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中村倫也に聞いてみた「自分のことは好きですか?」

ぴあ

20/6/23(火) 7:00

中村倫也 撮影/高橋那月

中村倫也というものを使って自由に遊んでくれたらいい

「自分の中にいろんな自分がいる、という感覚はすごくありますね。たぶんそれが人よりも強いんだと思います」
ささやくような、低くて甘い声でそう自分について話す。俳優・中村倫也の最新主演映画『水曜日が消えた』。本作で中村は、幼い頃の交通事故が原因で、曜日ごとに7人の人格が入れ替わる青年を演じている。

設定こそ特殊だが、私たちも日常のいろんな場面でいろんな自分の顔を使い分けている。そう考えれば、とても普遍性のある話のように感じたと感想を伝えると、中村も「それは、僕も観終わったあとに思ったことです」と頷いて、こんなふうに自分の内面を語ってくれた。

「今まで生きてきて、いろんな場面で出てくる、ちょっとした自分の違いってあるじゃないですか。それに、後悔したり、戸惑ったり、なんなのこれって悩んだり、時にはその違いを利用してみたり。特に若い頃なんかは、自分の中にいるいろんな自分に振り回されたこともあったけど、今となってはまあそれもしょうがねえなと思っています」

表に立つ人間は、いろんな面を勝手に切り取られ、自由に編集・加工される。中村倫也にしても「カメレオン俳優」「ゆるふわ」など様々な言葉で語られることが多い。

「昔は自分の見られ方を気にしていた時期もあったけど、経験とともに、年とともに、どうでもよくなってきたというか。今はもう中村倫也というものを使って、自由に遊んでもらっていいみたいな感覚です。どんなイメージでも、どんな評価でも、どんな楽しみ方でもいい。アンチでもなんでもいいので、ご自由にという感じです(笑)」

そう飄々と言葉を紡いでいく。世間のイメージを逆手にとって、じゃあ今度はこんなボールを投げてみようという思惑も今はないという。

「なんて言うんだろう、そういう“新商品”みたいな感じはないです(笑)。サービスを与えるという点で自分は供給側。なら、世間の需要よりずっと先に行っていなくちゃいけない。それこそ、今、世間に浸透しているのかもしれない自分のイメージも、僕にとってはだいぶ前に自分の中でイメージしていたもので、体感としてはすごい時差があるんです。そういう意味でも、今の世間の反応を見て、新しい戦略を立てているのでは遅い。僕の感覚やビジョンはそれよりずっと先に行ってなきゃいけないと考えているんです」

いい作品さえつくることができたら、あとの物事はどうでもいい

『凪のお暇』(TBS系)で見せた“メンヘラ製造機”。『初めて恋をした日に読む話』(TBS系)の元ヤン教師。あるいは、『ホリデイラブ』(テレビ朝日系)のモラハラ夫や、大和ハウス工業のCMでおなじみの気弱な夫。役ごとに常に違う顔を見せてきた中村倫也にとって、1人7役は本領発揮の檜舞台。その演じ分けについて様々なメディアが取り上げることだろう。だが、「演じ分けがミソの作品ではない」と本人はいたって淡々としている。

「もちろん褒められたり話題にしてもらえることはありがたいし、うれしいことです。でも、ドライな聞こえ方になるかもしれないけど、そういう仕事なので。うれしいですけどね。なんて言うんだろうな。それが取り沙汰されているようでは俳優としてまだまだだなと」

突きつめたいのは、もっとその先にあるものなのだろうか。そう質問を重ねると、あっけらかんとこう答えた。
「どうなんですかね。だんだんわからなくなってきましたね、これだけ長いことやっていると。たぶんそれはどの仕事をしている方もみなさんそうだと思うんですけど」

現在33歳。俳優デビューから15年目を迎えた。がむしゃらで貪欲な若手の季節を過ぎ、中堅として余分な思考の脂肪を削ぎ落としつつある。

「若い頃に持っていた変な欲とか野心とかがなくなってくるんですよね。まあ、ひとつ言えるのは、いい作品がつくれて、観てくれた人が何らかしら満足をしてもらえるようなものになることが、今も昔も変わらない、僕にとっての大きな指針。それさえ守ることができれば、あとの物事はどうでもいいというか。年々、シンプルになってきた気がします」

“演じ分け”が前に出ないようにしなくちゃいけないと思っていた

そんな中で、では中村倫也はどのようにして役へアプローチしていったのか。俳優は、声や表情、姿勢に歩き方や仕草など、様々な素材を複合的に組み合わせ、役の人格を表現していく。その素材の中で、中村倫也が最も力点を置いているのはなんだろうか。

