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初のドキュメンタリー映画公開! アニソンの先駆者JAM Projectの5人が語る“これまで”と“これから”

ぴあ

“先駆者”という言葉がこれほどぴったりな者たちもいないだろう。アニメや声優という、令和の時代において既にメジャーの地位を確立しているカルチャーが、まだごく一部のファンの間で愛好されるだけの存在だった2000年の時点で、日本を代表するアニソンのボーカリストたちによって結成されたユニット“JAM Project”。

その活躍は国内にとどまらず、日本のアニメの国際的な隆盛と共に、世界中のアニメ、そしてアニソンファンを熱狂させてきた。彼らの結成20周年に密着したドキュメンタリー映画『GET OVER -JAM Project THE MOVIE-』が公開となる。メンバーたちの軌跡や葛藤、さらにコロナ禍による全ツアーのキャンセルなど、彼らに起きた全てをカメラが捉えている。映画の公開を前にメンバーの影山ヒロノブ、遠藤正明、きただにひろし、奥井雅美、福山芳樹にこれまでの20年、そしてJAM Projectの“これから”について話を聞いた。

── あらためて昨年に結成20周年を迎えての感想と、これまでの活動の中で印象深い出来事について教えてください。

福山 印象的な出来事はいっぱいありますけど……2003年に僕は入ったんですけど、まずJAMに入れたってことが一番印象的です。最初からレコーディングで代表曲の『SKILL』を歌っていたし、今でもライブの最後に『SKILL』をやる──こういう素晴らしい曲に出会えて、それがJAMの基本になっているというのは嬉しいですね。

福山芳樹

きただに 僕は20年の中で、最初の半分くらいの期間は自分の中で「あれ? JAMの中であんまり機能してないんじゃないか?」という不甲斐なさがあったんです。だからやっとJAMの一員になれたのかな……?と思えるようになったのが最近のことで。20周年なんてまだまだあっという間の感じで、これからもっとJAMで頑張れる、躍進できるという気持ちの方が強いかも。あっという間の20年でした。

きただにひろし

影山 20周年の感想は、こんなとんでもないときに重なっちゃって……海外も含めて計画していた20本以上のライブが全部なくなり、去年という1年を本当になかったことにしてほしいくらいの気持ちなんですけど(苦笑)。ただ、まんべんなく世界中の人たちと同じものと戦っているという感覚は人類の歴史の中でも初めてのことかもしれないと思っていて、何とか乗りきるまで頑張るしかないなって気持ちです。

で、20年の中で一番っていうと、このメンバーで今、解散したりメンバーチェンジしないでJAM Projectが存在していて、いつでもGOサインが出たら再開するぞ!という態勢で存在できているということがすごく嬉しいです。

こんだけの歳になってもJAM Projectって音楽的に進化しているので、そこを1日も早く進めていきたいなと。奥井ちゃん、どうぞ!

影山ヒロノブ

奥井 20周年を迎えてですよね? 正直、こんなに長く……20周年を迎えられるとは思ってなかったところもあるかな? 3年目くらいで自分が入って、まさか20周年を迎えるなんて! でも迎えてしまうと早かったから、あのまますんなりツアーができていたら……。

あのまま、「やりきったね」っていう状態でJAMが「これからどうしようか?」と迷うよりは、コロナがきっかけで、まだまだ止まれないな、と感じた部分が自分にはあって。(コロナというのは)よくないことではあるし、大変な思いをしている方々もいっぱいいらっしゃるんですけど、ポジティブに捉えるとすればそういう部分もあるのかなと。

印象的なことは“今”のこの状態が印象的ですね。コロナ禍の中でJAM Projectを続けられて映画を作ってもらって、この先、ツアーをいつできるかって思っている“今”ですね。

奥井雅美

遠藤 20年……そうですね、まさか20年やるとも思ってなかったので、考えてみると早かったですね。それだけ充実してたんだろうなと。いろんなことに挑戦させてもらって活動してこれたからこそ、あっという間に感じるんだろうなと。

