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菊地成孔×森直人が語る、映画批評のスタンス 「湧いてくる悪文のリズムには忠実でありたい」

リアルサウンド

20/3/14(土) 12:00

 音楽家/文筆家の菊地成孔が映画批評書『菊地成孔の映画関税撤廃』を刊行したことを受けて、2月9日に東京・BOOK LAB TOKYOにて、映画評論家の森直人をゲストに迎えたトークイベントが開催された。自身3冊目の映画批評書となる本書の執筆の裏話や、批評についての考え方、そしてトークショー翌日に授賞式を控えた第92回アカデミー賞の話題についてまで話は及んだ。(編集部)

参考:菊地成孔の『スリー・ビルボード』評:脱ハリウッドとしての劇作。という系譜の最新作 「関係国の人間が描く合衆国」というスタイルは定着するか?

■菊地「重要な指摘をするためにものを書いている」

森直人(以下、森):『ユングのサウンドトラック 菊地成孔の映画と映画音楽の本』が2010年ですよね。前作の『菊地成孔の欧米休憩タイム』が17年だから、『菊地成孔の映画関税撤廃』は2年半ぶり。比較的早いスパンでした。

菊地成孔(以下、菊地):2015年にリアルサウンド映画部で欧米圏以外の映画、特に韓国映画を中心に取り上げて批評する連載が始まって、それが『欧米休憩タイム』になった。韓流熱がエボラのように高いときに書いたんですよね。でも、BTSがあそこまで盛り上がって、個人的にはその熱が少し落ち着いてしまった。

森:今回はそれ以降の、またフェイズが変わったということでよろしいんですかね。

菊地:僕はもともとアカデミー賞が好きで、同時中継も見るし翻訳版も見て、競馬の予想みたいに楽しんでいたものの、仕事としては触れていませんでした。で、本を1冊出したところ、一旦韓流はやめて、いよいよ関税は撤廃して、欧米だけでなくあらゆる国の映画を観るという連載を始めました。だけど、気がついたらハリウッド映画ばっかりになった(笑)。

森:関税撤廃というのは、元に戻るという感じですよね。そもそも限定性に囚われない見方をされていたと。

菊地:そうです。完全に撤廃した結果、スペイン映画やスウェーデン映画、メキシコ映画はやっぱり関税率が高いことに気づきました。フランスもだいぶ高くなりましたね。

森:それはよくわかります。

菊地:僕は、昭和がA面で平成がB面、令和はレコードが取り替えられたと考えていますけど、A面の頃は、ヨーロッパの映画とアメリカ映画の関税率は変わらなかった。だけど、今の関税率でいうと、ちょっとヨーロッパは高いです。

森:今のお話と関係あると思うんですけれども、この本で最初に取り上げられているのは、『スリー・ビルボード』です。この章では、関係国の人間が描く合衆国、というテーマが設定されている。たとえば、英国人監督エドガー・ライトによるデトロイト映画の『ベイビー・ドライバー』や、チリのパブロ・ラライン監督が撮ったジャクリーン・ケネディの映画『ジャッキー/ファースト・レディ 最後の使命』。非アメリカ人が撮った映画が、全部アメリカ映画として、しかも純アメリカ映画のような顔をして流通している。むしろ純アメリカ産よりも疑似アメリカ映画のほうが今は濃いアメリカ映画じゃないかという。重要なご指摘だと思います。

菊地:これは…………あの…………はい。“重要なご指摘”なんですよね(笑)。僕は重要な指摘をするためにものを書いているのですが、遮蔽物が多いのか文章が下手なのか何なのか、肝心の指摘が届かないんですよ(笑)。

森:菊地さんの言語パフォーマンスの素晴らしさ、大蓮實(本書のあとがき参照)先生風に言うと“誘惑のエクリチュール”の美しさっていうのは皆さんご存知だと思いますが、映画批評をやっている身からすると、すごく重要なご指摘マシーンですよ。裸の王様の少年みたいなところもあると思います。

