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葛西純自伝連載『狂猿』第12回 アパッチプロレス軍入団と佐々木貴・マンモス佐々木との死闘

リアルサウンド

20/6/25(木) 12:00

 葛西純は、プロレスラーのなかでも、ごく一部の選手しか足を踏み入れないデスマッチの世界で「カリスマ」と呼ばれている選手だ。20年以上のキャリアのなかで、さまざまな形式のデスマッチを行い、数々の伝説を打ち立ててきた。その激闘の歴史は、観客の脳裏と「マット界で最も傷だらけ」といわれる背中に刻まれている。クレイジーモンキー【狂猿】の異名を持つ男はなぜ、自らの体に傷を刻み込みながら、闘い続けるのか。そのすべてが葛西純本人の口から語られる、衝撃的自伝ストーリー。

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■アパッチプロレス軍に加入

 内蔵疾患で入院して、一時はもうダメかと思ったけど、順調に回復して復帰できることになった。約5カ月間も欠場してしまったから、試合をしたいというよりも、はやく働いてカネを稼がなきゃ、という気持ちが強かった。

 立場としてはフリーだったから、自分から動かないと何も始まらない。当時、デスマッチを頻繁に行っていたのは、古巣の大日本プロレスと、金村キンタローが中心となって旗揚げしたアパッチプロレス軍だったから、この2つのリングを主戦場にしようと考えていた。俺っちが休んでる間に機運を失ってしまった伊東竜二戦に向けてもイチから流れを作り出さなきゃいけない。

 この時の大日本プロレスのチャンピオンは佐々木貴。俺っちはベルトを持ってる伊東に挑戦したかったから、まずは伊東に大日本のトップに立ってもらわなきゃならない。それで伊東とタッグを組んで、まずは貴を倒してこいと、送り出すことにした。この時に限らず、葛西VS伊東という流れになると、なぜか佐々木貴が絡んでくるから、邪魔で仕方がなかった。貴とはアパッチで一緒になることも多かったけど、あいつはあいつで「たかし軍団」とかいうヒールユニットを組んでたから、俺っちとはあまり接点がなかった。

 そんな頃、アパッチの興行の後に打ち上げがあって、歌舞伎町の飲み屋に出場選手が集まってみんなで飲む機会があった。夜も深まって、みんな酔っ払ってきたあたりで、金村キンタローが「葛西、お前フリーでやっててもしゃーないやろ。うちの所属になれや」と言ってきた。反射的に「イヤです」と返した。俺っち的には、フリーで身も心も自由にやっていこうと思っていたから、このタイミングでどこかの団体に所属するということはまったく考えてなかった。でも、金村さんは「お前、所属っちゅうてもな、ウチは自由やぞ」としつこく誘ってきて、俺っちも「いや、フリーの方が自由だと思いますよ」みたいな不毛なやりとりを繰り返していた。

 さらに夜が更け、かなり泥酔してきたころに、金村さんが「よし! 今日から葛西は所属にする!」と言い出して、「じゃあ契約書を書くぞ」と、店にあった何かのチラシの裏に「契約書 死ぬまで奴隷」と書いて、差し出してきた。俺っちもベロベロだったので「わかりましたっ!」ってハンコを押した。すると金村さんが「これでお前は死ぬまで俺の奴隷や!」って得意げな顔で言ってきたから、俺っちはその契約書を奪い取って口にいれて飲み込んだ。

 そういうくだらないやりとりがあったことは事実なんだけど、その翌日から俺っちはアパッチプロレス軍の所属選手になっていた。当時のアパッチには、金村キンタロー、黒田哲広さん、BADBOY非道さん、ジ・ウインガーあたりがトップで、それに佐々木貴、GENTAROがいて、マンモス佐々木がそのあとくらいに入ってきた。あと、新宿鮫さんもいた。金村さんの言った通り、所属選手たちは自由で、みんな好き勝手やっていたから、それなりに居心地は良かった。

■“尊敬している”本間朋晃とのタッグ

 この年の夏くらいに、CZWの頃から日本に来ていたマッドマン・ポンドが「俺の団体でデスマッチトーナメントをやるからアメリカに来てくれ」って誘ってきた。俺っちは「行く」と二つ返事で引き受けることにした。それがIWAイーストコーストという団体が主催した「マスターズ・オブ・ペイン」という大会で、この時が記念すべき第一回。デスマッチだけのワンデイトーナメントをやるという。俺っちにとっては久しぶりのアメリカ遠征で、知り合いの英語のできる男の子と一緒にウエスト・バージニア州のサウス・チャールストンという街まで行った。

 大会前日にちょっとリングでもチェックしておこうと、会場まで行ってみた。リングはまだ出来てなかったけど、若いレスラーやスタッフが一生懸命デスマッチアイテムを作ってたりして、独特の熱気があった。その会場の裏口あたりに人が集まってワイワイやってるから、何やってんだろうって覗きに行ったら、みんなでマリファナ吸ってたりして、これはヤバいところにきちゃったかも、と少し思った。

