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宇多田ヒカルの音楽に不可欠な“緊張と緩和”の正体 『美食探偵』主題歌「Time」から紐解く

リアルサウンド

20/5/17(日) 18:00

 Skrillexとのコラボレーション作「Face My Fears」以来、およそ1年4カ月ぶりに届けられた宇多田ヒカルの新曲「Time」。哀愁と勇ましさが交錯する、巧みな構造のミディアムナンバーだ。僕はこの楽曲に、ただならぬ安心感を覚えた。彼女が地道に形成してきた方式やクセが丁寧に落とし込まれ、“いつもの宇多田ヒカルらしさ”を極めて素直に鳴らしていたからだ。SNSを見ても、「Time」が醸す何とも言えない懐かしさに膝を打つファンは数多い。僕を含め、きっと宇多田の作品に愛着があればあるほど、反射的にのめり込んでしまう1曲のように思う。

 「Time」を聴いて最初に頭をよぎったのは、宇多田と小袋成彬によるコラボレーション楽曲の数々だった。「Time」の歌詞における、恋心を抱きながらも肝心の相手には伝えられないもどかしさや、そのような状況からくる超然とした態度は、初タッグ作「ともだち」(アルバム『Fantôme』収録)をナチュラルに彷彿とさせるし、R&Bのベーシックなグルーヴを従えたトラックにおいては「ともだち」のほか、小袋が編曲に携わった「Too Proud feat. Jevon」(アルバム『初恋』収録)にも相通じる。ちなみに、「Time」のプロデュースにも小袋は関与しており、デリケートかつメロウな楽曲ごとに彼の存在があるのは、もはや決して切り離すことのできない必然的で重要な事象と言える。

 冷ややかで落ち着いたムードをたたえる一方で、「Time」はとにかく起伏が激しい。近年の宇多田を象徴するプリミティブな音使いは健在でありながら、とりわけ「Time」は、スネアの位置を微妙にズラして動揺を表現したり、終盤にはさらに錯乱するかのようにハイハットを細かく刻み始めるなど、パーカッションの要素だけでもストーリーや心情の変化を十分に立ち上らせているのが素晴らしい。特に後者の特徴には、一筋縄ではいかない宇多田の音楽の真髄を見たリスナーも多いのではないだろうか。また、メロディのリズムにおいても坦々たる箇所がほとんどなく、歌い出しから怒涛のアップダウンを見せる。時には急勾配、かと思えば急停止。仮に他者が乗りこなすとなれば相当なスキルが要求されるであろう高度な曲なわけだが、宇多田はやはり絶妙な間合いと遊び心でもって、優雅にボーカルをくねらせていく。「Time」のようにド派手な装飾を取り払ったトラックだからこそ味わえる妙とも言えそうだが、このあたりの骨のある技術にはあらためて惚れ惚れせざるを得ない。

宇多田ヒカル「Time」

 先ほど述べた歌詞についても、もう少し掘り下げてみたい。固い友情で結ばれ、打ちひしがれるときには互いに助け合う二人。だが内の一人は、もう一人への届かぬ(届けぬ)恋を胸に秘めている……主題歌として起用されているドラマ『美食探偵 明智五郎』(日本テレビ系)における、明智五郎(演:中村倫也)とマグダラのマリア(演:小池栄子)の不穏な関係性とも少なからずリンクする内容だが、大枠としては誰もが経験し得る恋愛の切なさを、平易な言葉を使用してごく普遍的に描き出している。J-POPに身を置くシンガーソングライターの仕事ぶりとしては、その点だけでもお釣りがくるほどの安定感なのだが、宇多田はさらに一歩踏み込み、誰もの心を深く突き刺すほどの痛々しい叙情性を宿してみせる。

 ここで、かつて宇多田が、小袋成彬と演出家である酒井一途の三名で行った座談会での発言を抜粋する。

「違和感を作ることを、私は音楽でも歌詞でも、大事にしてる。そこがポップな要素と思ってる」(参照:宇多田ヒカル 小袋成彬 酒井一途 座談会

 歌詞としての“違和感”を私的に噛み砕くなら、一種の世俗っぽさである。〈キーが高すぎるなら下げてもいいよ〉(「Wait&See〜リスク〜」)、〈ダーリンがサラリーマンだっていいじゃん 愛があれば〉(「Keep Tryin’」)、〈普段からメイクしない君が薄化粧した朝〉(「花束を君に」)など、宇多田の作品にはこうした、口語に等しい、あるいは誰ものありふれた日常を体現したようなざっくばらんなフレーズが必ず登場する。「Time」ではくだけたニュアンスの〈そゆことそゆことそゆこと〉をはじめ、〈キスとその少しだけ先〉、〈あの頃より私たち魅力的 魅力的〉などがそれに該当するだろうか。まるで親しい友人にでも話すかのような気取らない語り口は大きなフックとなり、聴き手それぞれの感情移入を促すだけでなく、身近であるがゆえのヒリヒリした感触をもたらす。普段はさっぱりと振る舞っているように窺える主人公が、強がりと後悔の狭間に何を思うのか。散らばる手がかりをかき集めて分析するほどにキュッと胸が締め付けられ、やるせない気持ちがこみ上げる。

 また、宇多田ヒカルは幕引きも美しい。終盤、〈友よ 失ってから気づくのはやめよう〉と相手に語りかけるキラーフレーズが打ち込まれ、歌詞の解釈幅は大きな拡張を迎える。この一節があるだけで、主人公は何らかの理由でもう友のそばにはおらず、遠方の地から友を案じている楽曲のようにも思えてくる。事実、僕はそう結論づけたのだが……皆さんはいかがだろうか。極め付きは、分厚いコーラスに掻き消されそうになりながらも微かに聴こえる〈If I turn back time〉〈Will you be mine?〉。どうあがいても単方向にしか進んでいけない無常感が、ここへ来てピークに達する。「SAKURAドロップス」のエンディングにも匹敵する、心地よい感情の疲弊と爽やかな余韻が交わる瞬間である。

 「Time」の魅力をここまで紐解いてきて思うのは、宇多田ヒカルの音楽に緊張と緩和は必要不可欠、ということだ。彼女にとってはあくまでも本能的な行動に過ぎないのかもしれないが、そんな天性のチューニングによって、またしても名曲が誕生してしまったことは疑いようのない事実である。宇多田ヒカルらしさとはいったい何か。「Time」でその性質に耳を傾ければ、たとえファンならずとも有意義な時間にきっと出会えるだろう。

■白原ケンイチ
日本のR&B作品をはじめ、新旧問わず良質な歌ものが大好物の音楽ライター。当該ジャンルを取り上げるサイトの運営、コンピレーションCDのプロデュース、イベント主催の経験などを経て、現在はささやかに音楽ライフを満喫する日々。Twitter

■配信情報
『自宅隔離中のヒカルパイセンに聞け!』
配信日時:5月3日(日)、 5月10日(日)、5月17日(日)、5月24日(日)、5月31日(日)
各日19時半~20時頃より配信スタート予定

■配信元アカウント
宇多田ヒカルInstagram(@kuma_power)

「Time」 歌詞サイト

■リリース情報
配信シングル「Time」(日本テレビ系日曜ドラマ『美食探偵 明智五郎』主題歌)
2020年5月8日(金)配信スタート
「Time」配信リンク
YouTube:「Time」Official Audio(Short Version)

配信シングル「誰にも言わない」(「サントリー天然水」CMソング)
2020年5月29日(金)発売
サントリー天然水 特設ページ

宇多田ヒカルオフィシャルサイト

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