菊地:でも、言ってもあまり届かない。届く人には届くんだけど、できれば全地球上に届けたいんですが(笑)。

■菊地「定型リズムは崩してなんぼ」
森:話が前後するようですけども、今回は校閲の方が厳しかったと伺っております。

菊地:これまでは、音楽と二足の草鞋でものを書いているからなのか、校閲が甘かったんです。意図しない誤字脱字はあるし、「てにをは」がおかしい。それに、僕にはセルフスラングみたいなものがあるわけです。いわゆる悪文というか。誤変換とか名前の打ち間違いを指摘されたときも、「これ狙いです」で通してきた。でも、今回は春日洋一郎さんという『映画芸術』出身のハードコアな校閲者がきました(笑)。今回一番びっくりしたのは、校閲者から戻ってきたゲラの厳しさですね。

森:赤がたくさん(笑)。

菊地:共産主義の機関誌かってくらいページが真っ赤で(笑)。本当に背筋が震えました。校閲に桁違いの力学があるんですよね。この本の中に映画が何本あるのかわからないけど、春日さんはほぼ確実に全部の映画を観ているんです。それで僕の記憶違いを正してくれる。あとは、「アカデミー賞授賞式の映像を確認しましたが、菊地さんの言うようにレディ・ガガは移動舞台で登場したのではなく、幕が開いてステージ奥から登場する形でした」とか(笑)。書いてあった。

森:その直しは戦慄しますね!

菊地:僕みたいに勘と偽記憶で書いている人間、検索知らずの人間にこんな人がついたら、本ができるまでに何年かかるかわからないと思って緊張したんですけど(笑)。とにかく全部に対応しました。必死に(笑)。

森:もはや生徒と先生の関係ですよね。先生に怒られて直して(笑)。菊地さんはさっき悪文とおっしゃっていましたが、たとえば吉田健一さんのように、あえての悪文、あえての「てにをは」の間違いがある。菊地さんはそっちですよね。

菊地:自分の中から湧いてくる悪文のリズムには忠実であろうとしています。

森:ですよね。そこも直された場合はどうするんですか?

菊地:狙いだと言います。音楽もそうだけど、これまで決定的とされていたリズムが崩れて時代が変わっていくわけだから、定型リズムは崩してなんぼなわけですよね。でも、そこでも春日さんはすごくて、「ここ一般的な日本語としてはつながりませんが、狙いでしょうか?」って書いてくる(笑)。それが1ページごとにあるんです。

森:すごいですね。かっこいい審判じゃないですか。

菊地:すごくいい経験をしました。今までの本はある種のスノッブな恥ずかしさが入っています。「これ間違っているけど、敢えて出しちゃってるんだよね、へへへ」みたいな。リゴリスト、厳格主義者にとってはそういうスノッブさが鼻につきますよね。僕は、厳格主義者に好かれたくないから、厳格にやってないですけど。でも、今回の本は内容についてはちゃんとしているし、活字に関しては文句なしです。

森:リゴリストの校閲だったわけですからね(笑)。幸福な事故みたいな出会いだ。

菊地:そうですね。でも、フロイディアンとしてはなるべく記憶間違いを入れたいですよ。なんでこの人がこういう風に間違ったのか、というのは大切ですし、間違いのなかに鋭いセンスが光ることもあるわけです。それで思い出すのは、小説家の小林信彦さんが、デビューしたばかりのビートたけしさんに会ったときの話です。小林さんが星セントさんの師匠がわからなくて、たけしさんに聞いた。そしたら即答で「ああ、内藤陳ですよ」って言った。トリオ・ザ・パンチのね。

森:エンタメ小説狂、書評家としても知られる内藤陳さん。

菊地:それで「なるほど」と膝を打ったけど、あとから資料を確認したら間違っていた。でも、小林さんは「間違いにしても、内藤陳って即答したビートたけしのセンスは鋭い」って言ったんですよ。でも、今の世の中だと、間違ったら射殺ですよね(笑)。射殺、訂正、謝罪。検索によって無駄な知がついているから、イライラする人が多い。A面、昭和の頃は、伊藤博文をイトウハクブン候と読んだけど、そういう穏やかさがないですよね。菊地の“地”を間違って“池”でツイートしたら、「内容はともあれ、字が間違っていますよ」って返ってきます。でも、内容はともあれじゃなくて内容が問題なんだ、字は後回しなんだ、というのは言った方がいいと思いました。名前なんてどうだっていいですよ。でも、やっぱり出版するからには校閲者はいたほうがいいですね(笑)。この本の格みたいなものを一段引き上げてくださったと思っています。

