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佐々木俊尚 テクノロジー時代のエンタテインメント

リアルと仮想の区別がつかなくなったとき、“懐かしさ”は存在するのか?

毎月連載

第34回

21/3/28(日)

「2021年に2004年のデジタルビデオカメラで友人を撮影したら『存在しないはずのあの頃の思い出』が生成されていった」というTogetterのまとめが話題になっていた。

https://togetter.com/li/1673333

いまから17年前のSD画質のビデオカメラで現在を撮影してみたら、懐かしい感じがしたという話である。粗い映像、画面の右下にカクカクしたフォントで表示される日付など、たしかにとても懐かしい。振り返れば2000年前後のあのころ、古い8ミリフィルムの映像を見たりすると同じような“懐かしい感じ”があった。その時代のテクノロジーで記録されたものはやがて古くなり、過去へと置き去りにされていき、懐かしくなってノスタルジーの対象になっていく。

この感覚は今後も続いていくのだろうか?

アナログな記録が中心だった時代には、記録はつねに時間経過とともに古びた。レコード盤は溝がけずれ、カセットテープは延びてキュルキュルいうようになり、映画のフィルムは色あせ、書籍は黄ばんでいった。あらゆるものは摩耗し、情報量が減っていったのである。この摩耗にどう抗して記録を保存するかが、人類にとっては長年の課題だった。そのために文字がつくられ、本が生み出され、レコードが発明されたのだ。

同時に私たちは、音や映像の粗さや摩耗によって、過去を過去として認識してきた。セピア色に褪せたフィルムの映像は遠い昔の象徴であり、だからわざと映像をセピア色に染めて回想シーンを表現するような映画技法はどこにでも見られる。

しかしこのような“摩耗したものが古い”という感覚自体が、過去に過ぎ去ろうとしている。最新のスマートフォンで撮影した写真は超高画質なうえ、深層学習によるフィルタリングを施しており、もはや人間の目に映る自然を超えた画像を実現している。そのようなカメラで撮影された画像や映像を数十年後に観たとき、私たちはそこに“過去”を感じるのだろうか。

テレビはすでに8K放送が実現しており、16Kも実用化されている。これらの解像度は、すでに人間の目の性能を超えている。アップルはもう10年以上も前からiPhoneやMacのディスプレイにRetina(網膜)という名前を与えているが、これは「人間の目の網膜並みにきめが細かいディスプレイ」という意味合いだ。

つまりこれ以上解像度を上げても、もはや人間の目にはその性能差を認識できないということであり、リアルの空間を見ているのと何ら変わりがないということになる。

とはいえ人間の目はふたつあって立体的に見えるので、平面のディスプレイはわれわれのリアルの視界と同じではない。しかしVRなどのヘッドマウントディスプレイがさらに高解像度化していけば、いずれはそれも追いつくかもしれない。さらにヘッドマウントディスプレイではなく、スマート化したコンタクトレンズや人工水晶体で外界を見るようになると、目の前にある物体がリアルのものか仮想のものかはもはや区別がつかなくなっていくだろう。そこまで行くのは、そんなに先の未来ではない。

そこに到達した時、もはや過去は古びなくなる。つねに私たちの目や五感の性能を超えたかたちで、“そこにある”と感じるようになっていく。そのときに、わたしたちの“懐かしさ”はどこに行ってしまうのだろうか? 懐かしさはまだあるのだろうか? それとも懐かしさという感覚そのものが消え去るのだろうか?

プロフィール

佐々木俊尚(ささき・としなお)

1961年生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学政治経済学部政治学科中退後、1988年毎日新聞社入社。その後、月刊アスキー編集部を経て、フリージャーナリストとして活躍。ITから政治・経済・社会・文化・食まで、幅広いジャンルで執筆活動を続けている。近著は『時間とテクノロジー』(光文社)。

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