Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

コロナ禍に考える『MOTHER マザー』と『二人ノ世界』 “今”を象徴する2作から見えた光

リアルサウンド

20/7/17(金) 10:00

 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、劇場公開が延期され続けていた新作映画が、6月から7月に入って次々に公開されてきている。こんな時代だからこそ、シンプルに笑える楽しい作品を望む人も多いだろう。一方で、今の暗闇のような時代性と絶妙にリンクしてくる作品に触れ、立ち止まってじっくり考え直してみたい人もいるのではないだろうか。

 後者のタイプにお勧めしたいのが、実在の少年が起こした殺人事件に着想を得て、実話ベースで描いた長澤まさみ主演の『MOTHER マザー』。そしてもう一つ、永瀬正敏が当時学生だった制作チームに採算度外視で参加し、6年の歳月を経て公開になった『二人ノ世界』だ。

【写真】長澤まさみ×阿部サダヲ×奥平大兼が語り合う『MOTHER マザー』

 『MOTHER マザー』は、ゆきずりの男と関係を持ってはその場しのぎで生きるシングルマザーの秋子(長澤まさみ)が、息子に執着・依存し、息子もまたその歪んだ愛に応えようとすることで共依存関係になり、社会から孤立。やがて大変な事件を引き起こす物語だ。

 一方、『二人ノ世界』は、バイク事故で頚椎損傷となり、首から下の自由を失った俊作(永瀬正敏)と、ヘルパーとして志願してきた全盲の女性・華恵(土居志央梨)の奇妙な介護生活と真実の愛を描いた物語である。

 どちらも正直、ものすごく重く、しんどい。どこまでも続く暗闇に、飲み込まれそうな気持ちになるし、「社会からの孤立」にゾッとするし、見終わってから様々なことを考えさせられる。とはいえ、「孤立」のあり方は『MOTHER マザー』と『二人ノ世界』では大きく異なる。闇に落ちたきっかけも、前者は「本人(母親)のせい」である部分が多くを占めるのに対し、後者は頚椎損傷も全盲も、「交通事故」など不可抗力のものであるだけに、決して並べて良いものではないかもしれない。

 しかも、前者は、好意を持ち、いろいろ支援してくれる市役所職員や、生活保護、児童相談所、学校に通えない子たちのためのフリースクール、さらにゆきずりで関係を持つ男たちなど、様々な対象から、様々な場面で、救いの手を差し伸べられる。

 手続きをきちんと行い、形だけでも職探しをしている姿勢を見せ続けていれば(もちろんそれはダメなのだけど)、もっと楽にお金を手にすることはできただろうし、酒やパチンコをはじめとして、自身の快楽を優先させなければ、普通に生活することはできたはずだし、誰かにすがって生きることもできただろう。学習意欲を見せ、学校に通いたいと言う息子を、応援しないまでも黙って送り出し、息子の生活力を高めてそこに依存する手だってあっただろう。人生の様々な岐路において、その気になればいくらでも「光」はあった。

 しかし、その光をつかむ術を持たず「面倒くさい」「関係ないやつが口出しするな」「うるさい」などといった感情的理由で自ら光を手放していく。そのくせ息子・周平(奥平大兼)に対しては「舐めるように育ててきた」と言い、異常な執着心を見せ、生活費やパチンコなどの遊興費を工面するために嘘をつかせ、勉強したいと言う息子の「可能性」を否定し、「私の息子だ。どうしたって勝手だろ」と言い切る。

