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安倍寧のBRAVO!ショービジネス

映画『ジャズ喫茶ベイシー』 サウンドに命を賭けた男の物語

毎月連載

第29回

20/10/20(火)

映画『ジャズ喫茶ベイシー』(C)「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ

映像ドキュメンタリーだが、映像とともに、時にはそれ以上に音響に気合を入れたユニークな作品である。それはそうだ、対象が岩手県一関市の名門ジャズ喫茶「ベイシー」とオーナーの菅原正二氏なのだから。映画の題名『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)』(星野哲也監督)のSwiftyは菅原氏のニックネームで「すばしっこい奴」を意味する。店の名前の由来でもある名ピアニスト、名バンドリーダー、カウント・ベイシー(1904~84)自身の命名だというから凄い。

映画『ジャズ喫茶ベイシー』(C)「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ

ジャズ喫茶「ベイシー」はジャズのアナログ音源をそれにもっとも適した再生装置で再現することをモットーとする。オーナーの菅原正二氏が一種の使命感を抱いてこの道一筋に突き進んできた。オーディオ評論家小野寺弘滋氏は、「日本のオーディオ界には『音は人なり』という格言があって、ようするにそういうことではないかとも思う。」(映画パンフレットのコラム「ベイシーのオーディオ」)と書いているが、小野寺氏の言に従えば「ベイシー」の音響は菅原氏の全人格、全個性の表現そのものということになる。菅原氏が「レコードをプレイする人」と呼ばれる所以でもある。

広い額、濃い眉、サングラスの向うの柔和な眼差しなど、カメラが捉えた菅原氏の容貌にはプロフェッショナルとしての魅力が漂う。内心は頑固一徹だろうが、その微笑みには人懐っこさが滲み出ている。

映画『ジャズ喫茶ベイシー』(C)「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ

星野哲也監督は、この5年間、少なくとも月2回、「ベイシー」に通い詰めた。収録した映像は150時間に及ぶ。菅原氏が自らのジャズ観、ステレオ観を語るだけでなく、さまざまなゲストが音楽、録音・再生について持論を繰り広げる。音楽と無関係の話も多い。そのすべての告白・証言のなかから菅原正二氏というひとりの人物像がおのずと浮かび上がってくる。その仕掛けがとってもうまく作動しているせいか、ジャズ喫茶の店内という狭い空間にもかかわらず、画面に閉塞感がまったくない。ひとつにはゲストの顔ぶれの幅の広さもあるだろう。島地勝彦(作家、元週刊プレイボーイ編集長)、中平穂積(ジャズ喫茶「DUG」マスター、写真家)、安藤忠雄(建築家)、鈴木京香(女優)……、更に内外の音楽家では村上〝ポンタ〟秀一、坂田明、ペーター・ブロッツマン、小澤征爾、渡辺貞夫……(登場順)。

島地氏が編集者時代に担当者の枠を超え今東光、柴田錬三郎氏らの作家を師と仰いだ話をすれば、菅原氏は、自分にとって野口久光氏(映画・音楽評論家)が同じような存在だったと胸の内を明かす。電車のなかでかねてから尊敬していた野口氏を見つけ話し掛けたらしい。菅原氏は、早稲田大学在学中、学生バンドとしては結構名の知れたハイソサエティー・オーケストラのリーダー兼ドラマーだったので、〝ハイソ〟の名を持ち出し自己紹介したそうだ。島地、菅原両氏は、青春時代に師と呼べる先輩に出会えた喜びをしみじみと語り合っていた。

映画『ジャズ喫茶ベイシー』(C)「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ

この映画の真の主役は菅原氏ではなく菅原氏の作り出したサウンドかもしれない。星野監督の言葉を引く(パンフレット「監督の言葉」より)。

「とにかく、ベイシーの最高の音を捕まえること、映画館であたかもベイシーにいるかのような体験ができる、そんなサウンドに仕立てたい。そのために、精鋭の録音チームと共に奮闘して、レコード時代のナグラ社製オープンリールテープレコーダーとヴィンテージマイクを駆使して6mmテープに収めた。」

映画『ジャズ喫茶ベイシー』(C)「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ

今まで劇映画、ドキュメンタリーを問わず音楽、音楽家に材を得た作品がごまんと製作されてきた。しかし、今回の『ジャズ喫茶ベイシー』で鳴るようなサウンドは聴いたことがない。鳴り始めた瞬間から全身に緊張感が走る。おのずと聴覚が全開する。やがて体内の奥底からさまざまな感情が立ち上ぼってくる。衝撃、歓喜、興奮、陶酔……。

本作品が星野監督のデビュー作である。もともとカメラ、オーディオ、ジャズ初め音楽に関してはすこぶる付きの熱心なマニアだったので、第一作の対象に「ベイシー」と菅原氏を選んだのは当然のなりゆきだった。このまま手をこまねいていると、菅原氏の作り出した「ベイシー」の理想的なサウンドがこの世から消えてしまう、なんとか残したいという痛切な願いから自主製作に踏み切ったという。

星野哲也氏の生業は飲食業である。白金にバー2軒「ガランス」「酒肆(し)ガランス」、三宿に「焼肉ケニア」を営む。もちろん酒にも料理にもひときわこだわる。いずれの店にもさまざまな顔ぶれの常連が相集う。今回、『ジャズ喫茶ベイシー~』のエグゼクティヴ・プロデューサーを務めた亀山千広氏(前フジテレビ代表取締役社長、現BSフジ代表取締役社長)もそのひとりだ。これまで『踊る大捜査線』シリーズなど超ヒット作を製作してきた〝大〟プロデューサーが、どうしてインディペンデント系映画の製作総指揮として名を連ねることになったのか。

亀山氏は次のように語っている。

「シンプルに言うと、目の前で監督が悩んでいて、その監督は僕の行きつけのバーのマスターだった。普通ならバーで愚痴るのは客なのに、客である僕がマスターの愚痴を聞いていた。それがきっかけです」(パンフレット「亀山千広インタビュー」)。

星野監督が個人的にこつこつとおこなってきた作業が、キャリア豊富な亀山氏の参加で一挙に社会的な広がりを持つことになる。パブリシティ面では特にその効果覿面(てきめん)だ。タモリが試写を見にくるわ、朝日新聞が夕刊社会面で大々的にとり上げるわ(9月5日付け)である。

私は、映画はアップリンク渋谷でいちど見ただけだが、サウンドトラックのCDは毎日のように聴いている。作品の魅力を反復して味わうのにいちばん手っとり早い方法だからだろう(『プレイバック・アット・ジャズ喫茶ベイシー』、アナログ〈12インチ〉、SA-CDハイブリッド〈stereo〉の2種あり、発売ユニバーサル)。

この作品の映像、サウンドには中毒症状を起こしかねない“毒”が含まれているようだ。その魅力的な“毒”の正体をとことん究めたいと思う。

プロフィール

あべ・やすし

1933年生まれ。音楽評論家。慶応大学在学中からフリーランスとして、内外ポピュラーミュージック、ミュージカルなどの批評、コラムを執筆。半世紀以上にわたって、国内で上演されるミュージカルはもとより、ブロードウェイ、ウエストエンドの主要作品を見続けている。主な著書に「VIVA!劇団四季ミュージカル」「ミュージカルにI LOVE YOU」「ミュージカル教室へようこそ!」(日之出出版)。

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