森:そこは話がぐるぐる回りますね(笑)。

■菊地「言えないことが病床みたいになっている」
森:また、面白かったのが、菊地さんがご自分の映画の推薦コメントに、ご自身でツッコミを入れる珍しい章が設けられています。

菊地:3章ですね。「ノーコメント復権の日に向けて(コメント芸の日々)」というタイトルです。今ってみなさん、あらゆることにコメントしたくてしょうがないですよね。スペイン料理屋に行ったら、パスタパエリアが美味しかったとかまずかったとか、絶対にコメントする。映画なんか観るとなおさらでしょ。絶対に黙っていられない。それって相当怖いことです。人間というのは、思っても言わないことの蓄積で深みを溜め込んでるわけですが、SNSによってそれを抑えられない体になっている。でも、それで全部言っているかといえば、そうじゃないですよね。たとえば、好きな人に好きだというのはなかなか言えない。そうすると、A面の昭和の頃からずっとテーマとしてある、好きな人に告白できない、あるいは、お前が嫌いだからこの職場を辞めるとは言えないっていうのは残っている。

森:そうですよね。

菊地:だけど、「言えないこと以外」に対して何か言うことに関しては筒抜けになっている。そうすると、言いたくても言えないことの辛さが倍加しちゃいます。昭和だと、映画を観て何か言おうとしても言わないし、そうやって言わない力が蓄えられていたから、相対的に好きな人に好きと言えないことの意味は高くなかった。一方で、今はなんでもコメントができる前提だから、言えないことが病床みたいになっている。SNSなんて、何見たってイライラすると思うんですよ(笑)。相互的にイライラさせるメディアなので、そうするとまたコメントしたくなっちゃうから悪循環でしょ。言えないことあるのが普通ですよ。なので、昔はノーコメントというものがあったんです。黙って一晩過ごし、そのうち忘れてしまう能力を、人間は失っているんだよね。僕は人間がもっとノーコメントになるべきだと思います。だからこそ、10日に1回、(三船敏郎のモノマネで)「今日の味噌汁はうまいな」というのが、とんでもなく嬉しくなるわけじゃないですか(笑)。

森:10日分溜めたら(笑)。

菊地:毎日毎日、「今日の味噌汁の出来が」とかをいちいち書いていたら、ある日美味しかったときの喜びがへったくれになりますよね。

森:そこで、3章に書いてある映画コメントのインフレにつながるんですね。

菊地:そう、コメントのインフレーションが起こる。今はインフレとSNS時代の到来によって、映画1本のコメントの報酬はあまり高くないです。そうすると、みんな手を抜く。結局、「すごく感動しました」、「震えた」、「みなさんにもぜひ見てもらいたいです」ってコメントが増えちゃいます。でも、ちゃんと心のこもったコメントや気の利いたことを言おうと思ったら、その映画に惚れ込まなきゃいけない。僕がこの本で提唱しているのは、映画会社が、SNSの無名の人でもいいから、辛口でも甘口でも、寸鉄人を差すうまいコメントができる人に、公式の宣伝コメントの仕事を解放すればいいってことです。昔はコメントを映画会社の宣伝係がやっていて、そういった人たちが有識者になっていったのだから、さらに一般に解放すればいい。そしたら質が上がってインフレーションが止まる。商品価値が上がれば報酬も上がる。それで、全員が幸せになるという風に世の中が向いていけばいい。いかんせん、自分でもたくさんコメントの仕事をしてしまっているのですが、一応僕は自分のコメントにリコメントまでしているし、手は抜いてない。その誠実さを認めて頂きたい(笑)という気持ちで、この章を設けようと思いました(笑)。

森:でも、大きいテーマですよね。「口を慎むべきだ」というこの本の帯文にもつながってきます。

菊地:ちなみに「口を慎め」っていうのは、カニエ・ウェストのパンチラインです。カニエは二言目には「口を慎め」って言うので、やっぱり今の時代に合っていますね。それで、この帯に書いてある「口を慎め」について言うと、僕は映画音楽もやったし、よせばいいのに出演もしています。

