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松山ケンイチ、約4年ぶりの舞台主演『hana-1970、コザが燃えた日-』 で表現したい「人の幸せの生まれるところ」

ぴあ

松山ケンイチ 撮影:渡邊明音

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沖縄を深く見つめ、演劇を通して関わって来た演出家・栗山民也が、信頼する劇作家・畑澤聖悟に依頼して生まれた物語、それが『hana-1970、コザが燃えた日-』だ。1972年の米国統治からの沖縄返還を前に、圧政や暴挙に対する沖縄の人々の怒りが噴出した“コザ騒動”を背景にして、ある家族のそれぞれの生きざまが綴られる。約4年ぶりに舞台に立つ主演の松山ケンイチに、新たな挑戦への思いを聞いた。

“ひめゆりの塔”は辛くて最後まで見切れなかった

――沖縄返還50年目となる2022年に、意義深い作品に出会いましたね。

はい、この作品に描かれている、1970年に起きた“コザ騒動”という史実自体は知っていたんですが、これまで深く掘り下げる機会はなかったんで。

今回の台本を読んだ時に、沖縄の人たちは当時、こういう気持ちで過ごしていたんだな、と考えることが出来た、それだけでも自分の中で得るものがあると思いました。僕が演じるハルオの台詞で「なんね?日本人って?」という言葉が出て来るんですけど、日本人って何だろう? その問いに対する答えが、僕の中にも見つかっていなくて。

――それは、あえて“日本人”と区別することの意味……といったことでしょうか?

それもそうですし、日本人の中でも差がある、ということですよね。今回の作品にも、本土では “三種の神器”と呼ばれるテレビ、洗濯機、冷蔵庫はどの家庭にも揃っている、でも沖縄ではまだコーラの瓶を切ってコップに使っている……といった台詞が出て来ます。それくらい、1970年当時の本土と沖縄では大きな差があった。結局、日本がそうやって経済的に潤ってきているのは、アメリカがベトナムと戦争しているから、沖縄の人間が血を流したからじゃないのか……といった台詞も出て来る。

都市の人々が何不自由なく暮らしているなかで、実際に最前線で戦っている人たちや、田舎から出稼ぎに来なきゃいけない人たちもいて、でもそういう人たちには何の見返りもない。それにもすごく複雑な気持ちを抱いたんですよね。結局、日本人というのは都市で生きている人たちだけを指すのか、何なのか、わからない。

それは別に昔だけの話じゃないような気もします。“一億総中流”なんて言葉を聞くけれど、はたして本当にそうなのかな、ただ端っこから吸い上げているだけなんじゃないか……と思ったり。そんなふうに、日本人って何なんだろうってことを考えさせられる作品ですね。

――松山さんは青森のご出身ですが、沖縄という地にはどんなイメージを持っていましたか?

あまりにも遠いから、子供の頃は修学旅行でも行ったことはありませんでした。大人になってから仕事で、ロケで行ったのが初めてだったんですよね。その際に沖縄戦の慰霊碑“ひめゆりの塔”を訪ねて、平和祈念資料館などを見て回ったんですが、どうにも途中で苦しくなって、全部は見きれなかった。あまりにも悲惨過ぎて……。だから自分の中では沖縄は、リゾート地といったイメージはないですね。

――そうした場所を訪れたのは、その土地で起こったことをしっかり見ておきたい、という気持ちからでしょうか。

そうですね。ひめゆり学徒隊を題材にしたドラマとか、いくつもあるじゃないですか。そういうのを観たというのもあったと思います。自分が『男たちの大和/YAMATO』(05年)という映画に出させていただいたこともあって、関心があったんですよね。

約4年ぶりの舞台、初挑戦の会話劇

――松山さんが演じる主人公、“ハルオ”について教えてください。

アシバー、というのはやくざのことですね。ハルオはアシバーなんだけど、いわゆる“やくざ”のイメージとはちょっと違って、優しい人だなと思いました。そして、いっぱい傷ついてきた人ですね。この物語に出てくる人は、傷ついた人ばかりなんですけど、。この頃の沖縄は都市と比べて、まだ戦後の名残があって全然傷は癒えていない、そんな悲惨さが漂っていて。

そんな中でも、それぞれが誰かを思うあったかさを持っていて、僕が見ても「幸せだな」と思える部分があるんですよね。なので、どんな時代でも、どんな状況でも、不幸だけがあるわけじゃなく、それに対比するように幸福みたいなものもある。そこはきちんと表現を通して伝えられたらなと思っています。

――演出家、栗山民也さんとの舞台作りにはどんな期待がありますか?

