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ASKAは“作詞家”としてどんな言葉を社会に残してきたか 35年ぶり詩集刊行を機に考える

リアルサウンド

19/4/5(金) 7:00

 5月からの新元号が発表された翌日の4月2日、ゴールデンボンバーが新曲「令和」を歌った『うたコン』(NHK総合)のオープニングは、島津亜矢と井上芳雄がカバーした「YAH YAH YAH」だった。その回の番組は「いざ“令和”!はじまりの歌」と銘打たれていたが、CHAGE & ASKA(現表記:CHAGE and ASKA)による平成の大ヒットシングルからスタートしたわけだ。同曲はバブル景気崩壊からまだ間もない1993年に発表されたが、現在と比べれば一般庶民の暮らしにまだ余裕があった時代である。CHAGE & ASKAの2人が右の拳を前に突き上げ〈YAH YAH YAH〉と歌う姿は、浮かれた気分が残っていた当時の空気を象徴するものだった。

(関連:平成30年間のヒットドラマ、もっとも多く主題歌を務めたアーティストは? 上位150作を調査

 飛鳥涼名義で当時この曲を作り、詞を書いた現在のASKAが最近、『書きおろし詩集』と題した本を刊行した。彼が詩集を出すのは35年ぶりだ。書名の通り、歌にすることを前提とせずに書きおろした詩を集めている。あとがきで作者は、歌い手である自分が詩人の真似事をした散文詩ならぬ「散文歌」だといっている。この本を読むと、「YAH YAH YAH」に代表されるCHAGE & ASKAの黄金期と現在の差が伝わってきて感慨深い。そこには、ASKA自身に起きたことと時代の変化の両方がからみあっている。

 ASKAの書く詞の変化をシングルでふり返ると、まずCHAGE & ASKAのデビュー曲「ひとり咲き」(1979年)は、「あたい」が一人称の女性視点の歌であり、咲くか散るか花に恋心を託して表現していた(この当時のユニット表記はチャゲ&飛鳥)。花鳥風月を喜怒哀楽の比喩に用いる点は、演歌から四畳半フォークへと続く情緒重視の日本的な流行歌のありかたを受け継いでいたといえる。初期の代表曲「万里の河」(1980年)はその表現法の拡張版であり、中国の長江をモチーフにして和風からアジア風へ、聴けばより雄大な風景が想像される曲になっていた。

 しかし、その後、なかなかヒット曲にめぐまれなかった彼らは路線を修正し、「MOON LIGHT BLUES」(1984年)、「標的(ターゲット)」(同)など英語まじりの詞になっていく。和風であるより都会志向になったのだ。それが功を奏して浮上の足がかりとなったのが、「モーニングムーン」(1986年)だった。この曲でも朝の月がポイントになっているが、街を見下ろせる〈朝焼けのベランダ〉が登場する詞から連想されるのはコンクリートの建物であり、花鳥風月の都会化が図られている。

 詞だけでなく、初期のフォーク調からロック調へとサウンドも変化したCHAGE & ASKAの歩みは、世界のなかで日本が経済的に存在感を高め、東京がグローバルな情報都市になった1980年代の動向と同調したものだった。そして生まれたのが、「SAY YES」(1991年)と「YAH YAH YAH」の2大ヒットである。1980年代以降の日本の音楽界では、ドラマやCMとのタイアップで曲が売れる流れがあった。これら2曲もドラマ主題歌だったが、そこには微妙な抵抗もみられた。

 カタカナ職業の登場人物が、小洒落た生活を送りながら恋愛模様を繰り広げる。それが当時人気のあったトレンディドラマのパターンだったが、「SAY YES」を主題歌にしたドラマ『101回目のプロポーズ』は武田鉄矢を主役にすえ、むしろ洒落てなどいない一生懸命さを打ち出した。それに応ずるように同曲にも〈硝子ケースに並ばないように/何度も言うよ 残さず言うよ〉のフレーズがあった。商品を選ぶごとく恋愛も楽しむバブル時代の消費主義を「硝子ケース」に象徴させ、それを退ける詞だったのだ。

