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イメージが覆される驚きの多い作品に 『オンリー・ザ・ブレイブ』の“おそろしき美”

リアルサウンド

18/6/30(土) 12:00

 もともとイメージしていたのと違う内容の映画というのがあるが、まさに『オンリー・ザ・ブレイブ』は、イメージが覆される、良い意味で驚きの多い作品だ。

参考:“涙を誘う感動映画”のイメージを乗り越える 『ワンダー 君は太陽』の壮大な世界

 森林火災に挑む男たちの実話を映画化した本作は、アメリカの雄大な自然の姿が、近年まれに見るおそろしさで描かれる。アメリカの森林火災は、日本でもニュースによって伝えられ、被害情報や上空からとらえた火事の光景を写した映像を目にするが、その脅威に対し、具体的にどのような消防活動が行われるかについては、一般的に知れ渡っていないように思えるし、私も本作を観ることで学ぶことができた。

 本作でアメリカ各地の森林火災に挑むのは、「ホットショット」と呼ばれる、アメリカに100以上存在するという、20人規模による森林火災専門のエリート消防士チームだ。彼ら隊員たちは、大規模な森林火災が起こると現場へ駆けつける。燃え広がる炎のルートを予測して先回りし、シャベルで溝を掘って“防火帯”を作り、チェーンソーで周囲の木々を切り倒したり、あえて人為的に山火事を起こすことによって、迫りくる炎をコントロールしながら、人家への延焼を防ぐのだ。消防士のことを英語で「ファイヤーマン」と言うが、炎で炎を制するホットショットは文字通り「炎の男」と呼ぶにふさわしい存在だ。

 しかし、その作業はきわめて危険だ。命を危険にさらすリスクを背負いながら、彼らはなぜ炎に挑むのだろうか。本作『オンリー・ザ・ブレイブ』は、その答えをも提示する作品になっていた。ここでは、その答えとは一体何なのか、そこにどんな魅力が存在するのかを、複数の角度から深く考察していきたい。

 メイン通りに古い様式の建物が並び、西部開拓時代の雰囲気を残す町、アリゾナ州プレスコット。そこで連日厳しい訓練を行い、森林の状況に目を光らせているのが、ホットショットへの昇格を目指す地元の森林消防隊である。

 本作の冒頭では、地元で森林火災が起きたとき、駆けつけたホットショットたちに地元の隊員たちが対処法を進言しても相手にされないという描写があった。それは彼らが、トランプの「2」の札を意味する「デューサー」と呼ばれる階級で、森林火災の第一線に出られない立場だったからだ。そんな隊員たちに、ついにホットショットへの昇格の話がくる。本作は、町の森林消防隊がホットショットとして各地をまわるようになるまでの、ワイルドでマッチョな男くさい隊員たちの日常を描いていく。

 ジョシュ・ブローリン演じる隊長からして、身体にタトゥーを施しているように、この閉塞感ある町の中で、荒くれた男の隊員たちが作り上げる、体育会系組織から発せられる独特な雰囲気は、苦手な人は苦手だろう。私も絶対にこの中に放り込まれたくないと思う。しかし、本作はそんな男くさい価値観を賛美するような映画ではない。

 本作を観る前に多くの観客が抱いていただろうイメージは、「正義感に燃える熱い男たちをアツく描いた映画」であっただろう。だが実際には、「等身大の男たちがクールに描かれている」と言った方が、より近いのではないだろうか。

 それがよく分かるのは、隊員たちが自分の恋人のことで会話するシーンだ。サウスダコタ州に、過去のアメリカ大統領たちの顔が彫られた巨大な岩山「ラシュモア山」があるが、ある隊員によると、自分の恋人の女性は、それが風雨によって自然に出来たものだと勘違いしていたという。信じられないようなエピソードだが、それを面白おかしいネタとして吹聴したり、ゲラゲラ笑って聞いている隊員たちもまた、思慮やデリカシーがあるとはいえないだろう。もちろん彼らの善良な面も多々描かれているものの、アメリカで英雄として讃えられている彼らを無理に美化せずに、ある種突き放した客観的描写がなされているところが、本作の面白いところだ。本作は炎へと向かっていく男たちの勇気を賛美してはいるが、その存在全てを肯定しているわけではない。現実と同じように、このコミュニティのどこに共感するかについては、観客自身の感性にまかされているのだ。