 しかし、この大会は意外にもグレードが高くて、当時のアメリカのインディー界隈で活躍していた名だたるデスマッチファイターが参戦していた。俺っちの初戦はミスター・インサニティことトビー・クラインとの「ノーロープ有刺鉄線 レッドロブスターデスマッチ」。リングに散らばったロブスターの上にジャーマンを決めて勝ちあがった。

 2回戦は主催者のマッドマン・ポンドとの蛍光灯デスマッチ。これにも勝って、決勝の相手はJCベイリーだった。有刺鉄線と釘板ボードが設置されたリングで、かなりハードな試合になったけど、なんとか勝利をもぎとって、優勝を果たした。JCベイリーはイカれた奴で、見どころのある選手だったけど、この試合の4年後に27歳の若さで亡くなってしまった。

 それもあって、マスターズ・オブ・ペインは俺っちにとって思い出深い遠征になった。マッドマン・ポンドは、愛すべきバカというか、子供みたいなところあるので、俺っちとは気が合った。最近は何やってるかわからないけど、いつかまた狂いあいたいね。

 優勝を引っさげて帰国してからも、俺っちはデスマッチで暴れまくった。この頃のアパッチのリングは混沌としていて、新日本プロレスから真壁刀義が参戦していたり、リキプロの「LOCK UP」と対抗戦をやったりしていた。

 そんなころ、マホンこと本間朋晃がアパッチにやってきた。マホンは大日本プロレスをランナウェイしてからいろんな団体を転々として、全日本プロレスに所属。それも辞めてアパッチに流れ着いた。

 あの人もバカというか、いろんな場面で「バカだな」とは思うことはいっぱいあるんだけど、プロレスラーとしてリスペクトしてる部分の方が若干上回ってる。俺っちにとっては大事な先輩だ。マホンは、久々にデスマッチに参入したんだけど、本人としてはやりたくなかったみたいだった。すでに少し潰れかけてた声で「俺は大日本にいた時は無駄にデスマッチアイテムに突っ込んでたけど、いまはもう逃げまくるよ!」と豪語していて、デスマッチに対する熱意はもう無かった。でも俺っちは大日本にいた頃から、マホンとはいつかは組みたいと思ってたから、まさかこのタイミングで一緒になると思ってなかったし、タッグを組んでWEWのベルトを取れたことは素直に嬉しかった。

 年末が近づいてきた頃、アパッチにフロントとして関わっていた伊藤豪さんから「葛西くんも人気出てきたから、そろそろプロデュース興行でもやっちゃおうよ!」と突然声をかけられた。俺っちも「いいっすね」みたいな軽い感じで答えてたら、12月25日に新木場ファーストリングで「葛西純プロデュース興行 STILL CRAZY」が行われることになった。いまだから言うけど、この時の「葛西純プロデュース」は名ばかりで、実際にはほとんど内容にタッチしていない。

 ただ、この頃のアパッチは金村さん、黒田さんがツートップで、ハードコアマッチ程度の試合が多かったから、もっと激しいデスマッチに特化した別ブランドを立ち上げたいという構想はあった。名ばかりとはいえ、俺っちにとって初めてのプロデュース興行は8人参加のデスマッチトーナメントとなった。俺っちは1回戦でマッドマン・ポンド、2回戦ではBENTENと化したGENTAROとの画鋲デスマッチに勝って決勝進出。相手は本間朋晃、佐々木貴を下して勝ち上がってきたジ・ウインガーだった。

 ウインガーさんは、いつも飄々としてて、最初にこのトーナメントにエントリーが決まったときも「デスマッチなんかやりたくないよ」なんて言ってたんだけど、いざ参加したら、すごい粘りをみせて決勝まで登りつめてきた。これだから、この人の言うことはいつも信じられない。

 決勝の試合形式は「有刺鉄線スパイダーネット ガラスクラッシュ+αデスマッチ」。ガラスデスマッチは、大日本で本間とザンディグがやってたのを覚えてるけど、久しくやってなかったから、ここに投入してみた。試合は凄惨になるし、派手だし、お客さんも熱狂する。これ以降、葛西純プロデュース興行といえば、ガラスデスマッチが定番になった。
 試合はお互いにガラスに突っ込みながら一進一退。俺っちはウインガーをテーブルに寝かせて、会場の看板の上によじ登り、ダイブを敢行した。しかし、最後はウインガーのダイビング・セントーンを食らってしまい、3カウントを聞いた。あれだけ「やりたくない」って言っていたウインガーに優勝をさらわれてしまった。結果は優勝できなかったけど、このプロデュース興行はお客さんもパンパンに入って評判も良くて、引き続きやっていくことになった。