 周平もまた、成長するにつれ、母親の支配下から抜け出すチャンスは何度もあったはずなのに、その都度、「光」に向けて伸ばしかけた手をそっとおろし、孤立の道を自ら進む。

 作品を観ていると、「なぜ?」という疑問と苛立ちばかりが生まれ、大多数の人が母親に全く共感どころか同情もできないだろうし、気分が悪いと感じる人が多いことだろう。

 でも、こうした生き方、親子関係は実にリアルでもある。自分自身、一時期、貧困取材を度々行っていた頃に、取材相手の話を聞いては「なぜ?」と感じることが多々あった。子どもを抱え、明日食べる米もなくなりそうな状態なのに、4~5万円もするブーツを買ったり、ストレートパーマをかけたりする人。男と遊ぶために、仕事と嘘をついて度々、ママ友にまだ幼い子を預けるのに、別れた夫には絶対に子どもを渡さない人。複数の消費者金融からした借金を返済している最中なのに、まだ現れてもいない「未来の妻」のために100万円もの指輪を買い、バブルがとっくにはじけたクワガタ飼育に夢をかけている人など……。「なぜ?」ばかりだが、他人がそれらを否定・非難・あるいは無責任にアドバイスすることはできても、当事者にとってそれは「関係ない人間に言われたくない」と感じるだけで、何の救いにもならない。出口の見えない苦しい状況が続くと、思考がストップしてしまうのかもしれないし、もともと順序立てて計画的に物事を考えることが何らかの理由でできないのかもしれないし、他人が良かれと思ってするアドバイスも「正論」も、当事者にとっては「上から目線」にしかならない。

 本作においては何度もお金を貸してきた秋子の母と妹がまさにそうで、お金を無心に来た秋子と周平に「せめて1円でも良いから返してからだ」などと正論を言うが、「あんたら、私をずっとバカにしてるんだろ」と逆ギレされてしまう。

 実際、長い間迷惑を被ってきたことは事実だし、縁を切りたくなるのも当然だろう。それを責められる人はいないが、秋子と周平のその後の人生を思うと、正論が無意識に「上から目線」になり、相手を追い詰めるだけだったのではないか。自分も同じようなことがこれまでなかったろうかと、ゾッとする。正論で他者を救うことはできないし、そもそも「誰かを救える」と思うこと自体、傲慢なのかもしれない。

 そんな他者に母子は背を向け、二人だけの、誰も入れず、理解もできない濃密な関係を築いていく。興味深いのは、秋子が息子・周平に対して異様に執着し、依存する一方で、娘にはそれほどでもないこと。と同時に、妹は守ってくれる兄がいるからか、母親とのつながりが周平に比べると薄く、空腹など生理的欲求はシンプルに訴えるものの、抱えている闇は少ない。

 一方、『MOTHER マザー』とは違い、『二人ノ世界』のほうは、俊作が首から下が不自由になったことも、華恵が全盲になったことも、本人に非はほとんどない。にもかかわらず、二人に向けられる周囲の目は、物珍しそうな野次馬的目線ばかり。かつてはそんな目線に耐えられず、家にこもりきりだった俊作が老父の死を乗り越え、ようやく外に出ようと前向きになる。

 しかし、そんなとき、お祭りに出かけた二人に対し、すれ違った者から、「邪魔だ!」という心ない言葉が投げつけられる。思わず華恵は反論し、悲しそうにこうつぶやく。

「うちらかて、普通の人やのにね。俊作さんは体が動かへんし、うちは目ぇが見えへん。それだけのことやのにね」

 実はこの光景は、「電車の中のベビーカー問題」とそっくりだと思った。「混雑している時間にベビーカーは邪魔」というのは、確かにその通りだろう。「ベビーカーじゃなく、抱っこ紐で移動すれば」「そもそも子持ちは時間があるんだから、あえて混んでいる時間帯に移動せず、空いている時を選べばよい」などというのも正論だ。しかし、抱っこ紐では移動できない理由、混雑時に移動しなければいけない理由があるのかもしれない。それに、そもそも常に自分の意思や都合よりも「他者」「周りのこと」を優先しなければいけないのだろうか。

 自分も含め、「他者にできるだけ迷惑をかけないように」と考え、日々注意しながら生きている人は多いだろう。でも、「迷惑をかけないように注意を払うこと」が、ときにはそのルールや領域を侵す他者に対しての無理解や想像力のなさ、不寛容さになっていないだろうか。

 ある出来事をきっかけに、これ以上迷惑をかけるなと冷たく言い放つ俊作の親類に対して、華恵は言う。

「迷惑かけんと、うちらにどないして生きろ言うんや!」

 また、俊作が失意のうちに呆然と呟いた一言が胸に刺さる。

「結局、俺らは全部取り上げられなあかんのかな。何もできへんいうだけで、全部あきらめなあかんのかな」

 コロナ禍で先が見えない暗闇が続く今、人と人との交流も制限され、孤独を感じている人は少なくないだろう。そんな中、誰もが光を求めている。この2作は、現状とその先の光を考える何らかのきっかけになるはずだ。

(田幸和歌子)

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む