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椎名林檎、全楽曲に一貫した“らしさ”とは何なのか 歌謡曲的メロディとボーカルに効いたコンプ感を分析

リアルサウンド

19/11/17(日) 8:00

 椎名林檎が初のベストアルバム『ニュートンの林檎 ~初めてのベスト盤~』を11月13日にリリースした。キャリア20年にして初となるベスト盤には新曲2曲を含む全28曲が収められ、既発曲に関してはすべて時系列順に収録されている。彼女の足跡を手軽に総括できるという意味で、古くからのファンにも新規リスナーにもうれしいリリースだ。

(関連:椎名林檎『ニュートンの林檎~初めてのベスト盤~』試聴はこちら

 この機会に改めてこれまでの作品を振り返りつつ、椎名林檎というアーティストの魅力がどこにあるのかを紐解いてみたい。

●『無罪モラトリアム』~『三毒史』のアレンジ変化
 1stアルバム『無罪モラトリアム』(1999年)および2ndアルバム『勝訴ストリップ』(2000年)は、わかりやすくオルタナティブロックサウンドに統一されていた。そこに極めて歌謡曲的な歌メロが乗る異物感と説得力、ブレス音を歌唱の一部に取り入れる斬新な手法など、さまざまな新機軸を提示した。J-POPシーンと邦楽ロックシーンという、隣り合わせていながら互いに相容れないところのあった2つの勢力に大きな衝撃を与え、どちらにとっても異質な存在感を放ちながら強い影響力を持つに至った。

 サウンド的にはキャリアの中でも異彩を放つ3rdアルバム『加爾基 精液 栗ノ花』(2003年)は、多重録音を駆使した非常にパーソナルな手触りの作品だった。前2作で強調されていた初期衝動的でラディカルなバンドグルーヴは徹底的に排除され、アナログシンセや管弦楽器、民族楽器などを積極的に取り入れた作家性の高い1枚になっている。コラージュ感の強いDTM的な側面も持っており、前2作ほどのインパクトはないかもしれないが、むしろ時代を超えうる普遍的な強度を持つ作品だ。

 2004年には東京事変と名乗るバンドを結成し、幾分肩の力が抜けた(ように見える)創作活動へとシフトする。バンドにおいてももちろん彼女の類いまれなソングライティング能力とボーカル力は健在だったが、本人の意向もあって次第にバンドメンバーの個性が色濃く反映される集団となっていった。また、バンド活動と並行して2007年には斎藤ネコとの共同名義でアルバム『平成風俗』を発表。既発曲をフルオーケストラアレンジに一新した楽曲などが収められ、のちのビッグバンドジャズ路線にも通じるムードがすでに形成されている。

 2009年にはソロ名義のアルバム『三文ゴシップ』もリリース。バンドサウンドをベースとしながらも演奏フォーカスではなく楽曲を中心に据えた作品作りへと回帰し、管や弦をフィーチャーしたゴージャスなサウンドメイクも積極的に行っている。2012年に東京事変が解散すると、作風は加速度的に自由度を増し、『日出処』(2014年)および『三毒史』(2019年)といった近年の作品では、もはや「こういった傾向の音を持つアーティストです」と一口では言えないほどに幅広い音楽性を血肉化して表現するようになった。

●“椎名林檎感”を植え付けるコンプの使い方
 音楽性の変化はありながらも、初期の作品から最新作に至るまで、一貫して強い主張を持った“椎名林檎感”が通底する。それは具体的にどの部分だろうか。各楽曲を椎名林檎たらしめている要因にはさまざまな要素が挙げられるものの、あくまで音の部分に注目するなら、その1つはボーカルにかけられたコンプレッサーだろう。もちろん個性的な声そのものが持つ独自性は非常に大きいし、発声の仕方や歌唱法にも他と一線を画す独特のものがある。しかし、それらをより際立たせ、リスナーの無意識下に“椎名林檎感”を植え付けている要素として、コンプ感は無視できないのではなかろうか。