■初めて成功したバルコニーダイブ

 さっそく、翌2007年3月にプロデュース興行第2弾「anarchy in the crazy monkey」を開催した。俺っちは対戦相手に沼澤邪鬼を指名して「ガラスクラッシュ+αデスマッチ』に挑んだ。俺っちもヌマも望んでいた、ドロドロした人間臭いデスマッチを体現した試合になった。

 ただ、改めてガラスデスマッチのダメージが大きさを感じた。蛍光灯はスパッと切れるんだけど、ガラスは皮膚ごと削りとられる。だから、痛いし、出血もすごいし、傷の治りも遅い。ガラス系は、当たって割れる時も痛いけど、破片が散らばったリングで受け身を取る方がダメージが大きくて、試合が終盤になればなるほどキツくなっていく。だからこそ、ガラスはここぞという時しかやりたくないアイテム。それと、そんなに数を打ちたくないのはコスト的な問題もある。あのガラス板は1枚2万円くらいするから、何枚も使うとカネがかかって仕方ない。

 この頃には、プロデュース興行ではカネの管理までするようになっていた。良い大会にするためには、それなりの予算を注ぎ込まなきゃいけない。夏にやった第3弾はスケールアップして、新木場で3日連続の3連戦。このあとに続く、真夏のデスマッチカーニバルの雛形となった興行だ。

 ただ、この時は金村キンタローがケガで欠場。新世代デスマッチファイターとして注目株だった宮本裕向も欠場になった。出場選手が限られているなかで、俺っちの前に立ちはだかったのが佐々木貴だった。  貴とは対立はしていたけど、アパッチの中で俺たち世代がトップを取るという目的は一緒だったから、それを内外に見せつけるという意味合いもあった。

 初日は俺っちと貴のシングルで試合形式は「素足画鋲1万個デスマッチ」。素足画鋲は何度かやったことがあるんだけど、まともに歩けなくて、試合にならない。この日は、俺っちも貴も気合いが入っていて、しっかりとした攻防のある試合をしたんだけど、結果は負けてしまった。

2日目は、俺っちは沼澤邪鬼と組んで、貴&伊東竜二とタッグ戦。蛍光灯や有刺鉄線ボードが設置されたリングで荒々しい展開になったけど、最後は俺っちが貴にリバース・タイガードライバーを決めて前日の雪辱を晴らした。

 最終戦は、再び俺っちと佐々木貴のシングルで「ガラスクラッシュ+αデスマッチ」。連戦のダメージがキツかったけど、パールハーバー・スプラッシュで貴から勝利をもぎとった。この日の最後のアピールで、アパッチでWEWヘビー級のベルトを持っていたマンモス佐々木に、俺っちが挑戦することになった。

 決戦の舞台は10月22日、後楽園ホール。これも葛西純プロデュース興行だった。

 マンモスは、試合前からナーバスになってい

た。というのも、この日から6年前の2001年の10月22日、同じ後楽園ホールでハヤブサさんが頚椎を骨折する大怪我を負っていた。その時の対戦相手がマンモスだった。奇妙な符号に、マンモスは何かが起こってしまうかもと心配していたようだった。

 試合形式は「4コーナーガラスクラッシュデスマッチ」。ガラス4枚のダメージは凄まじかったけど、俺っちはこの試合では初めてバルコニーダイブを成功させた。正確にいうと、後楽園ホールのバルコニーから飛んだのは初めてではない。1番最初に飛んだというか、落ちたのは、ゼロワン時代にやったホミサイドとシングルマッチだった。ホミサイドをテーブルに寝かせて、階段から2階に駆け上がって、バルコニーにたどり着いて、いざ跳ぼうと思って下を見たらホミサイドがいない。「え?」と思ってたら、ホミサイドはテーブルから脱出して俺っちのことを後ろから追いかけてきていて、そのまま襲われて下に突き落とされた。

 だからダイブ未遂というか、独りでバルコニーから叩き落とされたことはあった。このマンモス戦では、しっかりダイブを決めることが出来たんだけど、マンモスは異様なタフネスぶりを発揮、すぐに起き上がってきて俺っちの首根っこを掴んでチョークスラムで叩きつけられた。

 試合終盤は割れたガラスが散乱するリングで血を流しあい、死力を尽くしたけど、最後は29歳(得意技)をくらって3カウントを取られてしまった。プロデュース興行だと、なぜか勝てないというジンクスはこの頃から始まっていたのかもしれない。

 ちなみに、現在は後楽園ホールも、新木場も、バルコニーダイブは禁止となってしまった。あの怖さと興奮は、もう味わえない。俺っちは、こうみえても高い所は苦手だったりする。バルコニーでいえば、新木場のほうが足場が狭いから、登って、飛ぶ地点まで行くだけでもけっこう怖い。

 後楽園と新木場、どっちのバルコニーダイブが怖いかなんて比較できる人間も少ないと思うけど、俺っち的には新木場のほうが怖かったし、難易度が高いんじゃないかな。

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