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『ニッポンノワール』でも物語に誘うキーマンに 井浦新が醸し出す“危うさ”はどこから生まれるのか

リアルサウンド

19/11/3(日) 6:10

 井浦新は堕天使である。

 最近、とりわけそう思う。

 『ニッポンノワールー刑事Yの反乱―』(日本テレビ系)では強面の公安の刑事・才門要を演じていて、往年の昭和の日テレの刑事ドラマのような、昭和のバイオレンス映画のような空気をプンプン出していて驚いた。その前に出演していた朝ドラこと連続テレビ小説『なつぞら』(NHK総合)での物静かで冗談の似合わない真面目な職人アニメーター・仲さんとはまるで違う役で、出番も感情の出しどころが少なかった分、才門要で発散しているかのようにも見えるほどで。10月27日放送の第3話では主人公役の賀来賢人と激しいアクションを見せた。

 公安刑事のキャラづけとしてよくある本性のわからなさは、つぶらな黒目がちな瞳で表情があまり変わらない井浦新にぴったり。が、それに加えて人を食ったような感じや粗暴な感じがプラスされ、新たな面が見える。振り返れば、映画『ニワトリ☆スター』(18年)では荒れた生活を送る大阪弁の風来坊から気のいいお好み焼き屋のおやじになる男を演じ、『アンナチュラル』(18年、TBS系)で演じた中堂系は「クソ」を連発する粗野ながら腕のいい法医解剖医。がしかしその態度の裏に隠された繊細さを含めて中堂が大変な人気を獲得、井浦新はセカンドブレイクした。ファーストブレイクは2000年初頭。それについては後述する。

 中堂系人気がちょっとやんちゃな役の継続を後押ししているようにも思え、『宮本から君へ』(19年)では何人もの女性と平行してつきあっているらしきクズを演じている。何にしてもどこか愛らしい部分があるのが女性ファンにはたまらない。今年4月に発売された斎藤工の写真集『JOURNEY』に斎藤へ直筆コメントを寄稿している。そのときの斎藤への呼びかけが「おまえ」。しかも文字がゴリゴリと漢らしい。これにも注目せざるを得ないのだ。

 契機は、ギャングのリーダーを演じた『HiGH&LOW THE MOVIE』 (16年)か。なんといっても恩師である故・若松孝二が映画を撮り始めた頃を描いた『止められるか、俺たちを』(18年)が最高峰に無頼であった。声の野太さ、地に足ついた軸の確かさ、映画で世界と闘ってきた男に渾身で挑んでいた。

 それまでの井浦新は、透明感のある少し不思議な佇まいの青年役が多かった。ARATAだったデビュー作の『ワンダフルライフ』(99年)がそれを規定したと言ってよく、今年公開された『嵐電』もその系譜にある。世界のどこにも軸足をしっかり置けないままさまよっているような。だから、どの世界も見つめることができるような、そんな役である。世間的に注目されたのは『ピンポン』(02年)。窪塚洋介演じる主人公の相棒役で、ちょっとクールなメガネ男子として女性人気を獲得。これがファーストブレイクだ。ところが、テレビドラマやエンタメ映画とは距離をとり、芸術的な映画を選び、独自のファッションブランドなども立ち上げるなど、世の中に消費されることなくマイペースな活動を行う。そんななかで若松孝二と出会って、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』(12年)で三島由紀夫を演じ、それを機にARATAから井浦新に改名、そこからみるみる骨太な面が垣間見えるようになっていく。若松監督との出会いは大きかったのだろうと思う。

 その前からどこかふわっとした外観と内面のわからなさ、危うさなどが魅力的であった井浦新だが、一度、窪塚洋介と再共演した『ジ、エクストリーム、スキヤキ』(13年)の撮影現場で取材したとき、遠くで準備から本番に入る前のわずかの隙間を、神経を研ぎ澄ませて確認しながら、階段の下で話す姿が職人という感じで、しびれたことは忘れられない。よく、俳優が「俳優は特別ではなく、演出部や照明部などと同じ俳優部なのだ」と言うことを耳にするが、まさに俳優部の一員という気がしたのだ。俳優取材はきちんと静かで快適な場所で、ものすごく気遣って、という先入観を覆された。そういう俳優だから、そもそもふんわりした、掴みどころのない人ではなく、現場の人の役が似合うのもそういうことなのだろうと勝手に思う。最近は、Twitterをはじめて、出演作品のTweetを盛んに行っている。『ニッポンノワール』のTweetも多い。

 もちろん、単なる現実的な人ではなくて、地道にやりつつ飛躍を目指していく真の芸術家タイプ。だからなのか、良くも悪くもやっぱりどこにいても目立ってしまうのだ。何を着てもかっこよくファッショナブルに見えてしまうのである。映画『こはく』(19年)では長崎のガラス工場の社長役だが、兄役の大橋彰と並ぶと、ふつうの服のようでなんだかおしゃれに見えるし、『嵐電』(19年)で演じた京都に取材にやってきたノンフィクションライター衛星は、アウトドアファッションのモデルのように見えてしまうのだ。衣裳や持ち物が本人の私物だったらしいが、なにげないアウトドアファッションで嵐電沿線を歩く姿は普通の人とちょっと違う。その溶け込まなさ具合が物語を重層的にする。『なつぞら』も出番が少ないにもかかわらず、メガネも白いハイネックもなにもかもおしゃれに見えた(芸術家アニメーター役だから当然なのだが)。

 きっと井浦新はなにかしらの手違いで地上に降りて人間の営みを見つめている天使に違いない。『悼む人』(15年)の究極の愛を求める宗教家は、神の世界を求める人間だったがその逆。神の世界に背を向けて、清さだけでない汚れも引き受ける者。ARATAから井浦新になって様々な役を演じ、じょじょに地上の者の業にまみれて、本当の人間に肉薄している最中なのではないか。井浦新は映画で、ドラマで、多くの生きる苦しみを抱え込んだ現実世界と格闘している。

 「LET’S THINK」、『ニッポンノワール』3話で才門が言った言葉は『3年A組ー今から皆さんは、人質ですー』の主人公(菅田将暉)が生徒たちに問いかけた切実な言葉。これを井浦新が言うことでもう、戦いに私達を巻き込もうとしているように思えてならない。(文=木俣冬)

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