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音楽プロデューサー・松尾潔が語る、エンターテインメントの価値 「売れるために何かを捨てることはしていない」

リアルサウンド

21/3/7(日) 11:00

 CHEMISTRY、平井堅、JUJU、三代目J Soul Brothersなど数多くのアーティストの楽曲を手がける名プロデューサー、松尾潔が初の長編小説『永遠の仮眠』を発表した。

 本作の主人公は、音楽プロデューサーの光安悟。彼がオーディションで発掘したシンガー・櫛田義人との再会、ドラマ主題歌の制作をめぐる業界の内実、ドラマプロデューサー・多田羅との対立などを生々しく描いた作品に仕上がっている。2011年の音楽シーン、東京の情景を生き生きと描いた筆致もこの小説の魅力だろう。

 “人は常に何かを取り戻し続けねばならない。未来こそが過去を変える”というメッセージを込めたという「永遠の仮眠」のテーマや執筆のプロセス、そして、エンタ—テインメインの在り方などについて、松尾自身にたっぷりと語ってもらった。(森朋之)

僕自身も世間から審査されていた

——初の長編小説『永遠の仮眠』、じっくり楽しませていただきました。音楽プロデューサーとしての経験を踏まえ、フィクションだからこそ、これほどまでに生々しい物語が描けたのだなと感じました。

松尾潔(以下、松尾):ありがとうございます。そう言っていただけるのなら、もうインタビューを終えてもいいくらいです。

——(笑)主人公は音楽プロデューサーの光安悟。00年代からの音楽シーンの流れもかなりリアルに反映されていますね。

松尾:そうですね。たとえば『ASAYAN』(1995年から2002年までテレビ東京で放送されたオーディション番組。松尾が審査員をつとめた“男子ヴォーカリストオーディション”からはCHEMISTRYがデビューした)からの流れをご存知の方がこの小説を読めば、「コレはアレのことかな」と答え合わせ出来る部分もあるでしょうし。今回、いろいろなインタビューを組んでいただいてますが、若いライターの方だと、「ASAYAN」のオーディションをご存知なかったりするんですね。「松尾さんと言えばLDHですが」「関ジャムでおなじみの」などいろいろな言い方をされますが、僕自身のことをどう捉えているかによって、質問もだいぶ違うような気がします。普段お聞きになってる音楽の量によっても、読み方が変わるのかなと。もちろん幅広い方に読んでいただけるように書いているんですけど、やはり僕の本籍地は音楽ですから、音楽に詳しい方のリアクションは気になります。

 僕の個人史で言うと……ASAYANのオーディションをやっていたときは、僕自身も世間から審査されていたんだと思うんです。この小説の主人公である悟もそうで。悟はヴァイブ・トリックスというボーカルユニットをデビューさせて、自分にしか出来ない仕事をやってきたつもりでいたんですが、ザッキーさん(“ミスターJPOP”と称される大物プロデューサー・島崎直士)と出会うことで、「俺は音楽業界のなかでまったく知られていないんだな」と思い知る。あのくだりは、僕自身の体験とも重なっています。音楽に限らず、新興ジャンルのプロデューサーや作り手が感じることかもしれませんが。

——90年代後半から日本のR&Bシーンを牽引してきた松尾さんにも、そんな経験があったんですね。

松尾:音楽業界は広い、もっと言えば、日本は広いですから。実際、90年代後半から宇田川町界隈を歩けば、「松尾潔だ」と言われてたんですよ。いきなり男の子にデモテープを渡されることもありましたし。ただ、それは小さい世界の話だったんだなと思い知らされたわけです。

“近過去”を書き留めておきたかった松尾潔

——やはり悟には、松尾さん自身の経験が重ねられているんですね。小説のカバーを飾っている岩田剛典さん(三代目J Soul Brothers)も、松尾さんとの対談のなかで「自叙伝のような感覚で読みました」とコメントしてました。

松尾:じつは版元の新潮社のみなさんには「自伝的小説というキャッチコピーは勘弁してください」とお願いしていたんですよ。でも、対談したとき岩ちゃん(岩田剛典)が新潮社の会議室でその言葉を言ってしまって(笑)。ネットでもその発言が切り取られてますが、せめて「自分からは(“自伝的小説”とは)言ってないですよ」と抗うしかないですね(笑)。

——2011年が舞台になっているのも興味深かったです。震災がエンターメントメントに与えた影響もリアルに描かれていますし、何よりも、当時の音楽シーンの状況が手に取るようにわかるのが素晴らしいなと。

