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佐々木俊尚 テクノロジー時代のエンタテインメント

SNSがメタバースになると、関係や距離はどう変わるのか?

毎月連載

第41回

メタバースが突如として盛りあがってきている。メタバースというのは、端的に言えばこういうもの。「数百万ものユーザーがアバターになり、リアルタイムで交流できるようになる仮想空間」

VRのヘッドセットをかぶって仮想空間の中に入り、そこでさまざまな人たちと行動を共にしたり、しゃべったり、さらにはオンライン会議もできるようになる。この分野で先手を打ったのはフェイスブックで、VRヘッドセットのリーディングメーカーだったオキュラスを2014年に20億ドルで買収している。もう7年も前のことだが、この時点でマーク・ザッカーバーグはフェイスブックの将来を「ソーシャルVR」と定めていたのは非常にすごい。

最近の決算説明会などでも、ザッカーバーグはかなりメタバースに踏み込んで発言している。「メタバースは次世代のインターネットになる」「フェイスブックの未来はメタバースにある」「フェイスブックはソーシャルメディア企業ではなく、今後数年間でメタバース企業になる」。そして50億ドルもの予算を、メタバースの研究開発に投じているという噂もある。

メタバースというと、2007年に日本でブームになった「セカンドライフ」を思い出す人も多いだろう。そしてセカンドライフと同じように今度のメタバースもしょせんは空疎なバブルで、いずれ話題に上らなくなるだろうと。

しかし2007年と現在では、テクノロジーの進歩度合いがまったく異なる。当時はまだVRヘッドセットも実用化されておらず、セカンドライフのメタバース空間はパソコンの画面の中に存在するだけだった。ユーザーインタフェイスも悪く、アバターを操作しづらかった。しかし2021年の現在はVRは普及局面に入ってきており、視界も両目で5K解像度の製品が登場するなど高精細になってきた。ユーザーインタフェイスはまだ改良の余地が多くあるが、以前よりは少なくともかなり使いやすくなっている。今回のメタバースブームは、ひょっとしたら本格的に離陸するかもしれない。

ザッカーバーグの発言を見ればわかるとおり、フェイスブックはメタバースをSNSの未来と位置づけている。現在のテキストベースのSNSがVRに進むと、ネット上の人間関係にはなんらかの変化があるのだろうか。

4つに分類される“ソーシャルディスタンス”の定義

ソーシャルディスタンスという用語は、コロナ禍で日本でも一般的になった。アメリカの文化人類学者エドワード・ホールは、1966年の『かくれた次元』という本でこの用語を使って、人と人の距離を分類している。

密接距離=においや体温などが感じられる近さ。恋人や家族の関係。
個体距離=互いに手を伸ばせば触れ合えられる1メートルぐらいまでの距離。友人や会社の同僚。
社会距離=手を伸ばしても届かない2〜3メートルの距離。でも普通の声は届いてビジネスなどの要件は伝え合えられ、相手の表情もわかる。
公衆距離=大声を出せば聞こえるけれど、もはや顔の表情や声のこまかいニュアンスは届かない。

距離が非対称か対称か? テレビやラジオとインターネットの違い

政治家の演説を遠くから聴くのは、公衆距離だ。しかしテレビに政治家が出演し、顔がカメラでクローズアップされて喋っているのを聴いていると、視聴者の側は社会距離ぐらいに近く感じるようになる。とはいえテレビに出ている政治家の側から見ると、カメラの向こうのお茶の間にいる視聴者は、あいかわらず公衆距離ぐらいに遠い。つまりテレビというメディアは距離を非対称にしているのだ。

これはラジオも同じだ。ラジオのパーソナリティは「ラジオの向こうのあなた」と二人称単数で呼びかけ、聴いているリスナーはパーソナリティをすぐそばにいるような身近な存在に感じる。個体距離ぐらいの近さである。しかしパーソナリティーから見れば実はリスナーはその他大勢でしかなく、存在も感じられない。演説会の壇上から観客を見ているのと変わらず、公衆距離なのである。ここでも非対称がある。

しかしインターネットは、この非対称を破壊した。テキストベースで文字だけでやり取りするツイッターやフェイスブックのようなSNSは社会距離ぐらいの近さで人びとを結んでいる。そしてこの距離感は、フォロワーの側もフォローされている政治家の側も、等しく同じ感覚なのである。距離感が対称なのだ。

お茶の間でテレビを見ながら、出ている政治家やコメントを罵倒しても、なんら問題はなかった。家族以外は誰も聴いていなかったからだ(家族関係は悪くなることもあっただろうけれど。「お父さん、なんでそんなひどいことばかり言ってるの」)。しかしネットによって距離が対称になった結果、相手にも罵倒が届いてしまうようになったのである。

SNSがメタバースになると、どのようなメリットとデメリットを生むのか?

さて、SNSがメタバースになると、関係や距離はどう変わるのだろうか。

現在でもVRではアダルトもののコンテンツがたくさん配信されており、かなりの人気を得ているようだ。これらはまさに密接距離である。しかしアダルトのVRコンテンツはSNSではなく、テレビや映画と同じような一方向の送信でしかない。だからコンテンツを楽しんでいるユーザーは出演女優に密接距離を感じていても、女優の側はユーザーは公衆距離の遠くにいる存在でしかない。

しかしSNSでは、この非対称性が壊れる。メタバースにいきなりアダルトな要素が入ってくることは少ないだろうが(とはいえ、一部にそういうSNSが出てきて人気を集める可能性はかなり高いとは思う)、ごく普通のSNSでもアバターとアバターが仮想空間内で個体距離や密接距離にまで近づいて会話することができるようになるだろう。

そうすればユーザー同士は、メタバース空間で互いの距離を今まで以上に近づけていくことが可能になる。さらには将来のメタバースが触覚や嗅覚を実装することができるようになれば、距離はさらに近くなる。しかもメタバースは配信コンテンツではなく、あくまでも関係が対称なSNSである。

これが著名なタレントや俳優、ミュージシャンなどのアカウントにどのような影響を与えるのか。現実の物理空間と同じように、ガードマンが登場してバリケードをし、一般人が近づけないようにして「仮想空間の中の公衆距離」というようなルールが現れるのか。それともそうしたバリケードは仮想空間では一気に取り払われて、だれもが互いに密接距離にまで近づけるような究極フラットな世界がやってくるのか。その世界では、いまのSNSに見られるような中傷や罵声はどうなるのか。

現時点ではまだ、想像もつかないことばかりである。フェイスブックやツイッターの普及が持続的で場所を問わない人間関係を実現した一方でネットストーカーや誹謗中傷問題を派生させてしまったように、メタバースがどのように人間関係を変容させ、どのようなメリットとデメリットを生んでいくのかを注視していきたい。

プロフィール

佐々木俊尚(ささき・としなお)

1961年生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学政治経済学部政治学科中退後、1988年毎日新聞社入社。その後、月刊アスキー編集部を経て、フリージャーナリストとして活躍。ITから政治・経済・社会・文化・食まで、幅広いジャンルで執筆活動を続けている。近著は『時間とテクノロジー』(光文社)。

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