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米津玄師『STRAY SHEEP』レビュー:裸眼で直視した世界に向けた、表現者としての誠意

リアルサウンド

20/8/7(金) 17:00

 米津玄師の5thアルバム『STRAY SHEEP』。このアルバムのことを“今、日本で最もリリースが待たれていたアルバム”と呼んでも、決して誇張表現にはならないだろう。

 2018年にリリースされ、大ヒットとした「Lemon」以降のシングル曲や、Foorin「パプリカ」や菅田将暉「まちがいさがし」のセルフカバー、RADWIMPS・野田洋次郎とのコラボ曲などを収録した話題作だ。15曲中8曲は新曲であるものの、残り7曲はすでに多くの人が知っている。タイアップ曲も半数近くあり、曲の色を覆すのが難しい状況ゆえ、ある種ベスト盤のような作品になると思っていたが、新たなアルバムとして組み立て直すその手腕に唸らせられた。ほとんどの曲に共同編曲者・弦楽アレンジとしてクレジットされている坂東祐大の存在も鍵になっている。

 米津玄師のアルバム(ここではハチ名義を除く)は、タイトルがその時々の彼を形容している。一人宅録で制作した、箱庭的な1stアルバム『diorama』。自身をネットカルチャーからの移民と比喩した2ndアルバム『YANKEE』。ブレーメンの音楽隊のように、社会の受け皿からこぼれてしまった人の逃げ場としての音楽を鳴らした3rdアルバム『Bremen』。これまで出会った人々の影響を受けながら形作られてきた自分自身や、そんな自分から出てくる表現のことを海賊版と言い表した4thアルバム『BOOTLEG』。

 『STRAY SHEEP』(=迷える羊)と名付けられた今回のアルバムには、ポップソングを作る者としての覚悟が映されていた。民衆を導く神のような存在ではなく、混沌とした、正解なんて誰も知らない世界で悩みながら生きるいち表現者として、真ん中に立つということ。ゆえに、本作を象徴する1曲目「カムパネルラ」の一人称が、自らの過ちを認識しながらも〈わたしはまだ生きていける〉としているように、このアルバムには“正しく生きられないこと”を描いた曲も多い。

「カムパネルラ」

 2、3曲目には、見目麗しい人に翻弄される人の情けなさを古風に歌った「Flamingo」、同じくホーンの入った曲で先行配信でも話題になった「感電」と、肩肘張り過ぎない曲が続く。そして「PLACEBO + 野田洋次郎」は陽気なエレポップ。米津はRADWIMPSから影響を受けていることを公言しているため、RADに寄せた曲、もしくは米津とRADの中間地点的にあたる曲が来ると踏んでいたが、どちらでもない曲調が来るのは予想外だった。2人のデュエットにバイオリンが絡んでくる様子が楽しく、米津とともに歌うことにより、野田の歌声の透明度の高さに改めて気づかせられる感じも面白い。

「Flamingo」
「感電」
「PLACEBO + 野田洋次郎」

 「パプリカ」はベースミュージック的なトラックで入りはダウナーだが、そこに笛や三味線、人のざわめきなどが加わることによって、温かみのある賑わいが生まれている。アルバムを前後半で分けるとすれば、6曲目「馬と鹿」の壮大な音像が前半のフィナーレといったところか。以前、「感電」についての記事で「隙の無い洗練から、小粋な遊び心へ。(中略)5thアルバム『STRAY SHEEP』もそういうモードなのだろうか」と書いたが、ここまでの6曲はそのイメージに近い。(「Lemon」に象徴される)神秘的なイメージからの脱却という意識もあったのかもしれない。

「パプリカ」
「馬と鹿」

 7曲目「優しい人」はとにかく歌詞が凄まじく、これを世に出すのには相当勇気が要ったのではないだろうか。デリケートなテーマだけに抽象的な表現に逃げる方法もあったと思うが、このアルバムの内容を鑑みれば確かに、直接的に書く必要があったのかもしれない。そしてここで「Lemon」が登場。「優しい人」のあとに聴くことによって曲の重みがまた増しているし、さらにそのあとに続く「まちがいさがし」が、救いの曲になっている。紙を押さえる文鎮のように、この3曲を中盤に配置することによって、アルバムの重心が定まった。「Lemon」ほどの曲があれば、序盤に配置して聴き手の注意を惹くか、終盤に配置してクライマックスを担わせるかのどちらかだろう――と、軽率に推測していた自分が恥ずかしい。

