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樋口尚文 銀幕の個性派たち

斎藤洋介、心やさしき異貌のひと

毎月連載

第59回

写真提供 アクトレインクラブ

私が何十年も前に斎藤洋介その人を間近に見かけた瞬間のことを未だによく覚えている。有楽町の日劇がマリオンになったばかりの頃だったので1980年代半ばのことだが、たまさかマリオン前の信号で乗っていたタクシーが停まって、目の前の横断歩道を数少ない歩行者が往来し出した時、あまりにも個性的な容貌のコート姿の男性が現れて私の視覚のなかでスローモーションになった。「あ、『車輪の一歩』のあの人だ」と思った。

1951年生まれの斎藤洋介は、1979年11月24日に放映されたNHK土曜ドラマ『男たちの旅路』シリーズ第4部の第3話『車輪の一歩』の主演に抜擢され、視聴者に凄まじいインパクトを与えた。まさに脂ののった時期の山田太一脚本による『男たちの旅路』ははずれなしの傑作揃いで、テレビドラマ史上の至宝のごときシリーズだったが、なかでも白眉は『車輪の一歩』だった。

お茶の間の気軽な娯楽としてのテレビドラマにあってはなかなか直視されることがなかった、からだに障害を持ち車椅子に頼らざるを得ない人びとの日常を扱い、かれらをとりまく社会の理不尽さ、至らなさを焙り出し、尊厳と自由をもって皆と同じように生を満喫したいかれらの心情を、とことん尖鋭に、そしてあたたかみを籠めて描きあげた。

そんな本作でからだの事情ゆえの屈折や懊悩にさいなまれつつ、けなげに生きようとする青年を、全く無名だった斎藤洋介が真摯に演じきった。そもそも階段で地下に降りなければならないポルノ映画館に入るために人の手を借りなければならない、という出だしから辛いのだが、人並みにトルコ風呂(当時の俗称)で遊びたいと親に頼んで、いさんで出かけるも、入店を断られて帰ってくる場面が悲痛の極みだった。

心配する親の手前、空元気を出して笑って帰ってくるも、あまりのみじめさに号泣しはじめる斎藤の演技に、視聴者は釘付けになった。私もリアルタイムで見ていたが、こんな内容を未知なる俳優が演じていることでいっそう衝撃の度が増し、特にビデオなどない当時のドラマとの出会いは一期一会だけに濃厚だったので、あくる日曜も週が明けても、斎藤の表情と叫びに胸をかきむしられた余韻のなかにいた。

それから四十年近く経って、旧知のマネージャー女史から斎藤洋介の担当になったと聞いた際も「ああ、『車輪の一歩』の斎藤さんですね」と寿いだ。事ほどさように斎藤洋介といえば『車輪の一歩』であり、このたびの急逝の直後も斎藤を偲ぶ人たちから異口同音に『車輪の一歩』のタイトルが発せられた。私も評論家の看板をあげている以上、またデビュー時からの斎藤をリアルタイムで眺めて来て、マネージャー女史とも親しいからには、もっと穿った気のきいた追悼を捧げねばと思い、斎藤の作品歴を遡ってみた。

そうやって意識的に見てみるとあれこれ思い出深い作品はある……映画『ヒポクラテスたち』のしがない医学生、『われに撃つ用意あり』の全共闘くずれの中年、ドラマ『1年B組新八先生』『2年B組仙八先生』の実直な教諭、山田太一脚本の『教員室』の狂える教員、『家なき子』や『人間・失格』の狂気の人、バラエティ『SMAP×SMAP』をはじめとする珍妙なキャラクター、そのほか数知れずだが、結局あのテレビドラマ史の奇跡というべき「『車輪の一歩』の青年役ほどの深甚な衝撃を与える役など見出せる由もないのであった。

だが、あんな千載一遇の役柄と出会って日本じゅうの視聴者に何十年もとりついて離れないような演技を見せることができたのは、以後いかにその役柄に束縛されようとも、あまりに貴重なことであるに違いない。もしあの作品との出会いがなければ、この極端なる異貌の人がここまでドラマや映画に重用されることもなかったかもしれない。いささか早すぎる愛すべき怪優との別れに、黙祷。

(C)2020 CRAZY SAMURAI MUSASHI Film Partners

最新出演作品

『狂武蔵』
2020年8月20日公開 配給:アルバトロス・フィルム
監督:下村勇二
出演:TAK∴(坂口拓)/山﨑賢人/斎藤洋介/樋浦 勉

プロフィール

樋口 尚文(ひぐち・なおふみ)

1962年生まれ。映画評論家/映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍』『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』『「砂の器」と「日本沈没」70年代日本の超大作映画』『ロマンポルノと実録やくざ映画』『「昭和」の子役 もうひとつの日本映画史』『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』『映画のキャッチコピー学』ほか。監督作に『インターミッション』『葬式の名人』。新著は『秋吉久美子 調書』。

『葬式の名人』

『葬式の名人』
2019年9月20日公開 配給:ティ・ジョイ
監督:樋口尚文 原作:川端康成
脚本:大野裕之
出演:前田敦子/高良健吾/白洲迅/尾上寛之/中西美帆/奥野瑛太/佐藤都輝子/樋井明日香/中江有里/大島葉子/佐伯日菜子/阿比留照太/桂雀々/堀内正美/和泉ちぬ/福本清三/中島貞夫/栗塚旭/有馬稲子

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