「そういうフィジカルな部分で言うと、重心ですね。重心によって呼吸の深さも変わるし、歩き方も姿勢も使う筋肉も変わる。フィジカル面での土台になっているのが重心なんじゃないですか」

7役の中でも中心となる“火曜日”を例に、中村は説明を続ける。

「家にひとりでいるときは足取りが重いんですよね、アイツ。でも外に出ると、ちょっと重心が上がる。そこが火曜日の性格というか。外に出るとドギマギしているけど、家にいるときは、ある種、マイペース。そういうやつなんです」

重心の高さは、他の役との対比で決まるわけではなく、あくまでその役の置かれたシチュエーションによって決定されるという。

「みんなそうだと思うんですけど、目の前にいる人の雰囲気やトーンによって重心が上がったり下がったりする。だから、たとえば“月曜日”がこうだから“火曜日”はこうしようとか、そういうのはないです。もちろん7役あるので、違う音色じゃなくちゃいけないって住み分けを考えて、逆算して考えながらつくったキャラクターもあるけど。だからって、他のキャラクターと違えばいいのかと言ったら、そうじゃないので」

本作で中村が見せたいのは、演じ分けではない。その役がどのように生活しているのか、佇まいから自然と浮き上がってくることだ。

「演じ分けていますということが前に出ないようにしなきゃいけないという気持ちはありましたね。特にこの映画は、役の生活感が重要。ひとつひとつの役をひとりの人物として生活レベルまで落とし込んでいくことが大事だった。だから、それぞれの役の最初の撮影のときなんかは、自分でもすごくアンテナの感度を高めながらやったのを覚えています。やっぱり演じているとわかるんですよ、自分が嘘をついているかどうかって。無理していたら無理をしている体になる。そこがすとんと落ちるポイントを、監督とイメージを共有しながら探っていったという感じです」

また、本作の演技面での特徴と言えるのが、ひとりのシーンが多いことだ。相手と会話を重ねながら感情を膨らませていく通常の芝居とは、性質がまったく異なる。

「個人的には、人とやった方が楽しいです(笑)。ひとりでやると予想外って起きないんですね。だから人とやっている方が楽しい。寂しかったですよ、ひとりは。よく舞台でひとり芝居とかありますけど、絶対やりたくない(笑)。観ている分には楽しいんですけどね。すげえなと思うし。でも、僕がやることはないと思います。人と仕事がしたいですね」

地に足のついた歩みをするしかないってことがもうわかっている

中村倫也といえば、ステイホームの期間中、「中村さんちの自宅から」「動物を飼ったらやりたいこと」など、ゆる〜い動画の数々をアップし、重苦しい世の中の空気に癒しをもたらした。まさに「表に立つ中村倫也」の影響力が強く感じられたが、こちらに関しても本人はいたって力んだところはない。

「自分の立場とか影響力とか、それによって左右されるものがありがたいことに年とともに増えてはきていますけど、それとは関係のないところでああいうことをやってみようという発想は昔から変わっていないというか。よく幼なじみにも言われるんですよ、変わらないねって。だから、たとえ僕が今のように世の中から知られていなかったとしても、あの状況になったら同じように遊んでいたんじゃないですか、きっと」

中村倫也の言葉には、人を惹きつける力がある。それは、鼓膜を撫でるような美声によるものだけではない。高校のときから哲学好きで、自分とは何か考えることも多かったという。日の目を見ない頃も、スポットライトの中心に立つ今も、変わらずに常に思索し続けることで濾過された人間性が、彼の言葉を特別なものにしている。だから、最後に聞いてみた。中村倫也は、そんな自分自身のことが好きですかと。

「嫌いではないですね。自分に対して『なんやの?』と思うときももちろんあるし、あきらめていることもいっぱいありますけど、どうしたって自分にはこの2本の足しかないから、それで歩くしかないみたいな感じで。ないものはないんだから、そういう地に足のついた歩みをするしかないってことがもうわかっている。年々思考がシンプルになっているんで、楽っちゃ楽ですよ」

掴みどころがないようで、実はすごくわかりやすいような。だけど、そう易々と手の内におさまってくれない気もする。この短いインタビューで見せてくれた一面も、中村倫也の中にある様々な自分のほんの切れ端でしかないんだろう。簡単に知ったような気持ちになったら大間違い。でも、だから、もっと知りたくなる。私たちは、中村倫也から目が離せなくなってしまうのだ。

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(撮影/高橋那月、取材・文/横川良明)

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