俺も自分のバンドやユニットの中で、こんなに続いている活動はなくて。18歳で田舎から出てきたので、ある意味、家族より長くこのグループでみんなと一緒にいるので、そういう意味では愛着もあります。

印象的な出来事は……何でしょうね? 僕の夢だった武道館にもこのグループで立てたし、世界に行って歌うんだって夢もこのグループで叶えさせてもらったし、ひとつじゃないですけど、そういうのがすごく印象的です。

遠藤正明

あらためて、“アニソン”とはどういう存在? 福山、きただに、影山の場合

── 今の若いシンガーは、最初から「アニソンシンガーになりたいです!」という人も多いかと思います。みなさんの場合、必ずしも最初からアニソンを歌うことを希望されていたわけではなかったかと思いますし、今もご自分のバンドや活動をされつつ、JAM Projectでも活動をされています。あらためてみなさんにとって“アニソン”とはどういう存在なのか? 教えてください。

福山 アニソンというのは僕らが子供の頃は、音楽のヒットチャートとかグループとは別に存在しているものだったので、交わることはなかったんですけど……。ただ、僕らが大人になる頃にはみんなで歌える曲ってアニソンやヒーローの曲が多かったので、大人になって、そういうジャンルを歌えたってことは、自分の生活とかバンドを維持するためではなく、単純に歌えて良かったなと思います。

福山芳樹

「アニソンというのはジャンルではない」──音楽のジャンルとしてはないと言われている気がするけど、僕らとしては、アニソンの音楽スタイルってあるんじゃないか?と最近は思っています。特に90秒というサイズだったり、映画にしても最初に音楽があってエンディングにも音楽があって……という感じで、アニメが細かくなればなるほど、それに応じて細かく展開していくのは、僕らのようなストロングスタイルのアニソンがぴったりだと思うし、僕らが作ってきたものなんじゃないかなと思います。

きただに 僕もJ-POPでデビューして、“戦力外通告”を受けて……という感じで、このアニソン界に拾われたというか、恩返しの気持ちがあります。人生を助けてもらった業界ですね。

きただにひろし

デビュー前から応援してくれていた友達が、僕がアニソンを歌うようになってから、イベント、ライブを見に来てくれたときのひと言がすごく印象的で、「え? こっちの方が天職なんじゃないの?」って。そうなのかもしれないなって自分でも思いますね。自分の性格、こういう声質とか、生き方とか、全てこっちの方が向いていたのかな? なるようになったのかなって思います。

影山 僕も(きただに)ひろしと一緒で、10代の頃にやっていたバンド(LAZY)が解散して、その後5年くらい、メチャメチャ低迷してたんですよ。レコード会社をクビになるわ、事務所もクビになるわ……。バンドを解散してすぐの頃はホールとかでやってたけど、2年もしないうちに演奏できる場所はどんどん小さくなっていって。

影山ヒロノブ

それでも、「それまでできなかった曲を書くぞ! 詞も自分で書くぞ! 年間150本くらいライブやるぞ!」って根性だけでやっている頃──24~25歳だったかな? 当時のコロムビアの木村(英俊)ディレクターに「来年の戦隊シリーズの歌をやってくれないか?」と言ってもらえたのが、何年ぶりかで世間から見てもらえた自分だったんですね。そこから今日まで、途切れていないのが自分の人生なんです。

そこからスタートして、最初はやはり感謝がありますよね。自分を暗闇から救ってくれたくらいの。ファンのみなさんも当時、影山ヒロノブのスタイルみたいなものに対して、すごくウェルカムな反応を示してくれて。自分を救ってくれた業界とファンに恩返しがしたいというのがスタートだったんです。

そこからもう35年過ぎて、今思うのは、アニソンシンガーって、そのアニメ作品がセンターに座っているとしたら、その周りの一員になる覚悟を持ってやっているのかどうか?というのがアニソン魂だと思うんです。