森:冨永昌敬監督の『素敵なダイナマイトスキャンダル』でアラーキーの役を。

菊地:映画のバックヤードを知っているわけですよ。バックヤードを知ると、評論はできないという人もいるじゃないですか。手品を後ろから見たら、こんなに簡単なのかと、普通は冷めるわけです。でも、自分はバックヤードを見まくったけど、幻滅もしてないし、相変わらず映画を愛している。なにが言いたいかというと、なにかに対して幻滅や絶望、そういうネガティブを感じた場合は、なるべく口を慎むべきということです。幻滅したことをこんな大人数で言ったら、環境が汚染されるからね。「Twitter」って鳥のさえずりのことですよね。あらゆる鳥が「人間死ね」って言ったとするじゃないですか。人間にはわからないから鳥の声は綺麗だなと言っていたのが、そうでなければ大変な罵倒、ディスりですよね。だから、通信の電力を使って、みんなが悪いものを悪いと言うよりも、まあ嫌かなと思ったら黙ってやり過ごす方がいい。あの蕎麦屋がまずいと言わなくても、行かなくなればやがて潰れるよ、というのが昭和落語のクリシェですから。そういう風にしていきましょうと。

■地下から地上に向かう映画がトレンドに
森:最後に一つだけお話したいのですが、明日はアカデミー賞の授賞式ですよね(編集部注:本トークショーは2月9日に行われた)。

菊地:いろんな賞があるなかで、一番楽しいのはやっぱりアカデミー賞です。競馬新聞を持つおっさんと一緒で、情報を見て馬体が重いとか言って楽しむわけだから。今年はポン・ジュノ監督『パラサイト 半地下の家族』がノミネートされていますが、獲ると思いますか? 

森:獲って欲しいですけどね。もし獲ったら、映画界の経済の流れが変わるくらい大きいことだと思いますよ(編集部注:『パラサイト 半地下の家族』は作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞の4部門を受賞)。

菊地:本当に大きい。前の本のテーマですが、大韓民国ではソウル市内に米軍基地がある。ソウルは日本で言うと東京都です。あまり言われないですが、ベトナム戦争のときも、韓国は米国と一緒に手を取って戦いました。言っちゃあ悪いけど、米軍に対しキッシングアスしてきたわけじゃないですか。それにも関わらず、北東アジアのカルチャーという意味では、長い間、日本の方が上だったんですよ。フランスのシネフィルは小津(安二郎)が好きだとか、北東アジアでBillboard Hot 100の1位を最初に獲ったのは坂本九さんだとかね。でも、BTSが出てきて、欧米でも韓国のカルチャーがゆっくり上がってきた。『ブラックパンサー』を観ると、今は漢字よりハングルの方が魅力的だ、というようにマーベルも移っているのがわかります。カルチャーは韓国の方に時間をかけて動いています。そこで、『パラサイト 半地下の家族』がアカデミー賞を獲ったりした日には、映画という総合カルチャーで、一個ハンコが押されるわけです。

森 本当にそう思います。

菊地:日本映画も頑張って欲しいですけどね。大韓民国が映画のクオリティも音楽のクオリティも上がっている。でも、追い越されたから悔しいと言ってもしょうがないです。ポン・ジュノがあんなに面白かったので。『パラサイト 半地下の家族』は絶対観てくださいね。流行りの垂直映画なので。「映画愛好家は、空=宇宙=天空に飽きたのである」ってコメントでも書きました。

森 名コメントを(笑)。

菊地:ジブリとかで空を飛ぶのに飽きたから、映画は地下に潜っていますよね。『万引き家族』も『アス』も『サスペリア』も地下の映画ですよね。だから、地下から地上に向いている映画が、ここのところの群発的にトレンドに来ています。というところで『パラサイト 半地下の家族』が獲るのか、明日の授賞式が楽しみです。(菊地後註:『欧米休憩タイム』に続く『映画関税撤廃』の<意識的なテーマ>については、当記事並びに、拙著をお読み頂ければ、自ずとご理解頂けると思う。そしてその、<無意識的なテーマ>こそが「ポン・ジュノの、異様なまでの受賞数」であろう)

(取材・文=島晃一)

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