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三浦春馬×多部未華子『アイネクライネナハトムジーク』の小さな魔法 今泉監督が投げかける疑問とは

リアルサウンド

19/9/26(木) 10:00

 今泉力哉監督が撮る映画の登場人物たち(おもに主人公)は、みな一様に何かに対して“疑問”を浮かべている。最も代表的なものは、彼の映画の代名詞とも言える「好きになるってどういうこと?」という問いかけだ。これは『サッドティー』において棚子(青柳文子)が発する言葉であるが、この命題こそが、これまでの今泉作品のスタイルを形作ってきた。この問いは、『パンとバスと2度目のハツコイ』において「結婚しても、相手のことをずっと好きでいるのは不可能なのではないか?」という疑問に発展し、『愛がなんだ』では「どうしてだろう? わたしはいまだに田中守の恋人ではない」へと変奏を遂げていく。

参考:ほか場面写真はこちらから

 『サッドティー』の棚子、『パンバス』のふみ(深川麻衣)、『愛がなんだ』のテルコ(岸井ゆきの)。彼女たちは、置かれている状況や自分の心情に対して純粋に問いをぶつけ、答えを求めようとする。彼女たちが疑問を浮かべるのは、言葉にすると元も子もないような、漠然としすぎてこれまでちゃんと考えることをしてこなかったものだ。疑問を投げかけられた側も「え?」と思わず聞き返してしまって、回答に窮する難しい問題。例えば、『愛がなんだ』における上記の疑問は自分自身に問いかけられたものだったが、葉子(深川麻衣)と仲原(若葉竜也)、守(成田凌)とすみれ(江口のりこ)の関係性に自分を投影したり、あるいは彼らと接することによって、最終的にテルコは「愛がなんだってんだ!」という自己回答へとたどり着く。このように、恋愛群像劇の名手と呼ばれる今泉監督は、“疑問”を映画の主軸に置き、登場人物間のコミュニケーションをもとにその答えを探ってきたフィルムメーカーだと言える。では本作ではどうだろうか?

 『アイネクライネナハトムジーク』は、劇的な出会いを求める佐藤(三浦春馬)を中心に、10人以上の登場人物が複雑に絡みながら10年という長いスパンで展開する、人と人との交流の物語だ。そのタイトルはモーツァルトの楽曲からとられており、「ある小さな夜の曲」という意味が備わっている。そして、ここでもストーリーのメインに置かれているのは「出会いってなんだろう?」「あのとき出会ったのが彼女でよかったと思う?」「10年付き合ったら結婚するもの?」といった疑問形だ。

 原作は伊坂幸太郎の同名小説で、脚本は、伊坂作品が映像化される際に何度も筆をとってきた鈴木謙一。要するに、今泉監督は脚本づくりに直接関わってはいない。しかし、例に漏れず本作でもさまざまな「疑問」をもとに物語が展開することになったのは偶然か、それとも必然か。いや、この映画のテーマから考えるのであれば、それもある種の“奇跡の出会い”だったのかもしれない。監督を今泉に指名したのは、伊坂幸太郎本人だと明言されている。今泉作品の登場人物たちが純粋に疑問を追究してきた姿が、『アイネクライネナハトムジーク』の登場人物たちと見事に共鳴することで、今回の映像化が実現したのではないだろうか。

 「疑問」を主軸に置いた映画を撮り続けてきた今泉と、その共通項をもとに集結した製作陣。さらにおもしろいのは、本作が実は「疑問を浮かべること」自体についての映画になっている点にある。

 本作は、「出会いがない」と嘆く佐藤に投げかけられる「出会いってなんだ?」という一真(矢本悠馬)の問いかけによってはじまる物語だ。

 しかしこの問いに関しては一真自身によってすぐに答えが示される。「出会い方なんてどうでもいいんだ」「後になって、『あの時、あそこにいたのが彼女で本当に良かった』って幸運に感謝できるようなのが、一番幸せなんだよ」と。この意味を佐藤が真に理解するのは、まだ少し先のこと。しかしこれを発端として佐藤は「出会いってなんなんだろう?」というハテナマークを浮かべて日々の生活を送ることになる。そんな折に偶然の出会いを果たすのが、多部未華子演じる紗季だ。