自分がアニソンで何に一番の喜びを感じたかとふり返ると、まずやはり、作った作品のプロデューサーたちが聴いて「うわぁ、今回の曲、サイコーです。俺たちが伝えたいことがこの曲に全部入ってます」と言ってくれたらめっちゃアガリます。これこそが俺たちの仕事なんだなって思います。

その次に曲がリリースされたとき、ネットなどで番組や原作マンガについているファンの人たちが「神!」とか言ってくれたら、そこで俺たちは「いい仕事に参加できて良かったな」って心から思えるんですよね。それがアニソンマンの立ち位置であり、一番かっこいいところだと思うんです。

声優さんやアニメを作っているスタッフさん、音響さんとか、みんなのチームの一員というのが、アニソンミュージシャンの男っぷり──いや、女性もいますけど(笑)──だと思うんです。

アニソンって“音楽性”じゃないので、ただ「アニソンシンガーになりたい」と思ってなるってちょっと変だなと思うんですけど、でもそこに「俺は遠藤さんの歌が死ぬほど好きで、あんなふうに歌えるプロになりたい!」「奥井ちゃんみたいに歌えるシンガーになりたい」ってことなら全然OKだと思うんです。それは俺たちが憧れた70年代のロックスターと全く一緒だと思うし、卑下する必要は全くない。ただ、アニソンシンガーになりたいなら、自分たちの立ち位置を職業的に誇れるような気持ちを持ったミュージシャンになってほしいですね。それがアニソンスピリットじゃないかと。

あらためて、“アニソン”とはどういう存在? 奥井、遠藤の場合

奥井 私が子供の頃は、アニソンシンガーって括りもなく、“まんがのうた”を歌っている人だったんですよね。“アニメ”って言葉もなかったけど、アニメの主題歌のレコードはいっぱい持ってたんです。堀江美都子さんの『キャンディ・キャンディ』とか。

奥井雅美

大人になってバックコーラスの仕事をやっていたときに、キングレコードで林原めぐみさんの仮歌を歌う仕事をさせてもらったり、レコーディングのコーラスをしてたんです。そうしたら、それを聴いたレコード会社の方に「1回歌ってみない?」って言われて、それで記念になるからってくらいの感じでバイト感覚でデビューしたんです。

その頃は、そういうのを専門でお仕事にされている方がいるっていうのも堀江さんしか知らなかったし、「あのような感じで歌うのかな」って思って……。最初の頃は楽曲の方向性もありますが堀江さんみたいに私が思う“正統派”な歌唱方法を真似てやってみたんですけど、やっていくうちに「詞や曲も好きに作っていいよ」ってなって、「この歌もやりませんか」とかだんだんお仕事のようになってきて……。

せっかくやるなら、J-POPのテイストを取り入れたらどうか? 踊れるものや好きな歌謡ロックのテイストを入れたらどうか? みたいな感じで自分たちのチームでやり始めて、気づいたらJAM Projectにも入って、こんなにも長くやってる生活の一部みたいになってしまったという感じなんですよね。なって“しまった”と言うと、イヤみたいですけど。

影山 イヤだったんだな(笑)?

奥井 イヤじゃないです(笑)! まさかこんな生活の一部になるなんて思ってなかったし、特に女だから……男の人って歳をとって歌ってもかっこいいけど、女性でかっこよく歳を取りながら現役でいるというのはすごく難しいなと思ってて。特に前に出ている人間は。そこが今の自分の課題でもあるんですけど。

アニメソングってさっき兄さんも熱く語ってくれましたけど(笑)、私が歌詞を書き始めた頃は、“夢”とか“希望”とかこっ恥ずかしくって、アニソンくらいでしか歌に乗せて言えないんじゃないかなって思ってたんです。真っすぐにそれを恥ずかしくなく歌えるのがアニソンのいいところだなと思います。

もうひとつ、ポリシーとして自分で持っていたのは、ネガティブな歌詞の作品もあるかもしれないけど、最終的にネガティブな中にもひとつの光が見えるように、歌詞の中で終わらせることを心がけていて。今でもJAMで詞を書くときもそうだし、普段からそういう作品が好きですね。