 コンプはエフェクターの一種で、音を圧縮(compress)するもの。過大入力による音の歪みを防いだり、演奏の音量差を抑えて粒をそろえる目的で使われる。これによってミックスの際に音源が扱いやすくなったり、フレーズが聴こえやすくなるというメリットがある。デメリットとしては、かけすぎると音がつぶれ、演奏や歌唱のニュアンスが失われてしまう点が挙げられる。

 そのため、いかに原音のニュアンスを損なわずに圧縮できるかがエンジニアの腕の見せ所でもあるのだが、これを逆手に取った使い方もロックの歴史においては古くから行われてきた。すなわち、わざと音をつぶすことで普通では得られない音色を作り出すという手法だ。これをボーカルに使った例として世界的に最も有名な楽曲は、The Beatlesの「I Am The Walrus」か、あるいはKing Crimsonの「21st Century Schizoid Man」あたりになるだろうか。

 椎名の場合、上に挙げた楽曲ほど極端ではないものの、ほぼ全曲でそれに近いコンプの使い方をしている。普通はかかっていることを認識させないよう尽力するのがコンプの“正しい”使い方とされる中、素人の耳でも「コンプがかかっているな」と認識できる程度にはエフェクティブに使われているのである。オーケストラやアコースティック楽器を中心にアレンジされたオーセンティックな音の中でも一種のオルタナ感が醸し出されるのは、歌い方以外にこういった音作りも影響していることが考えられる。

●歌謡曲的な椎名林檎のメロディ
 作曲法の独自性についても少し触れておくと、前述した通りオルタナティブロックの音世界に歌謡曲的なメロディラインを持ち込んだことが初期の最大の衝撃ポイントだった。それまで誰もそれらがマッチすることなど想像もしていなかったという点で、スパゲティに納豆をトッピングするくらいの意外性があったのである。ご存じのように、今となってはどちらも定番すぎるほど定番の組み合わせだ。

 ちなみに椎名メロディのどのあたりが歌謡曲的なのかを見ていくと、まずメジャースケールよりもマイナースケールを好む傾向が挙げられる。一般的にマイナーのほうがより叙情的で感情的な旋律になりやすいとされ、日本人の血が好むメロディはマイナーであるとの言説も珍しくない。また、メロディに起伏が多いのも非常に特徴的で、椎名の曲には同音程が連続する平板なラインはめったに出てこない。「自由へ道連れ」(2012年)などに見られる同音連続にしても、まるで「上昇あるいは下降のバリエーションとして、たまたま次の音が同じ音程になっているだけ」という印象が強い。これも、リズムやハーモニーよりもメロディを最優先する歌謡曲を彷彿とさせる1つの要因だろう。

 さらに言えば、ダイアトニックスケール外の音程(譜面に書くときにシャープやフラットの臨時記号がつけられる音。雑に言えば半音)を多用する傾向もある。一般的には半音の乱用は難解さを生みやすく、作為的に聴こえてしまう危険性も大なのだが、椎名のそれは不自然なまでに自然で、ただただ耽美性や不穏さを醸し出す必然的な音として淡々と使われている。半音階を巧みに織り交ぜることで情緒を増し、歌メロとしての完成度を補強しているという点では、やはり歌謡曲との一致が感じられる。

●アーティスト表現としての純度の高さ
 そのほか、作詞における高度に音楽的な哲学なども含め、椎名の独自性は枚挙にいとまがない。しかし実際のところ、理屈では説明しきれないところにこそ彼女の本質的な魅力は存在するのではないだろうか。時期ごとの音楽性の変化にしても、戦略性はほとんど感じられず必然的な変化に見える。あらゆる表現が彼女自身の人間力に基づいているという意味で、それはつまりアーティスト表現としての純度が高いということだ。それがこれだけ長きにわたってメジャーというフィールドで聴衆から愛され続けている事実は、極めて幸福な異常事態であると言っていいだろう。(ナカニシキュウ)

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