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『劇場版 Fate/stay night』が問う“正義のあり方” 待望の第2章は原作ファンを裏切らない出来に

リアルサウンド

19/1/30(水) 10:00

 『劇場版 Fate/stay night [Heaven’s Feel]』の第2章『lost butterfly』が公開中だ。3部作の2本目というのは興行的にはなかなか難しいものだと思うが、初週の興行成績は1章を上回ったそうだ。1章の完成度が原作ファンの期待を全く裏切らないものだったこともあるだろうが、レイティングもPG12だというのに成績を上げてくるとは予想外だった。

 いや、むしろPG12だから興行成績が上がったのかもしれない。この「Heaven’s Feel」という物語を描くには、そこまでやる必要がある。なぜなら、1章公開の際のレビューにも書いたが、「Heaven’s Feel」は、『Fate/stay night』の3つのルートの中も最も陰鬱で、沈痛で、悲壮な物語だからだ。そして、その陰鬱さが大きく顕在化するのが、この2章で描かれるパートだ。

 業界きってのFateフリーク(というよりヒロインの桜フリークと言うべきか)として知られる須藤友徳監督は、一切妥協せずこの2章の陰鬱さに挑んだ。原作ゲームには18歳以上対象のアダルト版と全年齢版があるが、全年齢版ではカットされた、性的ニュアンスのあるセリフを復活させるまでやってきた。スマホゲーム『Fate/Grand Order』によってシリーズの人気の裾野の広がったことを考えれば、あのセリフは明らかにリスクが高いだろうが、避けなかったのは英断だ。須藤監督の情熱なのか、執念なのか、妄執なのか、なんと表現すべきかわからないが、性的描写のみならず、全篇に異様な情念がみなぎっていた。とりわけ、主人公の衛宮士郎がくだす重要な決断は、原作よりも業が深いものと感じさせる作りになっていたように思う。

 ※以降、一部ストーリーに関するネタバレあり

・父殺しを果たした瞬間
 
 『Fate/stay night』は「正義のあり方」についての物語だ。主人公の衛宮士郎が、命の恩人である育ての父、衛宮切嗣にあこがれ、正義の味方になりたいと願い、彼がたどる結末を分岐する3つの物語で描いている。虚淵玄原作の『Fate/Zero』で詳細に描かれた衛宮切嗣の正義のあり方は、多数のために少数の犠牲を厭わないものだった。それがたとえ身近な人であっても。

 衛宮士郎はその切嗣の正義のあり方に囚われている。「Heaven’s Feel」以外の2ルートでは、父の背中を追っていた彼が、初めて父とは異なる決断をする様が今作では描かれている。精神的な「父殺し」が今作のドラマの核だ。

 予告にも使われている「俺は桜だけの正義の味方になる」というセリフがその「父殺し」の瞬間の言葉なのだが、このセリフが優秀なのは、ただの愛の告白だけでなく、上述した父殺しをも同時に果たす言葉だからだ。そして、切嗣に命を救われて以来の自分の人生を裏切る言葉でもある。ヒロインの桜は意図せずして多くの一般人を危険にさらしかねない。正義の味方なら多数を守らなければならないが、ここで初めて士郎は父とは真逆の選択をするのだ。前2ルートと『Fate/Zero』を知っていればいるほど、このダブルミーニングの重みがよくわかる。

・死なずに済んだ命がたくさん描かれていた
 
 この決断以降の描写に須藤監督の容赦のなさが見えた。原作のゲームでは桜のせいで犠牲になる一般人がいることはテキスト情報のみで示され、プレイヤーが強い罪悪感を抱くこともなかったと思うが、映画では桜によって犠牲になる一般人をストレートに描写している。しかも、桜はまるで飴玉を舐めるかのように人間を食らっているのだ。士郎が桜を選ばなければ「死なずに済んだ生命」がたくさん描かれていた。

 筆者は本作を観て、改めて原作ゲームにおけるこの選択肢を選ぶシーンを思い浮かべてみた。『Fate/stay night』は分岐した3つのルートから成ると先に書いたが、正規のエンディングの他に無数のバッドエンドがある。そのうちの1つに、ファンの間で「鉄心エンド」と呼ばれるものがある。桜を救うか、救わないかの選択肢で救わない方を選択した時に観られるルートなのだが、心を鉄にした士郎はその後も少数を切り捨て多数を救い続けることが示唆されている。バッドエンドであるが、「これも1つの結末」としてファンの間でも人気のあるルートだ。

 映画を観て、筆者は余計に鉄心エンドという選択肢があった原作ゲームの素晴らしさを実感した。あのバッドエンドのおかげで、防げた悲劇が確かにあったのだ。映画は原作の的確に解釈してみせるだけでなく、原作の魅力をさらに輝かせるように作られている。映画という、単線で語る物語と、複数分岐ルートを攻略するアドベンチャーゲームの魅力の違いを理解していなくてはできない。

・矛盾しているから美しい言葉
 
 「正義の味方」という言葉は、一説によると川内康範氏の作詞した『仮面ライダー』の主題歌で初めて使われた言葉だそうだ。竹熊健太郎氏が「なぜ正義ではなく、味方なのでしょうか」と尋ねたら、以下のように答えたという。

 「(月光仮面の発想は)月光菩薩という仏に由来しているんだけど、月光菩薩というのは脇仏(わきぼとけ)でね、決して主役じゃないんだ。つまり、裏方なんだな。だから“正義の味方”なんだよ。この世に真の正義があるとすれば、それは神か仏だよな。だから月光仮面は神でも仏でもない、まさに人間なんだよ」(参照:http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_b18d.html)

 「桜だけの正義の味方」とはどういうことだろうか。神でも仏でもなく、一般人を巻き込む桜に正義はあるのだろうか。このセリフはある種の詭弁ではないか。しかし、詭弁だからこそ、このセリフは美しいと筆者は思う。倫理も道徳も超えた愛から生まれたセリフなのだから。「Heaven’s Feel」とは別の世界線では「抑止の守護者」という、ある種の神の代行者のような立場になってしまう士郎よりも、よほど人間らしい矛盾をはらんだセリフなのだ。思えば、父の切嗣は愛を知りながら、その詭弁を自らに許すことができなかったから破綻したのではなかったか。

 正義の味方から人間へと成長した士郎の物語の結末は2020年の最終章まで待たねばならない。須藤監督がどんな結末を選ぶのか、今からソワソワと心待ちにしている。  (文=杉本穂高)

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