐ近くで、よく知っている。駅名だけ変えて近場で撮れる小さなシーンなのに、わざわざ行く川島の良さ。あの田舎駅に若尾様が来たんだ。
靖国神社の場面は菊の紋を何度も大きく画面に入れて、天皇制批判を感じさせる。

売春禁止法は施行されたが、宴席の芸者が客と床をともにするのは普通のことだった。気の良い芸者・若尾文子の今夜のお相手、設計士の山村聡は、面倒は言わず普通に話す若尾を気に入ったようだ。

いつも手を合わす靖国神社で知りあった清潔な学生・藤巻潤に恋心をもち、学生服の藤巻も若尾の宅前まで来たりするが、就職が決まって東京を離れてしまう。

常連客の席に呼ばれ「お前遊んでいいぞ」と言われて別室に入った寿司屋板前・フランキー堺の正直なところに若尾は好感をもつ。若尾を遊び相手にする山茶花究に連れられた寿司屋にフランキーがいて、山茶花究は「なんだお前ら知りあいか?」という目をするがとぼける。翌日若尾は店を訪ね「お酉様に行かない」と誘い、人目のない上野で遊ぶ。しかしフランキーは、信州のわさび屋の子持ち女性に婿入りして行った。

警察がうるさくなって、若尾は誘われてくら替えしたバー勤めで、山村と偶然再会する。家庭の冷えている山村は若尾に「そんな商売はやめて俺が面倒みる、もう相手は俺だけにしろ」と部屋を借りてやる。足を洗った若尾は新生活がうれしい。

ひょんなことで知った十七歳の男の子・高見国一が可愛くなり「まだ女を知らないでしょ」と初体験させたのが山村にばれて激怒され、若尾は泣いて謝り、以降は出張の多い山村との逢瀬を大切にしたが、彼は病にたおれ、献身的な看病も及ばず死ぬ。

若尾は再びもとの芸者におさまり、出かけた接待宴席で、大企業の立派な社員になった藤巻に再会して心はずむが、彼は小声で、連れた得意先の今夜の相手をしてくれと頼み、がっかりする。二号は精算したからいいじゃないかと誘われて山茶花と行った箱根で、山茶花は別の若い愛人とばったり会い、若尾は置き去りにされる。

偶然また会った高見国一が上高地に行ってみたいと言うので、思いつきでそのまま一緒に汽車に乗る。上高地登山口へ向かう支線電車で子供をつれたフランキー夫婦に遭遇するが、フランキーは黙って去る。終点の登山口駅で高見に小遣いを渡して行かせ、自分は一人、バス駅に残り、故郷の長野市へ行ってみようかと考えた。

純情な主人公芸者は、相手が喜ぶのならと出会った男に尽くすが次々に去られる。ラストの意外な展開は、それまでのお座敷場面とちがう信州の爽快な自然が目を洗う。さてこれからどう生きようとバス駅にたたずむロングショットのラストシーンが印象的だ。

風俗映画だが、べたべたした愛欲シーンは全く入れないのが監督川島の良さ。その尻軽で人の良い女を演じる若尾文子がすばらしい! 色気、女らしさ、素直、自己主張しない……。男なら誰もが好きになる女性を、にこにこと顔色ひとつ変えずに、あのやや鼻にかかった独特のエロキューションで台詞を言うからこそ、こちらは心を知ろうとする。“顔で演技しないこと”で強調される存在感のサスペンス。

例えば『あなたと私の合言葉 さようなら、今日は』(1959年)では、監督市川崑の演出もあろうが、目で適確に演技する京マチ子に対し、終始にこにこ顔だけで通した若尾の方が腹を読めない緊張感があった。今回の若尾文子映画祭でまた何本かを観たが、その“表情を作らない”場面が際立っていたように思う。京マチ子、高峰秀子、山田五十鈴、杉村春子。演技派名女優は数あれど、黙ってこちらを見ているだけで演技になる若尾文子こそが最も映画女優なのかもしれない。これこそミューズ。

『女は二度生まれる』のポスターの惹句〈最初は女として生まれ、次は人間として生まれる〉は逆ではないかと思ったが、観終えると惹句どおりだった。川島は大映第一作にあたり「若尾君を女にしてみせます」と言ったそうだが、みごとに女にしてみせ、さらにその昇華形まで高めた。若尾はこれでキネマ旬報、ブルーリボンの主演女優賞に輝いた。

日本映画を観続けて五十年、あやや若尾文子は私の一番好きな女優になりつつある、映画祭は秋にまたやってくれるそうだ。通います!


プロフィール

太田 和彦(おおた・かずひこ)

1946年北京生まれ。作家、グラフィックデザイナー、居酒屋探訪家。大学卒業後、資生堂のアートディレクターに。その後独立し、「アマゾンデザイン」を設立。資生堂在籍時より居酒屋巡りに目覚め、居酒屋関連の著書を多数手掛ける。



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