Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

全ての人が心震える怒涛のラスト 『泣き虫しょったんの奇跡』は“夢を見続けること”を肯定する

リアルサウンド

18/9/11(火) 10:00

 これは、夢のその先の物語だ。「奇跡の実話」「感動の実話」「諦めなければ夢は叶う」、そんなキャッチフレーズに眉をひそめたくなる人こそ観てほしい。「諦めなければ夢は叶う」という言葉は嘘だと思っている人にこそ観てほしい。特に終盤の10分、かつて夢を追いかけていた人、今夢に向かっている人、夢のその先を恐れている人、全ての人が心震え涙せずにはいられない怒涛のラストが待ち構えている。

参考:野田洋次郎、友人・松田龍平との共演や幼い頃の夢を語る 『泣き虫しょったんの奇跡』コメント映像

 昨今の将棋ブームもあり、『聖の青春』(森義隆監督、2016年)『3月のライオン』(大友啓史監督、2017年)など、近年将棋を題材に扱う映画は多い。前述した2作品がプロ棋士たちの戦いを描いている一方で、『泣き虫しょったんの奇跡』は、前半、プロ棋士をめざす若手たちの戦場、奨励会を舞台として展開される。この奨励会には年齢制限という鉄の掟が存在する。26歳になったら奨励会を退会しなければならず、どんなに人生全てを将棋に捧げていたとしても、プロ棋士への夢を断念することを余儀なくされるのだ。

 将棋棋士、瀬川晶司の同名ノンフィクション小説を原作に、自身も奨励会員だったという経歴を持つ『青い春』の豊田利晃が監督した。しょったんこと瀬川晶司を演じる主演の松田龍平はじめ、将棋の仲間でありライバルたちに野田洋次郎、永山絢斗、駒木根隆介、そして他の2つの将棋映画でも個性の違う棋士役を演じている染谷将太といった魅力的な俳優たちが揃い、さらには妻夫木聡、藤原竜也が意表をつく役柄ではあるが強い印象を残す。まるでバトンを繋ぐように、幼い瀬川の心に強く影響を与える大人たちの役で登場する松たか子、イッセー尾形が実に好演している。全員紹介していたらキリがないが、瀬川の人生に少しだけでも影響を与えた、もしくは関わった人物たちを、信頼のおける優れた俳優たちが演じているのも特筆すべき点だろう。

 映画の構造は2部構成からなっている。1部はプロ棋士になれず挫折することを「人間になれなかった自分を人目にさらすのを恥じるようにひっそりと去っていく」、「死」とまで表現するほど執着する人々が凌ぎを削る奨励会で夢を追いかける日々。そして2部は夢を追いかけ、挫折した、その先の日々である。

 例えば朝ドラ『半分、青い』(NHK総合)の最も鮮烈な場面で、漫画家をめざしていたヒロイン・鈴愛(永野芽郁)が28歳になって突然その才能が欠落し、断念せざるを得なくなるという挫折を凄まじい表現力で描いた場面があったが、それに似たものがある。1部の終盤、瀬川が見る“湖”という死のイメージ、言葉通り真っ黒なコンクリートの底なし沼に引き込まれ、浮かび上がることができないという幻想は、それに似た絶望、多くのことを犠牲にして夢を渇望してきた人間が、その夢に手が届かないという、目の前に死を突きつけられるかのような地獄を容易に想像させる。

 そしてそれは、なにかの目標に向かって執着しつつも、どこかで夢破れるという1つの“死”が突きつけられる瞬間を恐れている多くの、特に瀬川や鈴愛と同じ20代後半の夢追い人にとっては、共感せずにはいられないものだろう。観ているこちらが、平常心ではいられない。

 だが、幸いなことにこの映画には続きがある。それも、1人の物語ではない。かつて夢を追った全ての人々の思いと願いを背負って、瀬川は戦いに臨むのである。

 印象的な場面がある。幼い瀬川と幼なじみの将棋仲間・悠野(野田洋次郎)は、イッセー尾形演じる恩師である将棋クラブの席主・工藤と共に、中学生名人戦を終えた後、電車に乗っている。奨励会を受けるためにはプロ棋士に師匠になってもらわなければならないため、将棋クラブを出ることになる瀬川たちを工藤はもう教えることができない。「お前たちが決勝で戦う夢を見た」と言って名人戦に臨む彼らを鼓舞した工藤は、「いい夢、見させてもらったよ」と言って電車を降りる。「俺もプロ棋士目指したかった、でも将棋を覚えるのが遅すぎた」という本音を吐露して。通過しようとする電車の窓越しの、「がんばれや」と叫ぶ工藤の一瞬の切実な表情は彼らの心に何を残したのだろう。工藤は去って行った電車に向かって「ごめんなあ」と呟く。その「ごめん」の意味は、「この後の旅に同行できなくてごめん」だったのか。それとも「自分の夢を勝手に託してごめん」だったのか。

 電車が描かれるのはその場面だけであるが、私にはこれが、総じて電車の映画であるように感じる。プロ棋士という夢に向かう1つの電車に多くの人々が乗り、誰かに思いを託し、降りていく。降りたかったわけではない、降りるしかないという悔しさと、電車に乗り続けることができる人への呪いの言葉もあっただろう。瀬川自身も、一度電車を降りるしかなかった。一度は将棋から遠ざかった。それでも彼を繋ぎとめたのは、先に電車を降りざるを得なかった仲間たち、優しく寛大な両親(國村隼、美保純)、恩師たち、彼の人生に少しずつ関わった多くの人たちの言葉と思いがあったからだ。

 静かに将棋を指す音が鳴り響く。泣き虫しょったんは3度泣く。奇跡のサクセスストーリーなんていう生易しいものではない。挫折に挫折を重ねた彼は、たくさんの人の思いを乗せて、静かな闘志を漲らせるのである。松田龍平の静謐な眼差しと、静かに歪む泣き顔がただただ胸に迫る。

 まだ、夢を見ていい。そう思わせてくれる、救いのような映画だ。(藤原奈緒)

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む