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野木亜紀子×山下敦弘が描く現代人の切なさと愛しさ 絶品の深夜ドラマ『コタキ兄弟と四苦八苦』

リアルサウンド

20/2/7(金) 6:00

 毎週金曜日の夜、こんなにも上質な深夜ドラマがあっていいのだろうかと思いながら『コタキ兄弟と四苦八苦』(テレビ東京系)を観ている。特に第4話の「四、死苦」(ゲスト:樋口可南子)は絶品だった。彼女の「世界の終わり」と海に落としてしまった輝きを失った水晶玉が煌き、「他人」じゃなくなってしまったからお別れする、美しくも切ない「死苦」の物語だ。

 屈指のバイプレイヤー・古舘寛治と滝藤賢一の“レンタルおやじ”兄弟というある種のバディもの。さらに『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)、『獣になれない私たち』(日本テレビ系)の野木亜紀子が脚本、『リンダリンダリンダ』『もらとりあむタマ子』『ハード・コア』の山下敦弘が演出を手がける。

 このドラマは、女性を描く。それも「正論だけで生きていける幸せな世の中」ではない、気安く誰かに寄りかかれない時代において、何より「自分」というものを大切に生きようとする女性の姿を。現代社会を生きる女性の姿を常にリアルに描写してきた野木と、女優を撮ることに長けている山下は何より真摯に描いている。

 まずは、野木亜紀子のオリジナル脚本の妙、味のある出演者の組み合わせである。

 主に常識面と人との距離感において、何事も正反対でありながら、ケンカしつつ仲がいい兄弟・一路(古舘寛治)と二路(滝藤賢一)。「そんなのまともじゃない!」と依頼内容に対して憤慨する一路が事情を知ることで彼なりの応援を試みたり、対照的にニ路が「いいじゃんいいじゃん」と驚異の理解力を見せたり凄まじい距離感のなさで相手の警戒を解きにいったりするコンビネーションは最高である。

 そして、天真爛漫で可愛い看板娘と見せかけて、レンチン料理で価格と時間引き下げを図るなどの驚異の合理性で経営者としての手腕も持ち合わせている喫茶「シャバダバ」のさっちゃんを演じる芳根京子もまたキュートだ。彼らに依頼を運んでくる謎の男・ムラタも、宮藤官九郎が演じることで絶妙な存在感を醸し出している。

 また、第1話で仄めかされていた「モモ焼き」と勘当のエピソードが第3話で明かされる等の伏線回収、第1話における、ニ路→ムラタ→静子とケガの程度が次第に大きくなっていくことで物語が展開していく流れも秀逸だ。彼らがこれから身を投じていくことになる「レンタルおやじ」という文字の書いた名刺を覗き込む2人のショットの後、オープニングを挟んで、高いところから依頼人を見下ろす2人のショットが続くという、「兄弟が何かを見つける」ことから始まる第1話。そして、「3カ月後に世界が終わる」という台詞がもたらす非日常が、レンジの「チン!」という日常の音にかき消される第4話オープニングと、4人の軽快なトークだけでなく、山下の演出のリズムにも感服させられる。

 このドラマに描かれる女性たちは、常に確固たる信念を持っている。それぞれが「自分がどうしたいか」ということを真剣に考え、「こうありたい人生」を自力で作ろうとする。だが、彼女たちはそれぞれに、愛する友達や家族の手を煩わせないように、傷つけないようにと口にする。強く美しく、自分の信念を貫き通す清々しさを持つために、金銭を介した関係であるレンタルおやじを利用しなければ、気軽に誰かに寄りかかれない姿は現代人特有の切なさでもある。

 そして、第3話のモテに対して真剣に悩む青年・坂井(望月歩)の純朴さ、それに反応する兄弟のモテる・モテない議論と違って、彼女たちの向き合わずにはいられない問題は、結婚離婚、出産、死と、人生における重大な局面であり、とてもシビアな現実だ。

 何かを決意し、信念を内に秘めた女たちの表情は美しい。例えば、花嫁姿の岸井ゆきのが「私が幸せじゃないとこの子を幸せにできない」と言う時の横顔のアップ、樋口可南子の毅然とした表情のアップだけで胸が高鳴る第4話冒頭、そして一路の世界を文字通り回らせるに至った路地の樋口可南子、天真爛漫な表情が魅力の芳根京子の「だからモテないんだ~」と思っていないと言いつつ明らかに思っている目。『リンダリンダリンダ』の女子高生たちや、『もらとりあむタマ子』の前田敦子、『オーバー・フェンス』の蒼井優など、数々の女優の美しさを切り取ってきた山下だからこその、豪華な女優たちのショットももちろん忘れてはならない。

 人は、たとえ赤の他人だったとして、関わることで情が溢れ、愛着が生まれてしまう生き物なのであるということを第4話は示した。樋口演じる須弥子の死が近づくことに、なんでもないふりをしながら怯えている兄弟が食べるすっぱい梅干し。彼女の孤独で不安な夜に不器用に寄り添う2人に対して、それまで「ナニ路」呼びかけていた須弥子は、笑いながら一路、ニ路と呼びかける。でも、赤の他人でなくなってしまったから、自分が死ぬことで辛い思いをするだろう相手のことを思わずにはいられないために、別れを選ぶ。3人の会話における実子か養子か議論を含め、人と関わることは煩わしくもあるが、愛おしくもある。そんなことをこの愛すべきドラマは、教えてくれるのではないかと思っている。(藤原奈緒)

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