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葛西純自伝連載『狂猿』第14回 引退覚悟で挑んだ、伊東竜二との一騎討ち

リアルサウンド

20/8/21(金) 12:00

 葛西純は、プロレスラーのなかでも、ごく一部の選手しか足を踏み入れないデスマッチの世界で「カリスマ」と呼ばれている選手だ。20年以上のキャリアのなかで、さまざまな形式のデスマッチを行い、数々の伝説を打ち立ててきた。その激闘の歴史は、観客の脳裏と「マット界で最も傷だらけ」といわれる背中に刻まれている。クレイジーモンキー【狂猿】の異名を持つ男はなぜ、自らの体に傷を刻み込みながら、闘い続けるのか。そのすべてが葛西純本人の口から語られる、衝撃的自伝ストーリー。

第1回:デスマッチファイター葛西純が明かす、少年時代に見たプロレスの衝撃
第2回:勉強も運動もできない、不良でさえもなかった”その他大勢”の少年時代
第3回:格闘家を目指して上京、ガードマンとして働き始めるが……
第4回:大日本プロレス入団、母と交わした「5年」の約束
第5回:九死に一生を得た交通事故、プロレス界の歴史は変わっていた
第6回:ボコボコにされて嬉し涙を流したデスマッチデビュー
第7回:葛西純自伝『狂猿』第7回 「クレイジーモンキー」の誕生と母の涙
第8回:葛西純が明かす、結婚秘話と大日本プロレスとのすれ違い
第9回:大日本プロレス退団と“新天地”ZERO-ONE加入の真実
第10回:橋本真也の”付き人時代”とZERO1退団を決意させた伊東竜二の言葉
第11回:ジャパニーズデスマッチの最先端、伊東竜二との対戦は……?
第12回:アパッチプロレス軍入団と佐々木貴・マンモス佐々木との死闘
第13回:相次ぐ膝のケガとホテルで体験した心霊現象


 2009年5月22日、俺っちは新生アパッチプロレス新木場大会で復帰した。まだヒザの状態が万全ではなかったけど、いつまでも休んじゃいられない。でも、この日は試合直後に金村キンタローさんがアポなしでリングにあがってきて、不穏な空気になってしまった。

 6月8日には、沼澤邪鬼、星野勘九郎と組んで「恐怖のデスケーキ画鋲3万2000個&蛍光灯200本3.2.1バースデス6人タッグマッチ」、7月12日の大日本プロレス横浜文化体育館では「蛍光灯&有刺鉄線ダブルボード6人タッグデスマッチ」、27日はアブドーラ小林とシングルで剣山や蛍光灯が大量に飛び交う「KKKデスマッチ」、8月にはDDTの両国国技館大会に出場、MIKAMIと組んで、ケニー・オメガ&マイク・エンジェルス組を交えたKO-Dタッグ選手権4wayマッチと試合を重ねたけど、モチベーションはいまいちあがらない。

「おい伊東! もうお互いに時間ねえんだ。次の後楽園、テメエとシングルでやってやる!」


 そんななか、俺っちが所属していたアパッチプロレスが、金村キンタロー事件を吹っ切るために新たに「プロレスリングFREEDOMS」として再スタートを切ることになった。9月2日の旗揚げ戦では、俺っちは貴とグレート小鹿と組んでバラモン兄弟たちとの試合だった。

 9月28日の大日本プロレス後楽園ホールでは、「ストリートファイト・ドレスアップ6人タッグマッチ」ということで、俺っちはパンダの気ぐるみを着て、ハッピ姿の伊東と試合をした。

 正直、こんなことをやってる場合じゃないという気持ちが強くなってきた。

 10月1日には、大日本プロレスによる「演劇とプロレスの融合」を目指したシェークスピア劇シリーズの第二弾として「ロミオVSジュリエット Love of deep blood」という興行をやるということになった。

 俺っちはロミオ役で、ジュリエット役はなぜか沼澤邪鬼。劇中に出てくる「毒薬」のために、ザ・グレート・カブキさんから毒霧の使用を許可をもらうとか、よくわからないことになっていた。このイベントはお芝居の部分があってセリフを覚えなきゃいけないんだけど、最後に俺っちとヌマで普通にシングル対決をするという趣向だった。

 この時、演出家の人から「試合が終わったらアドリブで思ってることを喋ってください」って言われてたから、ヌマに勝って試合が終わって、喋りだしたら感極まってしまって、泣きながら「正直、あと何年できるかわからない」とか、思ってることをぜんぶ言ってしまった。