 本作の監督、ジョセフ・コシンスキーは、荒くれたちの雰囲気とは真逆の印象のある人物だ。名門といわれるコロンビア大学の大学院で修士課程を修了し、研究所でCG映像の技術開発にたずさわりながら、映像クリエイターとして、ディズニー映画のリメイク『トロン:レガシー』や、トム・クルーズ主演のSF『オブリビオン』を撮った、きわめて繊細な感覚を持つCGの専門家である。

 彼にとって一見ミスマッチにも思える、マッチョイズムに満ちているように思える題材は、対象から距離をとるような演出や、大自然との対比によって、いままでSFを題材にしていた、コシンスキー監督の先進的な映像世界に、かつてない力強さを与えているように思える。とくに夜の闇を照らす広大な炎や、ポーチに座る男たちと雷光のアンサンブルなど、本作の絵画的な画面には、圧倒的な美意識が宿っている。本作に比べると『トロン:レガシー』や『オブリビオン』の繊細さが、物足りないとすら感じられてしまう。現時点で本作がコシンスキー監督の代表作になることは間違いないだろう。

 しかし、なぜ本作の映像には、このような力強さが宿ることになったのだろうか。ここで思い出すのは二つの名作映画だ。

 一つは、大自然を雄大なスケールで描いた、巨匠ウィリアム・ワイラー監督による西部劇の傑作『大いなる西部』(1958年)である。画面いっぱいに広がる、入植者によって開発されていない、だだっ広い荒野のなかに、殴り合う人間たちをごく小さく配置するというスペクタクルシーンは、公開当時から話題となった。そこでは腕力を振るう人間が、ただ大自然にしがみついている、小さく無力な存在に過ぎないことを強調している。画面のなかに強さと弱さという、対照的な二つの要素が並ぶことで、スペクタクルにさらなるダイナミズムが発生するのである。このような対比構造は、本作の屈強な男たちが大自然の脅威に挑むという構図と重ね合わせることができる。

 もう一つ思い出すのは、複数の監督が5話構成で撮った超大作『西部開拓史』(1962年)だ。このなかで名匠ジョン・フォード監督が撮った、南北戦争を題材にしたエピソードでは、戦火によって夜中に家屋が炎上する光景を、おそろしく、そして美しく撮影している。南北戦争は実際に起きた史実なので、被害を考えれば、そこに“美”を見いだすことに躊躇を感じるのは確かだ。しかし、だからこそ、そこには相反する価値観からくる葛藤によって生まれる、単なる美しさを超えた、心を揺さぶるような美しさが潜んでいるといえる。

 このように、かつてアメリカを代表した監督が、相反する価値観「アンビバレンス」を映像の力の源泉として、エモーショナルなスペクタクルを表現してきたように、本作『オンリー・ザ・ブレイブ』もまた、その領域に足を踏み入れる傑出した作品であるように感じられる。このような相反する要素は、物語のレベルでも、映像のレベルでも見られるのだ。

 そしてそれは、ジョシュ・ブローリンの演じる隊長が見る夢のシーンにも表れている。幻想的な夜の森林火災のなかで、肉体を燃やし続けながら走り抜けていく巨大な熊。おそろしさと美しさを同時にあわせ持つ、この燃えた熊こそが、彼を危険な消防活動に駆り立てる象徴なのだ。そこから与えられる“勇気”とは、“狂気”と紙一重の感情である。森林火災を食い止める目的は、もちろん市民の安全のためであろう。だが私には、本作で示された呪いのように“おそろしき美”に魅了されたという方が、より深く納得することができる。『オンリー・ザ・ブレイブ』 に私が惹かれるのも、まさにその部分であるからだ。(小野寺系)

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