松尾:近未来ならぬ近過去というのかな。2011年の段階で配信ビジネスはすでに広がっていましたが、まだまだ呑気だったし、その頃のことを書き留めておきたかったんですよね。

——日本の音楽シーンにR&Bが入ってきて、メインストリームになっていく過程も、悟を通して語られていて。以前から松尾さんが話している“お箸の国のR&B”という言葉も出てきますね。

松尾:そこに関しては、小説を書く立場というより、日本にR&Bを伝道してきた立場として書いてるところはあるかもしれません。日本で作られるポップミュージックは、この国で生活している人々に向けられるべきだと、少なくとも2011年の時点では思っていましたから。いまの若いクリエイターが、そういうことを考えているかどうかはわかりませんけどね。先日、岩崎太整さん(映画『SRサイタマノラッパー』『モテキ』などの劇伴を数多く手がける作曲家)と仕事でご一緒して痛感したんですけど、彼が手がけた『全裸監督』(Netflix)の音楽は世界中の人が聴くわけですね。Spotifyなどのストリーミングサービスの普及もあって、日本と世界、マイナーとメジャーなんて、いまや関係なくなっているので。だからこそ、そうじゃなかった時期のことを書いておきたい気持ちもありました。CDセールスの単位の話なんて、どんどん昔話みたいになっちゃいますからね(笑)。

——2011年は、CDの売上の低下が顕著になっていた時期ですよね。

松尾:ええ。この小説のなかでドラマプロデューサーの多田羅が「こっちは数千万人の視聴者と勝負してるんだ。十万、百万程度の客相手に商売してる人間がわかったようなことを言わないでほしい」みたいなことを言うんですけど、今、100万のセールスがあったら“超”のつくビッグビジネスですから。「あなた、米津玄師に向かって何を言ってるんですか」という話ですよ(笑)。読者の方によっては「10年前のテレビ業界って、そんな偉そうなこと言ってたの? ダサい」「今はもう、リアタイでテレビ見てる人なんていないよ」と思うかもしれないですね。

「あなたが“聴いている音楽”を言ってみたまえ」

——この10年間におけるショービズの変化は凄まじいですからね……。

松尾:本当ですよね。さらに遡って90年代の話をさせてもらうと、僕はアメリカに行くたびにタワーレコードやブロックバスターに通って、日本未公開のブラックムービーのレーザーディスクを買ってたんです。「White Men Can’t Jump」や「Jason’s Lyric」の時代です。それを家に遊びに来た友達ーーそのなかにはライムスターのメンバーもいたでしょうねーーと一緒に観たりね。そういう形でしか情報に接触できなかったんだけど、今はまったく違うじゃないですか。全世界同時にネットで公開されたばかりの新作映画を、学生さんが通学途中の暇つぶしで観ることができる。映画や音楽もそうだけど、カルチャーを神棚に飾っておくような時代ではなくなったというのかな。……ということで、この小説の冒頭には“神棚”が出てくるんですよ。

——沖縄で仕事を終えた悟が、バーに立ち寄る。店には神棚のように置かれている戸棚があって、そのなかに小さなボトルが飾られている、という場面ですね。

松尾:はい。悟は「貴重な泡盛なのかな」と思うんだけど、じつはバーの“ママ”が性転換手術を受けたときに取り出した睾丸のアルコール漬けだったという(笑)。自分たちも、音楽や映画を根拠もなくありがたがってた気がするんですよ。逆に言うと、そういうものでさえエンターテインメントの具にできるのは、素晴らしいことだとも思うんです。

——誰かにとっては意味のないものでも、他の誰かにとってはとてつもなく大きな存在になるというか。

松尾:そうですよね。「エンターテインメントなんて、何でもないものを勝手に“すげえ”って言ってるだけじゃないか」という冷めた物言いはいつの時代でも可能だと思うんです。でも、そこにしっかりとリアリティを織り込むことで、人をエンターテインできるんですよ。その気持ちがないと、こういう仕事をする資格はないのかなと。

