Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

葛西純自伝連載『狂猿』第10回 橋本真也の”付き人時代”とZERO1退団を決意させた伊東竜二の言葉

リアルサウンド

20/5/15(金) 12:00

 葛西純は、プロレスラーのなかでも、ごく一部の選手しか足を踏み入れないデスマッチの世界で「カリスマ」と呼ばれている選手だ。20年以上のキャリアのなかで、さまざまな形式のデスマッチを行い、数々の伝説を打ち立ててきた。その激闘の歴史は、観客の脳裏と「マット界で最も傷だらけ」といわれる背中に刻まれている。クレイジーモンキー【狂猿】の異名を持つ男はなぜ、自らの体に傷を刻み込みながら、闘い続けるのか。そのすべてが葛西純本人の口から語られる、衝撃的自伝ストーリー。

関連:“デスマッチファイター葛西純が明かす、少年時代に見たプロレスの衝撃 自伝『狂猿』連載第1回

■「プロレスラーの橋本です」で改札を通過

 「ZEROーONE」には、メジャー出身のレスラーがたくさん所属していたから、葛西純に対して「インディから変なヤツが来たな」みたいな冷たい目で見られんじゃないかと覚悟していたけど、大谷(晋二郎)さんも、高岩(竜一)さんも、頭が柔らかくて、プロフェッショナルで、俺っちのことをいちレスラーとして対等に扱ってくれた。俺っちは真面目に合同練習に出ていたし、リング外では若手だった佐々木義人や黒毛和牛太(不動力也)と仲良くなって、飲んだりするようになった。それに、大日本プロレスにいた後期と違ってちゃんと給料がもらえたから、ZERO-ONEはかなり居心地が良かった。

 ただ、予想外だったのが橋本(真也)さんだった。噂には聞いてたけど、本当にガキ大将がそのまま大きくなったような人で、俺っちはその言動に振り回されるようになっていった。橋本さんは歴史が好きで、なかでも織田信長を尊敬していて、自分は「信長の生まれ変わり」と公言していた。で、俺っちは猿キャラをやっていたから、橋本さんの中ではサル=豊臣秀吉という形になったみたいで、いきなり「サルを付き人にする!」って言い出した。俺っちは橋本さんに気にいられていたから、プロレスの流れで「信長・秀吉タッグ」でも組むのかなと思ってたら、これがリアルな話で、フロントからも「橋本さんの付き人に付いてくれ」と言われた。

 大日本プロレスには付き人制度はなかったから、俺っちにはとっては初の経験。何をどうすればいいのかよくわからないまま、俺っちはデビュー5年目にしてレスラー人生初の付き人をやることになってしまった。この頃の橋本さんは、新日本プロレスにいたときに比べたら「丸くなった」と言われていたけど、それでもなかなか豪快な人で、俺っちは戸惑うことが多かった。

 ある地方会場の試合が終わってホテルに泊まったとき、橋本さんから「明日、新幹線に乗って東京に帰らなきゃいけないから、サル、起こせよ!」と言われた。俺っちは「わかりました」といって自分の部屋に戻ったんだけど、橋本さんが寝坊したら大変だと思うと気が気じゃなくて、自分の睡眠もそこそこに早起きして、橋本さんを起こしに行った。部屋に入って「橋本さん、新幹線の時間があるので起きてください!」って声をかけると、「わかった」と言いつつまだ寝ている。刻一刻と時間が迫ってくる。さすがにヤバイと思って、「橋本さん、もうギリギリですよ!」って何度も声をかけたら、橋本さんは「分かっとる。慌てるな」と言いながらむっくりと起き上がって、身支度をはじめるんだけど、その動作がめっちゃスローなんだよ。それで「サル、ズボンを取ってくれ」「シャツ取ってくれ」って言いつけてくるんだけど、シャツもズボンの橋本さんのすぐそばに置いてあるから、自分で取ったほうが早いんじゃねぇのかなと思いつつ手伝って、なんとかホテルを出てタクシーに乗リ込んだ時点であと10分ぐらいしかない。

