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すべての人にそれぞれの“サニー”がある 『SUNNY』が教えてくれる人生の楽しみ方

リアルサウンド

18/9/9(日) 10:00

 ルーズソックスにソックタッチ、ミニスカートにジャージ、109ブランドのショッパー、プリクラ帳、写ルンです、落書きした写真……“ああ懐かしい、あったあった!”と、1990年代終盤を女子高生として過ごした筆者にとって、忘れかけていた記憶の箱がいくつも開いた映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』。小室哲哉ファミリーをはじめ、小沢健二やPUFFY、JUDY AND MARY、Charaらのヒットソングたち、『伊東家の食卓』の裏ワザ、ノストラダムスの大予言、『耳をすませば』の看板などなど、女子高生じゃなかった人にとっても、「あのころは……」と語りたくなる要素が随所に散りばめられていたのではないだろうか。

参考:広瀬すず、初のコギャル役をどう演じた? 『SUNNY』“空白の時間”を埋めた最後の表情

 本作は、2012年に日本で公開された韓国映画『サニー 永遠の仲間たち』のリメイク作。オリジナル作品の舞台は、民主化運動が進んだ1980年代のソウルだ。若者たちが中心となって動かした韓国の変革期を背景に、女子高生たちの青春が描かれる。田舎から都会の女子高へと転校してきた主人公は、仲良しグループとかけがえのない日々を過ごす。しかし、ある事件をきっかけにメンバーはバラバラに。長い年月が経ち、すっかり連絡先もわからなくなっていたが、偶然リーダーと再会を果たす。そして末期がんに冒され死期が近いリーダーのために、かつてのメンバーを探し出すというストーリーだ。

 『サニー 永遠の仲間たち』を観たとき、「あの時代のソウルってこんなに激しかったんだ」と驚いた。それと同時に「どこの教室もこんな感じなんだね」と共感せずにはいられない微笑ましさもあった。頭の固い先生がいて、愛情を真っ直ぐに表現できない同級生がいて、教室はいつもガヤガヤとうるさい。1990年代の東京に舞台を移してトレースした本作『SUNNY 強い気持ち・強い愛』を観た若い世代も、もしかしたら同じように思うのかもしれない。奇抜なファッションに身を包んだエネルギッシュな当時の女子高生に「こんなに激しかったの?」という時代の違いと、そこに見える変わらない何かを。

 きっと、その変わらないものとは、誰もが味わう“青春の苦味”なのではないだろうか。大人たちとは異なる価値観に揺れ、ファッションや音楽を背伸びして取り入れ、幼い恋はたいていうまくいかず、笑うのも、泣くのも、全力だったあのころ……というのは、きっとどの世代にも当てはまる青春のプロットだ。

 もちろん、1990年代の女子高生が全員コギャルだったわけではないし、1980年代の韓国の女子高生がチームを組んでケンカに明け暮れていたわけではないと思う。きっと同じ世代を生きた人、それぞれの“女子高生像”があったはず。そういう意味で、この物語はどの国や地域でも、そしてどの時代においてもリメイクが可能なのかもしれない。昭和、大正、明治……を生きた女学生たちにも。他の国の若者たちにも。そして、この作品を観た全ての人にとっても。それぞれの“サニー”があったのではないか。

 だが一方で、 今年の夏に公開された本作の舞台が1990年代だったのは、必然だったようにも思う。1990年代の日本は、2018年と共鳴している部分が多い。1995年には阪神淡路大震災があり、地下鉄サリン事件が世間を震撼させた。同じように今年に入って度重なる災害が起き、あの事件に関与していたとみられる死刑囚の刑が立て続けに執行された。1990年代に漂っていた世紀末感は、2018年の“平成最後の夏”と近いものを感じる。

 何かが終わって、また新しい何かが始まる、という時代の変わり目。そこに漂う切なさと、不安と、小さな希望。1990年代、女子高生たちが憧れてやまなかった安室奈美恵は、今年引退を表明した。子供でも大人でもない19歳の安室が歌った「SWEET 19 BLUES」が切なく心に響くのも、あのころを懐かしむ気持ちに加えて、何かが変わろうとしている今の時代の匂いとリンクしているからではないだろうか。

 環境が大きく動こうとしているとき、大事になるのは“人生の主人公は自分”ということだ。「自分の人生の主役に戻れた」。イム・ナミ(ユ・ホジョン)、奈美(篠原涼子)が言うように、軸となるのは自分の物語を描く大切さ。私たちは大人になると、どこか求められている役割に、自分を当てはめてしまいがちだ。妻であること、嫁であること、母であること、会社員であること、経営者であること……女子高生というみんなが同じ立場だったころとは違い、大人になればそれぞれ担う役割も変わってくる。だからこそ、青春時代のような関係性を維持することは難しい。

 気づけば、バラバラの道を歩む仲間を見て、焦ったり、悩んだり。 今歩いている道が自分で選んだものであっても、どこかで“別の道があったのでは?”と迷うこともある。求められる役割を完璧にこなそうとするほど、自分らしさを忘れてしまう瞬間も。そんなとき、本来の自分を呼び戻してくれるのは、青春時代の自分自身だ。「いい未来を生きていますか?」 と問いかけられる劇中のビデオレターのように、この映画を観れば自分の人生の主役が誰なのかを思い出させてくれる。

 「1999年に地球は滅亡する」というノストラダムスの大予言は現実にはならなかったが、私たちはいつか必ず死を迎えるというのは逃れられない事実。ならば、それまでにどれだけ生ききるのか。1990年代のコギャルは、女子高生という華の時代を全力で謳歌した。だが、人生の旬は10代だけと誰が決めたのだろうか。大人になっても、友のためにひと肌脱いだり、抱き合って泣いたりしてもいいではないか。青春時代を過ぎても、今日という日が残りの人生でいちばん若い。人生の旬は、いつだって今この瞬間なのだ。主人公が未知の環境におどおどとしていたとき「行くよ」と肩を組んでくれるリーダーのように、この映画からこれからの人生を楽しむ心強さをもらったような気がする。(佐藤結衣)

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