遠藤 僕もアニソンシンガーになりたくて今があるわけじゃなく、兄さん(影山)と同じ事務所に入って、レコード会社の社長に「歌ってみないか?」と言われたところから始まったんです。よく聞かれるのが「アニソンを歌うのと、自分のバンドで歌うときの違いってどこですか?」という質問。僕、分けたことはないんです。音楽にジャンルはあっても、歌にジャンルがあると思ってないので。そういう感じで歌ったことは今までもないし、これからもないだろうし、そういう意味では「アニソンだから」とかって意味は自分の中には全然なくて。

遠藤正明

映画の中でも言っているけど、僕がアニソンを歌わせてもらうようになった頃は、世の中で“アニソン=オタク”みたいなイメージが強かったんですよね。胸を張って若い子たちが「今日、アニソンのライブ行く」とか「このアニソン、すごいんだよ」って言える時代になればいいな、そこで僕らがアニソンを歌えるんだったら、そういう世界にしていきたいなと……力不足かもしれないけど、そういう世界になればいいなと思って始めたんです。

今、LiSAちゃんだったり、アニソンが市民権を得た時代になって、若い子が「アニソンシンガーになりたい」と夢を語ってくれるんだったら、それはすごく素敵で、僕らも何か力になれているなら嬉しいなと思います。

「ここまで続けてきたからこそ」20年目のマンネリズムや葛藤

── 映画の中で、メンバーみなさんとスタッフのみなさんが一同に会したミーティングのシーンが印象的でしたが、どういう経緯で行われたんでしょうか?

影山 あれは2020年の年明けてすぐ、どこかのタイミングだったと思いますが……もうツアーのチケットは一部、売り出されていたよね?

今思い返せばなんですが、自分たちがマンネリズムをもてあまし始めていた頃だなと思います。だからみんな、苦しんでいたんだなって。僕らもスタッフもね。「JAMはこういうことをしなきゃいけない」「こういう存在でいなきゃいけない」みたいなことで、ちょっといっぱいいっぱいになってたんですよね。

── メンバーのみなさんも同じような思いを抱えていたんでしょうか?

奥井 体力的なこともあって、こういう激しいこと、ツアー20本とか、これできるのかな?って思いはあって。そういう話をする中で、「みんなは、もうJAM Projectのライブを見たくないのかな……?」と思ってしまったところもあったんですね。20周年で全国津々浦々に行こうとしていて、今はあんまり聴いてなくても何年か前まで聴いてたよって人にも来てほしいと思ってたんですけど。

苦しんでいる──どうやって続けていったらいいのか?という思いもあったし、一方でそんな気持ちって言えないじゃないですか? あの頃、そういう思いを分かってほしいという気持ちはどこかにありましたね。

影山 ここまで続けてきたからこそ、無理していたところはあったと思うんですよね。自分たちもそれは感じていたし、あのミーティングでの福ちゃんの「知らない間に重くなっちゃってる」という言葉──あれは映画を観終わってすごく残りますよね。

ソングライティングの面でも、今までやってきた得意なコード進行に行っちゃったりして、「あぁ、これはよほどじっくりやっていかないと、このマンネリズムを脱出するのは並じゃねぇな……」と思っていたのがあの頃でしたね。

JAM Projectの“これから”とは?

── そこから、コロナ禍が直撃したことで、ツアー自体がなくなってしまうという予想外の展開になりました。あらためて今、みなさんのJAM Projectに対するモチベーションや思いはどのような状態なのでしょうか? 映画を観終えて「これからJAMはどうなるの?」という思いを抱いているであろうファンに「これから」について語っていただければと思います。

影山 また俺からでいい(笑)? たぶんね、みんな同じことを考えていると思うんですけど……。フェス(JAM FES.)のアタマでアカペラで1曲やってから始めたんですよ。あれは実は、このツアーの中でやろうと決めていた、俺たちにとっての一番のチャレンジだったんです。

その前に「何をやろうか?」って話をしたときに、遠藤が「やっぱりボーカルユニットなんだから、アカペラは絶対にやった方がいいよね」と言ったところから生まれたんですけど。そういうこともひとつの可能性として自分たちの中に残ってるなと感じています。