 もう新幹線が出発するというギリギリの時間に駅に着いたんだけど、まだ切符を買ってないことに気づいた。これ切符を買ってたら絶対間に合わねえな、と思ったら、橋本さんはまったく躊躇せずにそのまま改札にスーッと向かって行くんだよ。「すいません橋本さん! まだ切符買ってないんです!」と引き留めようとしたら、橋本さんは「ええから、黙ってついてこい!」とノシノシ歩いていって、駅員に「どうも、プロレスラーの橋本です」とニッコリ笑って、顔パスでそのまま改札を通過した。新幹線には本当にギリギリ乗れて、車内で切符を買って、すべてが間に合った。めちゃくちゃだけど、これがスターのオーラかと思い知らされた。

■「ええかげんにせえよ。この野郎!」

 秋田の大館というところで大会があったときも強烈だった。俺っちは、まだ正式に入団してない状態で、フロントからも「葛西くんはキャラクターもあるし、セコンドに付かなくていいよ」って言われてたから、自分の試合が終わったら控室に戻って、テングカイザーと一緒にストーブにあたりながらバカ話をしていた。

 それでメインの試合が終わったら、橋本さんが鬼の形相で控室に駆け込んできて、「おまえらなんでセコンド付かないんや! いいかげんにせえよ、この野郎!」って、めっちゃキレられた。もうこれは殴られるなってくらいの勢いでガチガチに怒られて、俺っちは「やべー、怖えー」って思いながら下向いてた。大会が終わってホテルに帰ってきて、部屋でひとりでコンビニで買ってきた弁当を食いながら、すげぇ怒られちゃったなって反省して、そろそろ寝ようかというときに、部屋の外が騒がしくなった。「なんだこんな夜遅くに」と思って、ドアのアイスコープから廊下を覗いてみたら、橋本さんがパンツ一丁で忍び足で歩いている。それで、俺っちの斜め向かいの部屋のドアにガンガン! ってノックをして、うわ~って大笑いしながらバタバタと走って逃げてるんだよ。

 「さっきまでエラい剣幕で怒ってた人がなにやってるんだ」って面喰らいながらも、あとで事情を聞いたら、どうやら某選手が部屋に女を連れ込んでたみたいで、橋本さんがその情報を聞きつけて、そいつの部屋まで行ってノックしてからかってただけだった。橋本さんの周辺は、こういう男子校みたいなノリになることが多くて、いろんな意味で「大丈夫か、この団体」って思ったね。

 慣れない付き人稼業は大変ではあったけど、リングの上では伸び伸びとやらせてもらっていた。お客さんの反応もよくて、俺っちのキャラクターも徐々に浸透していった。後楽園ホールで坂田さん(坂田亘)とやったシングル戦は「葛西純 ZERO-ONE入団テストマッチ」という名目で、俺っちが勝ったら正式にZERO-ONEに入団できるというものだった。

 試合は、場外戦の展開になってレフェリーは場外カウントを続ける。俺っちはリングに戻ろうとしたんだけど、坂田さんは俺っちのタイツから生えたシッポを掴んで止めようとする。そこで俺っちは掴まれたタイツごと脱ぎ捨てて、ギリギリで生還してリングアウト勝ちを拾った。当時としては、こういう勝ち方はギャンブルだったと思うけど、すごく盛り上がったし、ZERO-ONEファンのお客さんも俺っちのことを認めてくれた試合だったと思う。

■何でもやるサラリーマン・レスラー

 それからZERO-ONEマットでは俺っちのコミカルなキャラクターを強調したような試合が増えていった。それはそれで楽しかったんだけど、巡業を重ねていくと、だんだん「最初に聞いていたことと話が違うな」と思うことが増えてきた。橋本さんの付き人の件もそうだし、外人軍団に所属して、旗振ってスポークスマン的なポジションでやるっていうプランもいつのまにか立ち消えになった。気づいたら第一試合あたりで、コミカルマッチをするポジションになっていた。大日本プロレスで、トップを張ってデスマッチをやってたころの充実感が懐かしく思えてきて、「なんか俺のやりたいことじゃないな」というモヤモヤした気持ちを感じるようになっていた。