 ラブホテルの清掃バイトをやっていて常に睡眠不足だし、プロレスでも自分のやりたいことができないし、体もボロボロ。引っ張ってもしょうがないから、もう年末までに伊東竜二とやって、それで引退するって決めた。

 この後、10月26日に大日本プロレスの後楽園ホール大会で「蛍光灯200本凶器持込3WAYタッグデスマッチ』をやって、俺っちが勝ったわけでもないのに、これが最後のチャンスだと思って試合後にアピールした。

「おい伊東! もうお互いに時間ねえんだ。次の後楽園、テメエとシングルでやってやる!」

 大日本プロレスとしては、12月の文体でチャンピオンの宮本裕向に、次期挑戦者の佐々木貴が挑戦するという流れをアピールする場だったんだけど、俺っちはそれをブチ壊して控室でもコメントした。 

「あいつとの戦いは因縁とかそういうもんじゃねえんだ。葛西純という独りのレスラーと、伊東竜二というひとりのレスラー、その闘いだ」

「俺っちと伊東の闘いはドラマとかそんなもんじゃねえんだよ。人生VS人生なんだよ」

 関係者からしてみたら、やや唐突だったかもしれない。でも、このアピールで、1カ月後の11月20日後楽園ホールで俺っちと伊東の一騎討ちが決まった。試合形式は「カミソリ十字架ボード+αデスマッチ」。

 もう勝っても負けても関係ないし、いい試合をしてやろうっていう気持ちもなかった。ただ1つのケジメとして伊東とやらなきゃいけないという想いだけだった。

試合当日の出来事

 この日は、試合前のこともよく覚えている。

 この頃は息子が保育園に通ってたんだけど、なぜか思う所あって、この日は保育園を休ませて、俺っちは息子を連れて近所の公園に行って二人で遊んだ。帰りに近くのスーパーに寄って、お寿司を2つ買って、家で息子と食べてると、嫁さんが仕事から帰ってきた。俺っちと嫁さんと、あと、この試合を見ておきたいっていう知り合いの夫婦でウチの車に乗って、後楽園ホールに向かった。

 嫁さんには、今日の試合で辞めるなんてハッキリ言ってなかったんだけど、なんとなく感づいているようだった。勝っても負けても試合後に「今日で引退する」と言う。そう決めると、不思議と緊張しなかった。いままでで一番緊張しなかった試合かもしれない。とにかく自分が今持ってるものを出し切ろう。それだけを考えていた。

 会場に着いて、控室に向かって通路を歩いてたら、たまたま伊東とすれ違った。もちろん言葉は交わさなかったけど、もう見ただけで伊東がガチガチに緊張してるのがわかった。普段からノンビリしてる伊東が、今日は緊張するんだなって、他人事のようにみてた。

 控室で身支度を整えたら、俺っちたちの前に試合してた佐々木貴が戻ってきた。そこで貴に「今日のお客さんどう?」って聞いたら「まぁまぁ入ってるよ」って軽い感じで応えた。そうか、それならいつもの大日本プロレスと同じくらいの「入ってる」感じかなと思った。リングの準備が終わって、メインイベントの時間になった。俺っちの入場曲が流れてきて、息を整えて鉄扉を開けて、会場にパっと出たら、今まで感じたことのない歓声が聞こえてきた。目を凝らすと、見たことないくらいの数のお客さんがビッチリと席を埋めてた。「なんだよ貴、言ってること違うじゃん」って思いながらリングに向かった。

 いま思えば、貴は俺っちに気を使って軽めに言って、変にプレッシャーを与えないようにしてくれたのかもしれない。コールを受けているときから、とにかくお客さんからの歓声がすごくて、ものすごい盛り上がりだった、こうなったらとことんやってやろう。

 試合が始まると、歓声はより大きくなった。動けば沸くし、技を受けても湧く。とにかく楽しいし、気持ちいい。伊東も楽しそうで、思わず笑みがこぼれている。試合しながら、今日でプロレスを辞めるのはいいけど、これがなくなったら俺っちは何を励みに生きていけばいいのかなって思い始めた。

 場外戦になって、伊東を机にガムテープで縛り付けて、バルコニーに向かって階段を上がってる間も頭の中では「俺っちの人生で、こんなに楽しいことないな。これ辞めちゃったら俺どうなっちゃうんだろう」とか、そんな想いが回る。そのままの勢いで6メートル下の伊東めがけてダイブした。この高さから飛んだら、ヒザをやって動けなくなる可能性もあったけど、そんなことまったく考えてなかった。

 だんだん観客の声も気にならなくなるくらい試合が楽しくて、気がついたら試合時間は残りわずか。なんども肩をあげる伊東に、最後は無我夢中で有刺鉄線サボテンのリバースタイガードライバーを突き刺してカウント3。残り時間15秒、記録は「29分45秒 体固め」で勝った。