 CHAGE & ASKAの前年発表のシングル「DO YA DO」にも〈カタログの中で 夢を選ぶような/思いはさせてないかい〉の一節があり、同時代の空気への違和感はさりげなく表明されていた。また、「YAH YAH YAH」が使われたドラマ『振り返れば奴がいる』は医療現場を舞台に正義を問うドラマであり、曲もそれにふさわしく真っ直ぐな心情を歌っていた。これもバブル的な軽やかさではなく、熱さに振り切った歌である。ASKAは、時代に応じた変化をみせつつ、時代におもねりすぎない詞を探していたようにみえる。

 人気ミュージシャンになった彼は、様々な世代、様々なタイプのアーティスト(お笑いの明石家さんま、演歌の日野美歌なども含む)へも楽曲を提供した。そのなかにはアイドルも多かったが、最も知られているのは光GENJIへの諸作だろう。デビュー曲の「STAR LIGHT」(1987年)、「ガラスの十代」(1987年)、「パラダイス銀河」(1988年)は、星、ガラス、銀河といった光るものでジャニーズアイドルのキラキラ感を強調していた。花鳥風月を比喩に使った感覚を、光るもので応用したわけだ。

 一方、ASKAがソロとしての第一弾シングルに「MY Mr. LONELY HEART」(1987年)を選び、「LONELY」であることをテーマにしてソロ活動を始めたのは、ある種のユーモアだったかもしれない。同曲の詞で朝、花、冬、春、夕陽、夜を織りこんで時の変化と心情の推移を重ねた彼は、ソロでも「はじまりはいつも雨」(1991年)をヒットさせた。それは、CHAGE & ASKAでデビュー初期から培ってきた、天候や自然に託して感情を表現する手法を活かした歌だった。

 だが、ヒットメーカーだった彼だって、いつまでもいい状態が続くわけがない。景気停滞と同調するように試行錯誤の時期に入り、「UNI-VERSE」(2008年)で『鉄腕アトム』に触れつつ壮大な宇宙をテーマにしたかと思えば、音楽の可能性を再確認しようとしたのか「歌の中には不自由がない」(2012年)と題した曲をリリースする。

 そして、2013年に薬物問題が報道され、翌年に逮捕されたのである。音楽活動再開後の2017年発表のアルバム『Too many people』には自問自答を書いたような歌詞が多かった。曲名からして「それでいいんだ今は」、「元気か自分」、「信じることが楽さ」といった具合だ。

 今回出版された『ASKA 書きおろし詩集』も、そうした自問自答を感じさせる内省的な言葉が多い。例えば、「心の場所」と題された詩の次の一節。

  僕は景色に騙されるように
  道を間違えたに違いない

 悔恨が感じられるこのような文章は、本人の経験と結びつけて受けとらざるをえない。とはいえ、かつて平成の一時期を象徴する歌を発表した人が次のように書いているのを読むと、同じ時代を生きてきたものとしては、彼と共通する感覚を自分もどこかに持っているのではないかとも思う。

 未来を人質に明日を語ってはいけません
 幸せでありたいと願えることが幸せなのです

 「別れ」と題されたこの詩は、「あなたに逢えて本当によかった」と繰り返して終わる。

 詩集にはASKA自身の心情を吐露した部分と、今の社会の底流にある感覚を想像上の人物に言わせたような部分がまざっていて、必ずしもはっきりと分けられない。このため、本に書かれた過去への悔恨と未来への希望が、彼本人のものか、他の人々も共有する時代の意識なのか判然としなくなって、複雑な印象を残すところもある。バブルの頃から現在まで、なんらかの失敗をしたのは、彼だけではない。だから本の詞には、彼の人生だけでなく、自分の足もとを見つめ直させる部分がある。

 元号が代わることで歴史に一つの区切りをつけようとする動きがみられる今、ASKAの言葉を読むのは、予想外に興味深い体験だった。(円堂都司昭)

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