 そんなころ、橋本さんが主演する『あゝ一軒家プロレス』という映画の撮影が始まった。俺っちは付き人として、現場の橋本さんに付いてなくちゃいけない。それになぜか俺っちも映画に出演することになって、軽井沢のロケ現場に1週間ぐらい籠もって撮影することもあった。実はこの時期に、俺っちに待望の長男が生まれていた。子供は本当に可愛くて、できるだけ一緒にいたかったんだけど、試合が無い日もずっと映画の撮影があったりして、子供にも満足に会えない状態が続いていた。リングの内外で、いろいろ言いたいことはあったけど、当時の俺っちは完全にサラリーマンだった。ちゃんとお給料もらえるなら何でもやりますよ的なスタンスで、会社から「ハッスルに出てください」と言われれば「喜んで」という感じで、与えられた仕事をこなすような日々だった。

 そうこうしてるうちに、ZERO-ONEもだんだん雲行きが怪しくなってきた。俺っちからはどんな事情だったのかよくわからないけど、橋本さんとフロント陣が対立して、結果的に橋本さんが辞めることになって、団体も新たに「ZERO1-MAX」という名前になった。選手たちは心機一転頑張ろうって気持ちではあったんだけど、橋本さんが抜けた穴は大きくて、魅力的なカードが組めなくなって、お客さんも目に見えて減っていった。そうなると、会社の雰囲気も悪くなってくるし、ギスギスしてくる。この流れは体験したことあるなと思ったら、大日本でCZWが抜けた後の感じに似ていた。それで案の定というか、経営が厳しくなり始めた。

■「ZERO1の葛西純、このベルトに挑戦してこい!」

 そのころ、たまたま家でサムライ(『FIGHTING TV サムライ』)を見ていたら、大日本プロレスが横浜文体(横浜文化体育館)で開催した旗揚げ10周年記念大会の中継をやっていた。メインイベントでは、あのガリガリで細かった伊東竜二が、いつのまにかデスマッチのベルトを持っていて、BADBOY非道を相手に防衛戦をやっていた。「伊東がデスマッチのチャンピオンか……。それに引き換え俺は何をやっているんだろう」なんて思いながら眺めてたら、伊東が試合後のコメントで「このベルトに挑戦してくるやつ、この団体にいねぇのか? いねぇんだったら俺から次の挑戦者を指名するよ。ZERO1の葛西純、このベルトに挑戦してこい!」みたいなことを言った。伊東の口から俺っちの名前なんて出てくると思わなかったから、本当に「え?」ってなったんだけど、次の瞬間に「葛西純は伊東竜二とデスマッチをやらなきゃいけない」と確信した。

 その翌日ぐらいには、大谷さんに電話して「やりたいことができたので辞めさせてください」とお願いして、ZERO1を退団することになった。ZERO1側も、「葛西選手がプロレスラーとして他にやりたい事があるのであれば」とオレっちの意見を汲み取ってくれ、引き留められることもなかった。ただ、みんなで足並みそろえて頑張っていこうという時に、抜ける人間が出てくるというのはどうなんだ? という空気は感じた。でも、そうも言っていられない。俺っちの人生だし、葛西純にはやらなきゃいけないことがある。
 辞めたはいいけど、立場としてはフリー。伊東とデスマッチをやるどころか、俺っちがあがれるリングがあるのかどうかもわからなかった。退団の会見をして帰ってきてから、すぐ金村さん(金村キンタロー)に電話をした。金村さんはZERO1にも出ていて一緒になることも多かったんだけど、以前から「ZERO1は葛西のいるところじゃないよ」と言ってくれていた。それで金村さんに「退団しました」と言ったら、「おう、分かった。じゃあ俺から登坂に電話しておく」と。こっちから「大日本に上がりたいんですけど」なんてひとことも言ってないのに、金村さんは俺っちの気持ちを見透かすように「登坂に次のホールに葛西を入れるように言っておくわ」と、すべてを決めてくれた。

 俺っちは大日本プロレスを辞めるときに相当揉めてるから、またそのリングに上がることに対して躊躇が無かったと言えばウソになる。でも、時計の針はどんどん進んだ。俺っちは、ZERO1の退団発表をした1週間後に、大日本プロレスの後楽園ホール大会のメインイベントにあがることになった。

■葛西純(かさい じゅん)
プロレスリングFREEDOMS所属。1974年9月9日生まれ。血液型=AB型、身長=173.5cm、体重=91.5kg。1998年8月23日、大阪・鶴見緑地花博公園広場、vs谷口剛司でデビュー。得意技はパールハーバースプラッシュ、垂直落下式リバースタイガードライバー、スティミュレイション。

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む