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中川右介のきのうのエンタメ、あしたの古典

今年が没後30年の、カラヤンとホロヴィッツ

毎月連載

第13回

19/7/12(金)

ヘルベルト・フォン・カラヤン(1990年)/写真:AP/アフロ

 日本で昭和が終わった1989年は、国際的にはベルリンの壁崩壊に始まった東欧革命の年だった。その激動の歴史のなかで、カラヤン、ホロヴィッツという、20世紀のクラシック音楽界の象徴と言うべき巨匠が相次いで亡くなった。

 指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンは、4月にベルリン・フィルハーモニー芸術監督を辞任し、7月16日に亡くなった。ピアニストのウラディミール・ホロヴィッツは11月5日に亡くなり、その4日後にベルリンの壁が崩壊した。以後、ドミノ倒しのように東欧各国で社会主義政権が崩壊した。

 ホロヴィッツは、1903年にロシア帝国支配下のウクライナに生まれ、14歳でロシア革命を経験した。1926年にソ連から出て、パリを拠点として欧州各地とアメリカに演奏旅行をして、スター・ピアニストとなった。ユダヤ人だったので、ナチスが政権を取ると、アメリカへ逃れた。スランプに陥り、10年以上も表に出ない時期もあったが、1965年に復帰した。

 カラヤンは、1908年にオーストリアのザルツブルクに生まれ、ウィーンで学んだ。ドイツの地方の歌劇場の指揮者となり、ナチス政権が誕生してからはベルリンを拠点としていた。出世のためナチスにも入党し、そのため、戦後の一時期は演奏活動ができなかったが復権し、ベルリン・フィルハーモニー、ウィーン国立歌劇場、ザルツブルク音楽祭の芸術監督となり、「帝王」と称された。

 冷戦の象徴であるベルリンに君臨していたカラヤンの死がベルリンの壁崩壊を誘発し、革命前のウクライナに生まれ、ロシア革命後のソ連から亡命し、アメリカに移住したホロヴィッツの死が、米ソの冷戦終結を加速させた、というのは冗談ではあるが、そう言いたくなるくらいの偶然だ。

ウラジーミル・ホロビッツ(1986年6月21日)/写真:Natsuki Sakai/アフロ

カラヤンとホロヴィッツはいまなお売れ続ける名演奏家

 ホロヴィッツがその卓越した超絶技巧と大音量で大スターとなったのは、1920年代後半から30年代にかけて。当時のカラヤンは、まだ無名に近い。カラヤンが頭角を現したのは、ナチス政権になってからで、その頃にはホロヴィッツは、ドイツでは演奏しなくなっていた。

 20世紀の最初の20年間に、録音、電話、放送、映画といった新しいメディアが相次いで発明・実用化された。カラヤンもホロヴィッツも演奏家としては、若い時から録音した最初の世代だ。2人ともこの新技術のおかげでスターになったとも言える。

 かたやユダヤ人、かたや元ナチス党員だったので、2人はついに一度も共演することはなかった。もっとも、晩年には共演の話も持ち上がり、互いに乗り気だったが、健康面の理由もあり、実現しなかった。

 ホロヴィッツのテクニックは誰もが認めたが、「精神性が薄い」「サーカス的」だなどとの批判が、常にあった。同じように、カラヤンの音楽も、「表面的な美しさだけ」「精神性に乏しい」「商業主義」と批判された。

 2人ともレコードが売れ、高額なチケットでも完売していたが、そのことも批判された。売れて批判されるのは、クラシック独特かもしれない。

 クラシック音楽に限らず、ハイカルチャーの愛好家のなかには、「売れるもの」は「くだらないもの」とする傾向が強い。真に素晴らしいものは大衆には理解されないと、決めつけている。だから、「売れる演奏家」であるカラヤンやホロヴィッツを認めなかった。「売れる」としても、そんなのは一時的なブームのようなもので、真の名作・名演ではないので、当人が死んでしまえば、忘れられる――と言われていた。

 たしかに、ベストセラー作家のなかには、本人が亡くなって「新作」が出なくなると、書店の棚から消えてしまう人が多い。「あのひとはいま」という企画があるが、芸能人の多くが、人気のピークは数年である。なかには「一発屋」と呼ばれる人もいる。

 しかし、「売れる」ものは一過性に過ぎないという説が正しいのなら、カラヤンもホロヴィッツも、亡くなって30年も過ぎたいま、「忘れられ」「売れない」はずだが、事実は逆である。当時、精神性が深く高貴な演奏と評された人たちのほうが、亡くなると忘れられていった。

 カラヤンとホロヴィッツは、残された音源が没後もさまざまなリマスタリングが施され、再発売を繰り返しているし、ライヴ音源で当人が発売を認めていなかったものまでも次々と発掘され、遺族などの了解をとって、「新発売」されるなど、いまもなお、2人は最もCDが売れる演奏家であり続けている。このように亡くなった後も、トップクラスのセールスの実績を誇るのは、他に、フルトヴェングラーとグールドくらいだろう。

 クラシック音楽は、作品そのものは、100年前から250年前に作られたものが大半だ。カラヤンもホロヴィッツも作曲家ではないので、ベートーヴェンやショパンなど、昔の音楽を演奏する。これらの名曲の評価は確立しており、いまもなお名曲である。しかし、演奏はその時代によって流行がある。カラヤンもホロヴィッツも、晩年には、「ああいう演奏は、もう古い」と言われていた。

 ところが、亡くなると、「時代」を超越してしまうので、「時代遅れ」ではなくなる。だが、同時代・同世代の他の演奏家たちは、亡くなると、ほとんど忘れられてしまっているのに、この2人は、今年になっても、「没後30年記念」のCDやDVDが発売されるほどの人気を保っている。

 前述のように、この2人はレコードが産業化された初期からの演奏家で、レコードという媒体に非常に親和性があった。彼らはコンサートも人気があったが、それ以上にレコードで人気があった。そのレコードはもともと複製芸術なので、オリジナルである当人が亡くなっても、生命力は保たれている。

 舞台俳優の演技は、どんな名演であってもその場で消えてしまうが、映画俳優の演技は永遠である。カラヤンとホロヴィッツはステージでも名演奏家だったが、レコードでも名演奏家であった。

 そして、圧倒的なスター性、つまり大衆的人気というのは、簡単には消えない。むしろ、その時代の評論家やハイカルチャー信奉者が称える「精神性」なるもののほうが、寿命は短いようだ。

作品紹介

ウラディミール・ホロヴィッツ『ザ・グレイト・カムバック~ホロヴィッツ・アット・カーネギー・ホール1965』

発売日:2019年8月23日
ソニー・ミュージックレーベルズ

ヘルベルト・フォン・カラヤン『カラヤンの遺産 ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」(ベルリン・フィル創立100周年記念コンサート)』

発売日:2019年7月10日
ソニー・ミュージックレーベルズ

プロフィール

中川右介(なかがわ・ゆうすけ)

1960年東京生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、出版社アルファベータを創立。クラシック、映画、文学者の評伝を出版。現在は文筆業。映画、歌舞伎、ポップスに関する著書多数。近著に『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)など。

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