僕はあまり舞台には詳しくなくて。フラットな状態で、人と人としてお仕事させて頂ければ、と思っています。栗山さんだけじゃなくどの人に対しても、生身で会いたいというか、ヘンにイメージを持って会いたくないと思っていて。

――舞台出演は劇団☆新感線の『髑髏城の七人Season風』(17年)以来、約4年ぶりになりますが、やはり映像の仕事とは違った意識で臨まれるのでしょうか。

舞台の稽古場では、出来上がっていく過程で「クリアしていけているな」という感覚は得られるんですが、本番に向かうにつれて「緊張して失敗したら嫌だな」とか、そういった不安感は常にあるんですよね。

自分がこれまでやってきた映像作品とは全然やり方が違うから、舞台は初心者なんです。素人と言ってもいい。ですが初心者だから、みたいなことも考えず、初心者のままでやるのがいいんじゃないかなと思っています。

――今回が4本目の舞台で、会話劇初挑戦と伺っています。

新しいことに挑戦する、それは常日頃から意識して取り組むようにはしています。やれるだけやって、ダメならダメで。でもやらなければ何も次に進まないから、っていうふうに考えていますね。ただ基本的に僕は、「これを言ったらこの人はどう思うだろう」とか考えられず、自分の気持ちをそのまま表現することしか出来ないから、すごく失礼なことも平気で言っちゃうんです。今までは大目に見てもらうことがほとんどで(笑)、それは本当に恵まれていてありがたいことだなと。

どうしてもそういうやり方しか出来ないので、今回も、周りの俳優さんやスタッフさんに迷惑をかけてしまうかもしれない。それでも出来るだけ、遠慮しないで自分の思いをちゃんと出していくようにと思っています。

――周囲の方々は迷惑とは受け取らず、そうした真っ直ぐな姿勢の松山さんをどんどん好きになっていくような気がします。『髑髏城の七人』で、とても華麗に、パワフルに立ち回っている姿を拝見して、もっと舞台に出て欲しい!と思ったんですよ。

う〜ん、でも、アガリ症なので難しいんですよね(笑)。

作品で伝えたい、人の幸せの生まれるところ

――舞台の経験から得られたものは何だと考えますか?

やっぱり腹から声を出しているから、健康的にはなりますよね。(思わぬ素朴な答えに一同笑)体調管理もきっちり気をつけるし。普段は、風邪をひいたら寝れば治る、くらいに考えているから。

――まだそんな、先のことを考えて気をつけるような年齢ではないですしね。

でも、やっぱり考えますよ。無理をせず、自然なままに生きる。今はそういう考え方で生活しています。

――そうしたフラットな姿勢で、今回の舞台にも向かうわけですね。課題とされていることは?

やっぱり沖縄弁はマストです。でも、あまり突き詰めないようにしようとも思っています。周りの俳優さんとどのくらいのバランスでやっていくのか、探っていきたいなと。俳優さんそれぞれの感性で沖縄弁を捉えていくわけだから、そこでヘンなグラデーションみたいなものが出来ちゃうと思うんですよ。誰かが完璧にしちゃっても、誰かがやらな過ぎても困るし。それは皆、考えているんじゃないかと思うんですよね。皆が一体感を持ってやること、それが大事なんじゃないかなと思っていますね。

――過去から今に渡って沖縄が抱える傷に思いを寄せ、人々の生きざまに胸を熱くする。そんなドラマが立ち上がるのではと期待していますが、松山さんの理想形とは?

自分がこの作品で表現したいのは、人の幸せってこういうところから生まれて来るんじゃないか、といったことですね。幸せというものは、誰もが明確に見つけられないじゃないですか。人それぞれ幸せの定義も違うし。この舞台を、エンタテインメントを通して、観てくださった方がそれぞれの幸せを持ち帰っていただけたらと思います。

――松山さんご自身の、幸せの定義はあるのでしょうか。

ありますね。単純なんですけど、誰もいないところで野良猫が日向ぼっこしていて、それを見ている何でもない時間とか、すごく幸せだな〜と思うし。 ただ自然の中にいる感覚、何の目的もない状態っていうんでしょうか。僕はそれがすごく幸せに感じますね。



取材・文:上野紀子 撮影:渡邊明音

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『hana-1970、コザが燃えた日-』
2022年1月9日(日)~1月30日(日)
会場:東京芸術劇場プレイハウス
ほか、大阪、宮城公演あり

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