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坂元裕二が『Living』に込めた、人間に対する渾身の“愛” 広瀬姉妹×永山兄弟の第1夜を振り返る

リアルサウンド

20/6/6(土) 6:00

 珠玉の30分だった。坂元裕二脚本ドラマを待ちに待っていたテレビドラマファンにとっては特に。

参考:中尾明慶、仲里依紗、青木崇高、夫婦共演の感想は? 『リモートドラマ Living』収録を終えて

 先週放送の第1話・第2話に続いて、6月6日に第3話・第4話が放送される『リモートドラマ Living』(NHK総合)のことである。

 NHKは、『今だから、新作ドラマ作ってみました』、NHK大阪局発の『ホーム・ノット・アローン』と、コロナ禍で通常のテレビドラマ収録が困難になってしまった今だからこそできるドラマ作りをと、複数のリモートドラマを制作してきた。

 『カルテット』(TBS系)、『最高の離婚』(フジテレビ系)脚本の坂元裕二と、『あまちゃん』『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』(NHK総合)を手がけた制作統括の訓覇圭らがリモートドラマの新たな可能性に挑んで作った『Living』は、2点において、他のリモートドラマとは一線を画している。1つは、直接的には「コロナ禍の現状」が描かれていないことであり、もう1つは、本当の家族である俳優たちが家族を演じることで、物語空間自体が分断されるのを防いだことである。

 それは、広瀬アリス×広瀬すず姉妹、永山瑛太×永山絢斗兄弟がリビングでワチャワチャしている姿を見る微笑ましいモキュメンタリーのようでいて、各15分の短篇とは思えないスケールで、この地球における「人間」とは何なのかを描く、非常にスリリングで不穏なファンタジーでもあった。

 まず、大枠として、4つの物語、並びに登場人物たちは、地球にとって人類は無価値だから滅びればいいと語る、壇蜜の声によるCGキャラクター・ドングリ相手に、「人間」をなんとかして肯定して見せるために、阿部サダヲ演じる作家の頭の中から生み出された創造物だ。

●『ネアンデルタール』広瀬アリス×広瀬すず

 まず「人間の長所」を描こうと作家が登場させたのは、広瀬アリス・すず姉妹演じる、滅亡の危機に瀕しているネアンデルタール人の姉妹だ。「社会性という武器によって弱者を守り、皆で力を合わせてきた」と冒頭肯定的に描かれたホモサピエンスは、ネアンデルタール人姉妹の毒舌によって、「コミュ力(つまりは社会性)が高いだけで、社会の輪の中から外れたら露骨にいじめてくる」とあっさり否定される。

 「私たち、あとちょっとしかいないのに」と嘆くクコ(すず)にとっての「私」は、「姉妹」である前に「ネアンデルタール人」という種に属している「私」だ。個があって種族があるのではなく、種族があって個があるのだと彼女は信じて疑わない。そんなクコがホモサピエンスの男性に恋をすることによって、彼女は種族から解放され、個として自由になり、姉妹は喜び踊る。しかしそれによって、ネアンデルタール人は滅亡してしまう。

 さらには、クコが好きになった「ハヤマくん」は彼女たちが憎むべき多数派「ホモサピエンスのメス」がより好む「ちょっと悪くてちょっと可愛い」系男子だったというのも興味深い。少数派の彼女たちもまた、「コミュ力が高い」ホモサピエンスという多数派の「社会の輪」に取り込まれたのだとも言えるのである。

●『国境』永山瑛太×永山絢斗

 「人は人を好きになることができるということを証明する」という作家の言葉の根拠として、永山瑛太・絢斗兄弟が演じたのは、近未来の日本で「過去に流行った料理」を作ることを生業とする兄弟だ。

 この物語の中で描かれる未来の日本は実に不気味である。彼らは「どうせ失敗するんだから諦めなさい」という道徳の教科書の教えを肝に銘じながら、「えらい人がやるって決めたこと」について深く考えることを放棄して、ヘラリと笑って生きている。しかもこの国は戦争中で、彼らは新しくできた国境によって分断され、兄弟であるのに関わらず住む国が違う。「あんた」と呼び合い、エプロンの紐を互いに結び合う仲睦まじい兄弟であっても、戦地で互いを「撃つ」かもしれない理由をそれぞれ胸の内に隠している。

 それでも、そんな陰鬱な世界がキラキラと輝く瞬間がある。憧れの「管理人さん」と一緒に3人並んでスイカを食べる夏の日を、彼らが夢見るシークエンスだ。だがその夢は終盤、あっけなく破れる。兄弟2人の顔に、台詞がなくとも「ほらね、どうせ何をやっても失敗するんだから」という諦念が浮かぶ。

 だが、物語にはその先がある。スイカを食べる夢を失った彼らは、失敗ではなく成功に終わった、コロッケと思しきアツアツの「過去の食べ物」を口いっぱいに頬張ったのである。

 このコロッケにこそ、食べること、すなわちドラマタイトルである「Living(=リビングでの出来事/生きること)」の本質が込められているのではないか。

 作家は人間を否定するドングリに対して、人間を肯定しようと必死で物語を書くのだが、描き出したのは、人間賛歌とは程遠い猛毒だった。彼は描き出さずにはいられなかった。ファンタジーの中には、我々の生きる世界の現実が潜んでおり、ファンタジーの近未来は、悲しいことに、起こり得る未来の姿だ。

 人間は決して美しい存在ではない。長所は裏を返せば短所であり、人は人を好きになることもできるが、人は人を憎むこともできる。美しい感情と歪んだ感情は紙一重だ。

 それでも感じることができる、夢でもなければ過去系でもない、サクサクアツアツのコロッケの幸せは、「作家は本来危険な毒を吐くものであるはずなのに、現実の人間が醜すぎて私の吐く毒が毒じゃなくなってしまった」と嘆く一方で、「人間って素晴らしい。人間は生きる価値がある」と懸命に肯定しようとする作家・坂元裕二の描く、矛盾だらけでどうしようもない人間に対する渾身の「愛」なのではないか。

 さて、第3話・第4話は中尾明慶×仲里依紗、青木崇高×優香というリアル夫婦が演じる夫婦の物語。ドングリの正論を前に太刀打ちできない人間の未来はいかに。(藤原奈緒)

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