それともうひとつ、あの映画の最後みんな、顔に“光”がある人に戻っているんですよ。それは、やはりコロナがあったことで「このままじゃ終われねぇぞ、俺たちの人生」という思いですよね。特にJAM Projectという、自分たちの音楽人生の最後を飾るにふさわしいものとして、もっとやれることがあるだろう!という潔い人たちに戻ってるんですよ。

それを考えながら、最近、曲を作っていて思うのは、あんなにも「もう同じようなことばかりやっちゃって……」とマンネリズムと戦っていた自分の中のネガティブな要素が、今は「自分たちのスタイルをもっと突き進めて、いろんな要素を加えながらもJAMにしかできないスタイルを追い求めていこう! 芯となるものを変えるのではなく、もっと深く掘り下げていきたい!」というのが、今みんな思っていることだと思います。

そういう意味で、このコロナ禍を自分たちのマインドにとって“プラス”のものに最終的にさせないといけないなと感じています。

きただに 一字一句、そのとおりです!

福山 映画を観て、あらためてJAM Projectってすごいメンバーなんだなって思ったんです。これだけ1曲目から盛り上がれるレパートリーなんて他にないなって。

「もっとオリジナリティを出せよ!」なんてことをみんな若い頃から言われてきたけど、1曲目からこんなオリジナリティを出せるバンドなんて他にいないと思うし、こんなにクセの強い人たちが集まって20年間、必ず最後に『SKILL』を演ってきて。これだけの人たちなんだから、まだ“続き”があるぞって思いました。

もしかして、順当に20周年ライブをやっていたら変わったかもしれないけど、やれないままで、まだ終われないなって思いました。

きただに 20周年、まだ祝えてないですからね。今思い出したんですけど、メンバーで「こんな曲順で」とか話し合ったり、20周年なんだけど新しいアルバムをメインでやるライブって2020年しかできなかったんですけど、それを終えずに次に行くのはできないな、もったいないなと思います。みんなで協力してあれだけの作品を作ったのに、これをライブでやらないでいるのはもったいなさ過ぎるなって。映画でレコーディングしているシーンをあらためて観て「やらなきゃ!」って思いましたね。

遠藤 こういう時代になって、僕個人としては、この映画があったからこそ、もう一度やる気になった気がします。これがなかったら、へこたれていたかもしれない。フェードアウトしていたかもしれない。

映画の最後のインタビューを受けたときも、こういう状況がなかったら、乗り越えてなかったんじゃないかなって思ったんですよね。コロナ禍でドキュメンタリー映画を制作させてもらったっていうのは運命で、「もうちょっと歌わないとダメだよ」って言われている気がしました。だから、この映画にはすごく感謝しています。

奥井 私も映画の中でしゃべっていたときとはやる気が全然、変わりましたね! あの当時は体調もよくなくて「ずっと歌うのはできないんじゃないか?」と思ったりもしたけど、コロナで休んでいる時期もあって、歌えないとなると人って歌いたくなるものなんですよね。ワガママなもので……(笑)。

家にこもりながら「何ができるか?」と考えて、YouTubeにも挑戦したりしながら、前向きに状況を捉えることができたんです。JAMでツアーができなくて、フェスはやったけど、あれだけじゃ燃え尽きることはできないな、終われないなというのがあって、まずはできなかったツアーをやりたいです。配信もいいんだけど、やっぱりお客さんの熱を直接感じながら歌いたいし、やらない限り、JAMを終わることはできないなというのは思っています。

取材・文:黒豆直樹 撮影:源賀津己

『GET OVER -JAM Project THE MOVIE-』

2月26日(金)より2週間限定公開

(C)2021「GET OVER -JAM Project THE MOVIE-」FILM PARTNERS

JAM Project、影山ヒロノブさん、遠藤正明さん、きただにひろしさん、奥井雅美さん、福山芳樹さんのサイン入り色紙を1名様にプレゼント!

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