 試合後のマイクで「ハッキリいって年内引退考えてたよ。でも両ヒザぶっ壊れるまでやってやるよ。ビコーズなぜなら、オメエらみたいなキ○ガイがいるからだ!」。

   控室でも記者相手に言葉があふれた。

「傍から見れば、こんだけ血流してこんだけキツいことして、大変ですねって思うかもしんねぇよ。でもよ、オマエら常人には理解できねぇかもしんねぇけどよ、あのリング、あのデスマッチのリングこそが俺っちの生きる糧なんだよ。俺っちが唯一輝ける場所なんだよ」ーー。

プロレス大賞のベストバウト受賞


 この試合のひと月後くらいかな。夕方に息子を保育園に迎えに行って、それから車でアピタっていう商業施設で買物をして、家に帰る途中のこと。信号待ちしてたら急にお腹が痛くなって、とにかく猛烈にウンコがしたくなった。これはトイレまで持つかな、やべーなって思いながら運転してたら携帯電話が鳴った。なんだよこんな時に、って思ったけど、車をちょっと停めて、携帯に出た。

 電話は当時、大日本プロレスにいた李日韓からで、いきなり「葛西さん知ってます?」っていうから、「知らねぇよ。いきなり言われても何のことだかわかんねぇよ」って答えたら、日韓が「東スポのプロレス大賞のベストバウトを葛西さんと伊東さんの試合がとりました」って。えーーっ!って、めっちゃ驚いて、ウンコが引っ込んだ。

 そこから家に着いて息子と妻だけ置いて、今度はひとりで大日本の道場に向かって、そこで東スポの取材を受けた。俺っちはプロレス大賞なんてものとは無縁だと思ってたし、狙ったこともなかった。けど、取ってみるとやっぱり周りの見る目が変わったというか、俺っちにも伊東にも、デスマッチそのものにも箔がついた。

 それまでも大日本プロレスでは毎試合のように伊東とタッグで当たってたんだけど、賞を取ってからは、先発で俺っちと伊東が出るだけで会場がウォーっと沸くようになった。賞を取るというのはこういうことなのかと思った。

 ただ、いま「2009年の年間最高試合」をビデオで見返すと、単純に「もっと出来たな」って思う。試合内容的には普通というか、大したことをやってない。ただ、あの試合はやっぱり異質なんだよ。

 例えば、ベストバウトを過去に取った試合っていうのは、その試合そのものの評価だけだった。ただ、あのときは、試合だけでなく俺と伊東の因縁があった。試合にこぎつけるまでの6年間に俺たちが積み上げてきたすべて、血を流してきたすべて、それに試合後のマイクや控室でのコメントも、全部ひっくるめての評価だったと思う。

 ただ、「プロレス大賞」が決まったからといって、1年が終わりじゃない。このあとの12月15日には鶴見緑地でメチャクチャなエニウェア戦をやったし、25日には恒例の葛西純プロデュース「ブラッドクリスマス」があった。

 ここでは、俺っちの首を狙って上り調子だった竹田誠志とガラスデスマッチをやった。

 こういう試合のとき、プロレス記者やファンから「竹田を育ててる」なんて言われることも多いんだけど、俺っちは次世代のデスマッチファイターを育てようという気持ちは、いまも昔も一切ない。ヌマと「スクール・オブ・デス」とかもやってたけど、あれは会社にいわれて流れでやってただけ。

 俺っちの本心は、後輩に育って欲しくない。新しい世代の選手だろうが、先輩だろうが、他でいい試合をしたら純粋に嫉妬する。そこは間違い無い。だから、葛西純が辞めたらデスマッチがつまらなくなったって思って欲しい。だって、自分がすごく好きで、人生を捧げてきたものが、自分が辞めた後にめちゃくちゃ盛り上がったりしたら悔しくないか?    仮に自分が引退したら、もうデスマッチは終わったとみんなが感じて、このジャンルが滅んでもいい。

 そんな想いを言葉にしたのが「葛西純=デスマッチ、デスマッチ=葛西純」というフレーズ。この頃から、俺っちはそんな覚悟で試合に臨むようになっていった。

■葛西純(かさい じゅん)
プロレスリングFREEDOMS所属。1974年9月9日生まれ。血液型=AB型、身長=173.5cm、体重=91.5kg。1998年8月23日、大阪・鶴見緑地花博公園広場、vs谷口剛司でデビュー。得意技はパールハーバースプラッシュ、垂直落下式リバースタイガードライバー、スティミュレイション。
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