——エンターテインメントの価値を問われている時期だからこそ、大事な指摘だと思います。

松尾:『永遠の仮眠』を書き始めたのは2015年で、何度も中断しながら、結果的に2021年に発売することになって。奇しくもコロナの状況にぶつかったわけですよ。エンターテインメントが開店休業状態になり、不要不急という言葉を使われることもありますが、「ある人にとってはエッセンシャルなものであってほしい」という気持ちもあって。日々の営みを続けるなかで、本当に必要なものは一人一人違うという、至極当然のことに思い至りましたね。僕自身、若いときはゴハンを抜いてレコードを買うことがありました。少なくともあの時点では、お米やパンよりもレコードのほうが自分を動かすガソリンになり得た。ノスタルジーもありますが、あの情熱はウソではなかったと思うんです。僕の場合は音楽でしたが、ある人にとってはスポーツなのかもしれないし、他のご趣味なのかもしれない。今は不要不急で片づけられがちですが、その人にとっては生き方や価値観を決めるものなんですよ、それは。

 「あなたが今日食べたものを言ってみたまえ。あなたがどんな人か当ててみせよう」という言葉がありますけど、現在では、食べ物のよりも“あなたが聴いている音楽”のほうが、その人のことを言い当てられるでしょう? それを不要不急なんて言われては……これ以上はやめておきましょう(笑)。

音楽も小説に「時間」の概念がおもしろさに繋がる松尾潔

——エンターテインメントとは何か? というテーマを含む『永遠の仮眠』が2021年に出版されたのは必然だったのかも。もちろん、松尾さんの引きの強さもありますが。

松尾:それはよく言われます(笑)。小説の最後で、悟が「東京オリンピックでもお仕事をやってほしい」と言われる場面があって。去年の今頃、(執筆が遅れたことで)「本が出る頃にはオリンピック終わってますよ」なんて言ってたんですけど、結果はご存知の通り。つまり、このセリフはまだ生きてるんです。

——神がかってますね……。さらに震災から10年というタイミングとも重なっていて。小説のストーリーでも、震災によって登場人物たちの運命が大きく変わっていきます。

松尾:悟は「カムバック 飛翔倶楽部ゼロ」というドラマの主題歌をプロデュースするのですが、ドラマのことを正確に読み解くことができなかった。震災をきっかけにしてそのことに気付くのですが、「震災が悟の目を開いてくれた」という言い方も出来ると思うんですよね。僕らはコロナ禍という未曽有の事態に直面していますが、そこからも何かを学ぶことができるはずだし、学ばなくちゃいけない。それがこの小説のテーマである“取り戻す”ということなんです。

——“人は常に何かを取り戻し続けねばならない。未来こそが過去を変える”ですね。

松尾:はい。それは昔あったものを取り戻すということではなく、“そこにあって然るべきだったのに、実際にはなかったもの、起こらなかったこと”を取り戻す、つまり、過去を作り直すということなんです。自覚的に未来に向かうことで、過去を意味あるものにする。それは国単位でもやらないといけないし、もちろん個人個人でもやるべきだと思っていて。そうすれば、この世も少しは良くなるんじゃないかなと。

——未来によって、過去は変えられると。

松尾:そうです。小説に先がけて発表した『松尾潔のメロウな日々』『松尾潔のメロウな季節』という音楽エッセイ集があって。この2冊を書いたことで小説が遅れたんですが(笑)、その時のあとがきで「過去は変えられなくても未来はつくることができる」と書いてるんですよ。でも、その先があったんだな、と。「過去を変える」というとネガティブな響きを感じるかもしれないですが、そうではなく、自分自身の軌跡をただの回り道にせず、意味のある歩みにするということなんですよね。

——時間の概念にも関わってくる話ですね、それは。

松尾:そうかもしれない。音楽はわかりやすい時間芸術ですが、小説においても、時間という概念をどれだけ自覚的に織り込めるかが、作品のおもしろさやクリエイティビティに影響するので。そのことに書いている途中で気付いて、最初から書き直したんですよ。そもそも『永遠の仮眠』というタイトルも、時間がねじれてますからね。僕はどうも、こういう言葉の組み合わせに惹かれるようですね。プロデュースした平井堅さんの「THE CHANGING SAME」「gaining through losing」というアルバムタイトルもそうですが、相対する概念をまとめて、どちらでもなくて、どちらでもあるという状態に興味があるんだろうなと。“仮眠”という言葉もね、子どもの頃から引っかかってたんですよ。「仮の眠りということは、眠りとは言えないないのでは?」「眠るって半分死んでるようなものだよな。とういうことは、仮眠はどういう状態なのか?」とか(笑)。

——確かに不思議な言葉ですね、仮眠って。

松尾:いま思うのは、睡眠というのは、一様に仮眠なのではないかと。それを繰り返すことが人の営みであり、もちろん永遠ではなくて、いつかお迎えが来るわけでーーまあ、そんなことを考えながら「永遠の仮眠」というタイトルに決めて。その後、岩ちゃんが表紙に登場してくれることになって、新潮社のなかでロケハンしたんです。実際に撮った場所は倉庫なんですが、撮影の前日に“仮眠室”を見つけて。これはおもしろいなと思ってたんですが、今初めて人に話しました(笑)。

荒唐無稽な話を書いているつもりはない松尾潔

——(笑)撮影はいかがでしたか? 