「優しい人」
「Lemon」
「まちがいさがし」

 一転、「ひまわり」はストレートなギターロックで、常に刻まれている16分のリズムや、トリルのような動きを多用したリフ・裏メロによって、曲自体が“速く”聴こえる。「TEENAGE RIOT」が米津にとって原風景的な位置付けであるように、ギターロック系の曲は、ある人がある人に憧れ、時を経て鳴らし継がれる、というロックの“継承”的な側面を担っているものが多い。そういう意味で、「ひまわり」の歌詞において、〈散弾銃〉や〈北極星〉というワードが登場すること、そしてサビで〈その姿をいつだって/僕は追いかけていたんだ〉と歌っていることは無視できないポイントであるように思う。

「ひまわり」

 人生という演劇をテーマにした「迷える羊」はインダストリアルミュージック。鍵括弧で括られた神のお告げ的なフレーズが登場するサビはCメジャーで、サビに辿り着くまではCマイナーだが、ところどころEから♭が外れていたりするため、メロディは無軌道で不穏だ。アコーディオンが歌い、渋いチェロソロもあるタンゴ「Décolleté」は、ダークながらも遊び心のある曲。〈ダーリン〉というワードのみで展開される2番Bメロ、〈噛む裸のトルソー〉の箇所で見られる母音を伸ばしながら音程を上下させる歌唱法など、ボーカルも新鮮な要素満載だ。

「迷える羊」
「Décolleté」
「TEENAGE RIOT」

 オーケストラとデジタルクワイアを掛け合わせた「海の幽霊」は何度聴いても圧倒的。このアルバムのキーパーソン・坂東と初めてタッグを組んだのがこの曲であり、「海の幽霊」は、米津の音楽人生におけるターニングポイントともいえるような、非常に重要な曲になった。そんな「海の幽霊」もろとも包み込んでみせるのがラストの「カナリヤ」だ。「私はあなたのことが好きだけれど、それは別にあなたじゃなくても構わない。けれど、だからこそ少なくとも今はあなたのことを愛していたい」(参照:音楽ナタリー)。意思で以って相手と結びつく関係性の強さと尊さを歌った曲だ。〈あなたも わたしも 変わってしまうでしょう/時には諍い 傷つけ合うでしょう/見失うそのたびに恋をして/確かめ合いたい〉というフレーズは、〈光を受け止めて 跳ね返り輝くクリスタル/君がつけた傷も 輝きのその一つ〉と歌う「カムパネルラ」に対する答えであると同時に、変わり続けることを志向するアーティスト・米津玄師の信じるものを言葉にしたフレーズでもある。

「海の幽霊」
「カナリヤ」

 今回のアルバムに収録されている新曲群はほとんどがコロナ禍で制作され、期間中米津は、仕事以外の連絡をシャットダウンし、酒を飲まない生活をしていたとのこと(参照:音楽ナタリー)。ここ数年の米津の曲には、飲酒行為がインスピレーション源になっている曲も多く(「Flamingo」もその一つ)、かつて彼は、飲酒行為を“逆眼鏡”(過敏になりすぎた神経を取っ払ってくれるもの)と表現していた(参照:ネットラジオ『米津玄師 ████████と、Lemon。』)。そこから考えると、つまり『STRAY SHEEP』とは、何のフィルターもなしに、裸眼で世界を直視したうえで作り上げたアルバムだということ。聴く人によっては心がさらに苦しくなる曲も収録されているのは、それも承知の上で今回収録しようと決断したのは、ここで目をつぶらないことが作り手としての誠意だと判断したからであろう。

 ポップソングを作るということは、広く聴かれる曲を作るということ。広く聴かれるということは、拡大解釈されたり、誤解されたり、逆に、行間に込めたものを受け取ってもらえず悲しい思いをしたりする可能性が高まるということ。そんななかで米津玄師は、何を引き受け、どう生きていくのか。『STRAY SHEEP』は、痛ましくも美しいその姿をありありと伝える作品だ。

■蜂須賀ちなみ
1992年生まれ。横浜市出身。学生時代に「音楽と人」へ寄稿したことをきっかけに、フリーランスのライターとして活動を開始。「リアルサウンド」「ROCKIN’ON JAPAN」「Skream!」「SPICE」などで執筆中。

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