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池田エライザ、ディーン・フジオカ、木村拓哉 秋ドラマに集結する天才キャラクターを考察

リアルサウンド

19/10/29(火) 6:00

 「オレはそのとき生まれて初めて出会ったんだ。本物の天才ってやつに」

 毎週火曜深夜(MBSでは日曜深夜)に放送される『左ききのエレン』(MBS・TBS系)では、広告代理店のデザイナー朝倉光一(神尾楓珠)が圧倒的な光を放つ天才・山岸エレン(池田エライザ)の背中を追いかける。また、『シャーロック』(フジテレビ系)でディーン・フジオカが演じるのは、天才的な犯罪捜査コンサルタントだ。『グランメゾン東京』(TBS系)でも、木村拓哉が三ツ星シェフを狙う。今期クールのドラマには、これまでになく天才キャラが集結。なぜ私たちはこれほどまでに天才に引きつけられるのだろうか?

参考:ディーン・フジオカは“ロマン”を体現する 『シャーロック』など古典文学原作ドラマにハマる理由

 『左ききのエレン』原作は、かっぴーによる同名マンガ。ウェブ連載で圧倒的な支持を集め、現在『少年ジャンプ+』誌上でリメイク版が連載中。今回、待望のドラマ化に至った。「何者かになってやる」という思いを抱いて、日々、理想と現実の板挟みになる光一は言うなれば「凡才」。タイトルになっているエレンは、光一の前に突然現れ、強烈なインパクトを残してはるか先へと進んでいく。ここにあるのは典型的な「天才VS凡才」の構図だ。

 名作推理小説を原典とする『シャーロック』でも天才と凡才のコンビが活躍する。ディーン・フジオカ演じる獅子雄の助手を務める精神科医の若宮潤一(岩田剛典)は、規格外の頭脳を持つ獅子雄の前では凡才にすぎない。『グランメゾン東京』で、尾花(木村拓哉)の作る料理に感動した倫子(鈴木京香)は「自分には才能がない」と落胆するが、尾花とともに三ツ星獲得を目指す。

 天才が登場するとき、そこには必ず凡才が存在する。単なる引き立て役だけでなく、物語のガイド役を担い、光一のように主人公を務めることもある。天才は理解不能な憧れの対象であり、“こちら側の人間”として視聴者が感情移入できる相手が必要だからだ。

 さらに天才にある種の不完全さを求める傾向も見られる。自身の内に犯罪衝動を抱える獅子雄や過去のトラウマに苦しむエレンなど、破綻や欠落を抱えた姿は、才能の代償あるいは天才であるが故の苦悩と理解される。彼らは、不完全であることでさらに完全無欠な存在になるという呪いをかけられているようにも見える。

 才能を予想外の方向にこじらせた「変人/変態」や「自称天才」まで天才のバリエーションは幅広い。『まだ結婚できない男』(カンテレ・フジテレビ系)の桑野信介(阿部寛)は優秀な建築家だが、偏屈すぎる性格が災いし、53歳になってもいまだに独身。奇行すれすれな桑野の言動は、歴史上の天才エピソードにも通じる。『俺の話は長い』(日本テレビ系)で生田斗真が演じる岸辺満は実家暮らしのニートで「言い訳と屁理屈の天才」(公式サイトより)。家族が織りなす会話劇の中心には常に満の言葉がある。ある意味で、桑野や満は「天才になりそこねた凡才」と言えるかもしれない。彼らの自己認識と周囲の評価のギャップが何とも言えないおかしみを醸し出す。

 「天才とは1%のひらめきと99%の努力」とはエジソンの言葉だが、天才と凡才の間にそびえる壁を超えようと、あらゆる挑戦が繰り返されてきた。既出作でいえば、映画『バクマン。』(2015年)で、マンガ家を目指す高校生の真城最高(佐藤健)と高木秋人(神木隆之介)のコンビが天才高校生・新妻エイジ(染谷将太)に勝負を挑んだ。週刊少年ジャンプを舞台に、少年誌特有の成長ストーリーがマンガの中と外で同時進行する図式からは、根強いヒーロー願望とともに天才を客観視する醒めた視線が感じられた。

 ドラマパラビ『ミリオンジョー』(テレビ東京系)は、そんな少年誌的な成長ストーリーを逆の視点からとらえた作品。国民的大ヒットマンガの作者が死亡するが、担当編集の呉井(北山宏光)とアシスタント寺師(萩原聖人)は作者の死を隠蔽して連載を続ける。いつバレるかわからないスリルと束の間の全能感。凡才が天才になり替わるというモチーフは、天賦の才能という概念に疑問符を投げかける。

 『左ききのエレン』原作には「才能とは集中力の質である」という言葉が登場する。創造性を求められる世界で、天才を凡才から隔絶した存在として描くのではなく、同じ地平に立つ人間として認知すること。憧憬の対象でなく、さりとて安易な共感を受け付けない、近くて遠い存在。「天才になれなかった全ての人へ」向けた大人の成長ストーリーが照射するのは、私たち一人ひとりの願望と才能の形かもしれない。

■石河コウヘイ
エンタメライター、「じっちゃんの名にかけて」。東京辺境で音楽やドラマについての文章を書いています。

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