松尾:彼の音楽の志向はもちろん知っているし、もともとB-BOYですからね。フォトセッション中も、90年代のRedmanのライブの話なんかをしたり。岩ちゃんは歌い手ではないので、彼とは小説のなかの悟と義人みたいな会話をしたことはなくて。だからこそ、表紙の撮影をお願いできたところもあったでしょうね。もし、僕がプロデュースしたことのあるシンガーの方だったら、「こういう写真が撮りたい」なんて言えなかっただろうし。……この話、照れますね(笑)。

——数多くのアーティストをプロデュースしてきた松尾さんですが、作家としては、編集者にプロデュースされる立場だったのでは?

松尾:そうなんですよね。岩ちゃんとの対談でも話したのですが、僕はこれまで、多くの演者のみなさんのお手伝いをしてきた。小説を書いたことで初めて、彼らの気持ちが少しわかった気がしますね。逆に言うと、「いままでわからずにプロデュースしてた。ごめん」ということなんですが(笑)。ただね、わからないからこそ出来るお願いもあるだろうし、それが良い結果を生むこともあると思うんです。たとえばトラックメイカーの方に打ち込みでストリングスをアレンジしてもらうとします。それを生楽器に差し替えようとしたら、演奏者の方に「これはバイオリンを弾かない方が作ったアレンジですよね? このフレーズは物理的に弾けません」と言われる。でも、フレーズ自体はおもしろいから、だったら打ち込みのままいこうという判断もできるわけですよ。

——弦楽器を演奏しない人が作るからこそ、新しい発想のフレーズも生まれ得ると。

松尾:はい。しかも最近は打ち込みの音質が向上しているので、生のストリングスにしか聞こえない音で、実際には演奏できないフレーズを取り入れることもできる。つまり、ある時代には「それは無茶だよ」と思われることも、その後、当たり前になるかもしれないんですね。今回の小説でいえばーー少しネタバレになってしまいますがーー企画がなくなったドラマのために作った曲を、そのままドラマの主題歌としてリリースするというのは、今の時点ではファンタジーですよ。音楽関係者が読めば「こんなことはあり得ない」と思うでしょうが、この先はそれも普通になるかもしれない、と言っておきましょう。

——実際にはあり得ない物語にどれだけリアリティを持たせられるかが、小説の醍醐味でもあると思います。

松尾:小説っておもしろいなと思うのは、「月が見えない夜だった」と書けば、天気が悪いということになるし、次のページで「ひょっこり月が見えた」と書くこともできる(笑)。もちろんスクリプトの段階で吟味してますが、起こりえないことを書けるのはおもしろいですよ。歌詞でもそういうことがありますね。山下達郎さんの「クリスマス・イブ」の「雨は夜更け過ぎに/雪へと変わるだろう」という有名な歌詞がありますが、実は12月の東京ではそんなことはなかなか起きないそうなんです。でも、山下達郎というシンガーの歌によってリアリティが生れ、リスナーはその情景を共有できる。それもエンターテインメントの素晴らしさですよね。僕もこの小説のなかで、まったく荒唐無稽な話を書いているつもりはなくて。「もしかしたら、こんなこともあるのかな」と読んでいただけると思うんですよね。

——なるほど。特にドラマプロデューサーと悟との会話は、シビれるほどの生々しさがありました。

松尾:僕も書きながら、身を削るような気持ちでしたね。勘のいい人が僕のプロフィールを見れば、「このドラマのことかな」とある程度、特定できるかもしれません(笑)。実際には、主題歌を制作したドラマが放送中止になったという経験はないんですけどね。

書き手と読み手の最低限の約束

——2011年の東京の描写も印象的でした。ビルボードライブ東京でライブを観るくだりや、実在するレストランで食事をする場面もそうですが、この時期の東京の文化を追体験できるのも本作の読みどころだと思います。