 マーケットリサーチの仕事に従事する佐藤は、ひょんなことから上司に街頭アンケートの敢行を命じられる。しょうがなく駅前でおこなうも、行き交う人々はなかなか立ち止まってくれない。ふと佐藤は、近くで歌っていた弾き語りの路上ライブに耳を傾ける。駅前の大画面に映し出されたボクシング中継の盛り上がりに比べるとあまりにもささやかで、誰もが聞き流してしまうような歌声にそっと引かれて。そこに、同じようにしてたまたま足を止める紗季。佐藤は紗季に一瞬目をやるが、すぐに目をそらす。声をかけなければ何も起こらない場面だ。そのまま紗季は去ってしまいそうになったものの、すかさず佐藤はアンケートへの回答を求め、「いいですよ」と了承を得ることに成功。その、紗季がアンケート用紙への記入を進める場面。紗季の手の甲に小さく書かれた「シャンプー」という文字に佐藤は反応し、その単語が思わず声に出る。それに対して紗季は、「今日、安いんですよ。忘れないように」と微笑みながらそう答えた。

 どこにでもあるかもしれない会話。劇的とは言えない出会い。しかし、これもひとつの出会いであることに違いはない。街頭アンケートという、これもある種の「相手に疑問を持つ」という作業に気だるそうにしていた佐藤が、偶然出会った女性に「なんでシャンプーって書いているんだろう」という小さな疑問を投げかける。その問いかけによって、2人の距離が少し縮まったことを見逃してはいけない。要するに、佐藤は相手に疑問を投げかけることで、「出会い」から「相手のことを知る」という次の段階へと歩みを進め、このことによって物語も駆動していくことになるのだ。

 よく見渡すと、本作にはそうした“小さな疑問”が点在していることがわかる。織田美緒(恒松祐里)による「なんでお母さんがあんな男と結婚できたのだろう」や、「誰が自転車のシールを剥がしたのか」という疑問。合唱コンクールに向けた練習で口パクを命じられた生徒に対しての久留米(萩原利久)のツッコミや、公園で出会った姉弟の「大丈夫?」という手話の合図、佐藤から藤間(原田泰造)への「あのとき財布を落としたのが奥さんでよかったですか?」という問いも、細かなギミックでありながら、結果的に物語を構成する大きな要素として働いている。

 さらなる本作の技巧的な巧さは、この「疑問」が人の間を巡り、最終的に自分の元へと帰ってくるところにあるだろう。紗季との出会いから10年後、結婚を申し込んだものの考える時間を要求されてしまった佐藤。そこである人物から問われるのは、「あのとき出会ったのが紗季さんでよかったと思う?」という、10年前に自分が藤間へと投げかけた問いと同じものだった。そこで改めて考える、紗季との出会い。そしてこの10年の、どこにでもあるかもしれないけれど特別だった無数の「小さな夜」のこと。

 「後になって出会えてよかったと思えるのが一番幸せなんだ」という一真が発した言葉の「後」とは一体いつのなのか? を問う美緒の発言も印象に残る。きっとそれは現在であり、未来なのだろう。「あの人に出会えてよかった?」と時おり自分の心に問い、改めて日常の些細なことに感謝しながら「彼/彼女に出会えてよかった」と確認する作業こそが重要なのだと。本作が描いているのは「疑問を浮かべること」自体についてのすばらしさ。これまでのフィルモグラフィーのなかで常に「疑問」を浮かべ続けてきた今泉監督が描く『アイネクライネナハトムジーク』が教えてくれるのは、“どこにでもある”日常が“特別”に変わる、そんな魔法みたいな考え方なのだ。 (文=原航平)

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