立川直樹のエンタテインメント探偵
『ファントム・スレッド』の群を抜いた素晴しさ
毎月連載
第1回
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ジェイアール京都伊勢丹の7階にある“美術館「えき」KYOTO”で6月9日から7月1日まで開催された展覧会<ROCK:POWER,SPIRIT&LOVE>の準備のためにかなりの時間とエネルギーを費し、『SUGIZO×鋤田正義/JOURNEY THROUGH THE ROCK AND ART』の出版と展覧会があり、9月に開催される『世界を変えた書物展』の準備のために金沢に行ったりと、自分でも呆れるくらいのスケジュールで動いていることもあって、いつもよりは試写や観劇、展覧会などに行く回数は減っているかも知れない。でも、そこは観たいものは観たい、聴きたいものは聴きたいという欲の深さで、それなりの数はこなしているし、いいものと出会うと、そこからパワーをもらえる。
まず、特筆すべきはポール・トーマス・アンダーソンの最新作にしてダニエル・デイ=ルイスの引退作『ファントム・スレッド』の群を抜いた素晴しさ。映画ならではのおもしろさで酔わせてくれたといえば、つい最近DVD/ブルーレイが発売になった『グレイテスト・ショーマン』は試写室で1回、音響の良さでは屈指の映画館シネマ・ツー(立川シネマシティ)で2回と立て続けに観て、掛け値なしに5本の指に入る娯楽映画の傑作だと機会があるごとに観ることを勧めたが、1950年代のロンドンを舞台にした天才的な仕立て屋の物語は、通常の娯楽映画や商業映画とは一線を画す、ある種の魔力を持った作品だった。
出演作に愚作なしと断言できるホアキン・フェニックスと美しき母子の歪んだ関係性に迫った心理サスペンス『少年は残酷な弓を射る』(2011年)で、一気に僕の“気になる人”リスト入りしたリン・ラムジー監督ががっぷりと組み、第70回のカンヌ映画祭で脚本賞と男優賞をW受賞した『ビューティフル・デイ』でも強力な音楽を提供していたジョニー・グリーンウッド(イギリスの人気バンド、レディオヘッドのメンバー。マルチ奏者で、コンピューター生成音やサンプリングなど、レディオヘッドの電脳面も担当)の、通常の映画のバランスよりはレベルを上げ気味に仕上げられた魔術的な響のある音楽がひっぱって展開されていく想像をはるかに超えた物語。“シアトル・タイムズ”の「魔法のような作品。音楽、色彩、素晴しい俳優たちが織りなす、芳しいカシミアショールに包まれるかのような心地になる」という評をはじめ、世界中のメディアが最大級の讃辞の言葉を贈っているが、“プレイボーイ”の「極めてエレガントで、風変わりで、息苦しく、物哀しく、可笑しな悪夢のような傑作!!」という形容が一番あたっている。
でも、思い起こしてみれば、一般的には1999年の『マグノリア』で一気に人気監督の仲間入りを果たしたポール・トーマス・アンダーソンはその2年前にアメリカのポルノ映画界の内幕を見事にとらえていた『ブギーナイツ』で完全に僕の心をつかんでいた。この人も外れなしで今回もいささか多めにスペースをさくことになってしまったが、それだけずばぬけた映画であることを理解してもらうことで良しとしてもらいたい。
ヴァン・モリソンxジョーイ・デフランセスコなど
ここ数年、映画にしても音楽にしても、はたまた美術の分野においても、素人仕事というか、素人っぽいセンスが妙に評価されたり、人気の対象になったりしているのを一体何なんだ!と思っていた僕にとっては『ファントム・スレッド』は完全な救いであり、5月に発売されたアイルランドが生んだ最高のシンガー・ソングライター、ヴァン・モリソンがオルガンの巨匠にしてトランペットの達人であるジョーイ・デフランセスコと共演したアルバム『ユーアー・ドライヴィング・ミー・クレイジー』や、生死をさまよう大事故に遭い、リハビリとして始めた音楽セラピーによって曲を書き始めたことがミュージシャンになるきっかけとなった女性シンガー・ソングライター、メロディ・ガルドーが300公演以上におよぶライヴ音源から、自身で厳選したものを収録した『ライヴ・イン・ヨーロッパ』のような上質なものは何物にも勝る気がする。
5月の半ば、忙しいスケジュールの中でちょっと時間がとれたので出かけた金沢の鈴木大拙館でそのロケーションと展示のコンセプトに息を呑むくらいに感動して、帰宅してから夜の静けさの中で聴いたレナード・コーエンの晩年の歌もかけがえのないもので、深夜にふとテレビで出会う映画にもたまにオッと思うものがある。
そう、クルージングは終わりなく続くのである。
作品紹介
『JOURNEY THROUGH THE ROCK AND ART SUGIZO×SUKITA』
著者:SUGIZO 写真: 鋤田正義
パルコ刊
『ファントム・スレッド』
2018年5月26日公開 アメリカ
監督・脚本:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:ダニエル・デイ=ルイス/レスリー・マンビル/ヴィッキー・クリープス
『ユーアー・ドライヴィング・ミー・クレイジー』
『ライヴ・イン・ヨーロッパ』
プロフィール
立川直樹(たちかわ・なおき)
1949年、東京都生まれ。プロデューサー、ディレクター。フランスの作家ボリス・ヴィアンに憧れた青年時代を経て、60年代後半からメディアの交流をテーマに音楽、映画、アート、ステージなど幅広いジャンルの仕事を手がける。近著に石坂敬一との共著『すべてはスリーコードから始まった』(サンクチュアリ出版刊)。