松尾:レストランの名前を微妙に変えてあったり、虚実が混ざってるんですよね。小説に出てくるレコード会社やグループ名なども、本当にありそうな名前にしてたり。紀尾井町の放送局とか、ありそうじゃないですか(笑)。エンストを気しながら車を運転するなんて、EVが主流になるこれからはお目にかかれない光景になるでしょうが、2011年はそうだったわけで。それもリアリティの担保になるのかなと。具体名、固有名詞をどこまで織り込むかは、小説というものが日本に入ってきて以来、ずっと書き手を悩ませてきたことだと思うんですよ。それを書くことで作品の風化が早くなるかもしれないけど、僕としては、その時代を書き留めることも小説という器の役割だと思っていて。

——なるほど。

松尾:僕自身もそういう小説を読み手としても楽しんできましたからね。たとえば大江健三郎の昭和40年代の作品には、当時の風俗が描かれていて、今となっては噴飯ものであっても、「これは古いよ」ではなく、「当時はこうだったんだな」と読むべきなんです。それは書き手と読み手の最低限の約束だし、『永遠の仮眠』でも恐れずに2011年の東京を書き込んでやろうと。まあ、用心深い性格なので、先人たちはどうしていたのか調べましたけどね(笑)。ちなみに日本の文学に初めて“コカ・コーラ”が出てきた作品ってご存知ですか?

——え、わからないです。

松尾:大正3年(1914年)に出た高村光太郎の第一詩集『道程』と言われています。あの中の「狂者の詩」に出てくるんですが、昔の人のほうが、新しい言葉をバンバン書かれているような気もして。この小説を書いているときも、ちょっと迷ったりすると「小さい小さい。思い切って書けよ」と自分に言い聞かせてますね(笑)。でも、間違いはないはずです。新潮社の校閲も通っているので。

——一方で、松尾さんにしか書けないフレーズもあって。「この夜を止めることは~」もそうですし。

松尾:あ、それは初めて気づかれました(笑)。じつは自分で書いた歌詞のフレーズをいくつか散りばめてるんですよ。タネ明かしするのも無粋ですが、言い当てられたら「その通りです」と言うしかないです(笑)。

——さらに悟と妻との関係、不妊治療など、いろいろな要素が込められているし、本当に間口が広い作品だと思います。音楽制作と同様、やはり、ヒットさせることは意識していましたか?

松尾:そうですね。岩田剛典さんという人気俳優が表紙を飾ってくれたことで、多くの注目を集めることができましたし、発売前から重版がかかって。そのことを素直に喜ぶ僕がいますね。ただね、音楽もそうなんですが、売れるために何かを積み重ねることはしても、売れるために何かを捨てることはしていないつもりなんです。

——「売れるために何かを捨てる」というのは?

松尾:僕が関わった楽曲に対して、「あれほどのR&Bマニアが、こういう曲を作るのはあり得ない」という言い方をされることがあるんですよ。つまり、「“これくらいでいいんじゃないの”という態度でJ-POPをやっているところが見受けられてイヤだ」ということなんですが、僕としては「ふざけるんじゃない」と言いたいです。そんな簡単な引き算だけでやれるなら、苦労はないですよ。脚色、演出、アダプテーション、ローカライズ、カスタマイズ、いろんな言葉がありますが、それを丹念にやってきたし、何かを捨てたり省いたように聴こえても、それは“マイナス”を加えているんです。それは小説も同じだし、だからこそ自信があるんですよ、自分が作るものに。万人にウケるはずなんて思ってないけど、ある人にとっては、ちゃんと響いて、人生のなかに何かを残せるものを書いたつもりなので。だからこそ一人でも多くの方に手に取ってほしいし、一生懸命、プロモーションもしたいと思っています。だって、僕みたいにR&B/ソウルのレコードを1万枚以上も聴いてきた人間でさえ、「え、83年にこんなにいい曲があったの?」ということが、いまだにありますから。

——知られていない名作がたくさんある、と。

松尾:本当にそう。先日、ロバータ・フラックの「What’s Going On」(マーヴィン・ゲイ)のカバーがリリースされましたが、これは1970年代初めに録音されたんです。音源が存在しているという話は聞いていたけど、どうして当時のアトランティック・レコードはリリースして、宣伝しなかったのか……。つまり、どんなにいいものでも、知られてないものがたくさんあるんです。だからこそ必死でプロモーションするし、「どれだけやっても届いてない人はいる」という心構えは死ぬまで必要でしょうね。松尾潔

■書籍情報
『永遠の仮眠』
著者:松尾潔
出版社:新潮社
価格:本体1,700円+税
https://www.amazon.co.jp/dp/4103538414

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