中川右介のきのうのエンタメ、あしたの古典
「本日は代役が相勤めます」ーハプニングが新たなドラマを生む
毎月連載
第16回
19/10/12(土)

(C)Brinkhoff/Mogenburg (C)BroadwayHD
歌舞伎座の2つの代役
9月の歌舞伎座は、毎年、初代中村吉右衛門を顕彰する「秀山祭」で、当代の吉右衛門が主宰する。
今年は、その初代中村吉右衛門の父である三代目中村歌六の100回忌追善公演でもあり、吉右衛門はかなり力を入れ、昼の部では『沼津』の十兵衛、夜の部では『寺子屋』の松王丸という大役2つを演じていた。
ところが、中日を過ぎた16日に体調不良で出演不可能となり、18日までの3日間、十兵衛は松本幸四郎、松王丸は尾上松緑が代役となった。幸いにも大事には至らず、19日から千秋楽までは吉右衛門がつとめた。
私はたまたま17日のチケットを買っていたので、この代役の公演で観ることになった。
歌舞伎公演は、たとえ主役が倒れても、一日も休まずに代役を立てて公演する。歌舞伎役者は古典の場合はその役は演じたことがなくても、「知っている」のが当たり前とされ、代役に指名されれば、ぶっつけ本番で舞台に立つ。
今回も、松緑は松王丸の経験があったが、幸四郎は『沼津』には出るのも初めてだったはずだが、見事につとめていた。
一方、7月の歌舞伎座では海老蔵が、古典の『義経千本桜』を原作にした新作を上演し、13役早替わりの趣向で奮闘していたのだが、何日か過ぎたところで「声が出なくなる」というアクシデントで、4日間、休演となった。新作で13役早替わりだったので、他にできる役者がいないので、公演そのものを休むという、歌舞伎座始まって以来の事件となった。
海老蔵の健康管理が問われたのはもちろんだが、代役を準備していなかったことにも批判の声があった。
客としても、いろいろだ。海老蔵が出るからとチケットを買った人にとっては、代役で上演されるよりも、中止にしてチケット代は払い戻しのほうがありがたい。一方、海老蔵だけが出るわけではなく、他の役者のファンで、わざわざ地方から泊りがけで来た人とすれば、代役でいいから上演してほしかっただろう。チケット代は払い戻されても、旅費・宿泊費は戻ってこない。
吉右衛門の休演も、劇場について初めて張り紙で知ったお客さんも多く、「えー、吉右衛門出ないのか」と残念がる声があった。
演劇というものが、生身の役者の健康状態によって左右されるものであることを、改めて思い知らされた。そのリスクもまた楽しみだと思うしかない。
代役でスターになったバーンスタイン
クラシック音楽では、かつてこういう事件があった。
指揮者レナード・バーンスタインの最晩年、結果的に最後の来日公演となった時のことだ。夏に来日したがその秋に亡くなるので、体調がよくないのは事実だった。医師は日本公演は中止するよう助言していたらしい。
それでも、バーンスタインは来日したが、いよいよ具合が悪くなり、その日はプログラムにある全曲は指揮できず、同行していた日本人の若手指揮者が一曲、代役として振った。
チケット代が高額だったのも背景にあるが、この突然の代役に観客が怒り、ロビーで興行会社の社員が吊し上げになる騒ぎとなったのだ。バーンスタインとしては、日本人の若い指揮者にチャンスを与えれば、日本人も喜ぶと思ったのだろうが、裏目に出た。
そもそも、バーンスタインは代役で成功して大スターになった人だった。
無名だった若き日、バーンスタインはニューヨーク・フィルハーモニックのアシスタント指揮者だったが、本番で指揮する機会はなかった。
ある日、大指揮者ブルーノ・ワルターが指揮する予定だったが、当日になって体調不良で出演不可能となった。バーンスタインは、リハーサルなしでの代役をつとめ、見事に成功した。
その日のコンサートは大指揮者ワルターの公演だったので、全米にラジオで中継される予定で、代役になっても放送された。そのおかげで、一夜にしてバーンスタインはスターになったのだ。
こうやって、代役でチャンスをものにして飛躍した人は、けっこういるはずだ。もちろん、代役は見事にこなしたが、主役を演じたのはその時だけという人もいる。
代役物語はハリウッドの伝統
10月に公開される、松竹ブロードウェイシネマ『42ndストリート』も、スターの代役の物語だ。
あるカンパニーが、ブロードウェイで上演予定のミュージカルのリハーサルをしている。ところが主演のベテラン女優が足を怪我して出演できなくなり、無名の、コーラスラインのひとりの若い女優が代役に指名されて……という物語だ。
ヒロインは、陰謀を企んで主役を掴むのではない。善意の娘で、周囲もみな親切に、彼女をもり立てる。
もともとは、ブロードウェイを舞台にしたハリウッドのミュージカル映画(邦題『四十二番街』)で、1933年に製作された。
それが、1980年にブロードウェイで舞台のミュージカルとなった。そのプロダクションが2017年から19年にかけて再演され、その舞台上演を高性能カメラで撮影して、映画としたもので、映画と舞台の関係が二転三転した経緯が、面白い。
代役の物語には、こういうバリエーションもある。
1950年のハリウッド映画『イヴの総て』は、大女優の付き人になった女性が、その女優が公演に出られないように仕組み、代役として出て、一躍スターになる話だ。
角川映画の『Wの悲劇』も、若い女優が代役を得て、チャンスを掴むという物語だった。これはアーウィン・ショーの短編に似た話があると盗作疑惑も持ち上がったが、ようするに、アメリカのショービジネスではよくある話なのだ。実際にそういう陰謀があるかどうかはともかく、いかにもありそうだと、作家たちの創作意欲を掻き立てる題材だ。
このプロットを借りて、竹宮惠子も『スター!』というマンガを描いている。こちらは、竹宮惠子だから、女同士ではなく、男同士の物語だ。男性青年スターがいて、おしかけてその付き人となった青年が、やがて……という話で、『イヴの総て』が下敷きとなっている。
誰か、歌舞伎を舞台にした、『イヴの総て』を書かないだろうか。
作品紹介
『秀山祭九月大歌舞伎』
日程:2019年9月1日~25日
開場:歌舞伎座
出演:松本幸四郎/中村梅玉/中村吉右衛門/他
《松竹ブロードウェイシネマ/『42ndストリート』》(2018年・英)
2019年10月18日より東劇先行限定公開、25日より全国順次限定ロードショー
配給:松竹
演出:マーク・ブランブル
出演:クレア・ハルス/ボニー・ラングフォード/トム・リスター/他
プロフィール
中川右介(なかがわ・ゆうすけ)
1960年東京生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、出版社アルファベータを創立。クラシック、映画、文学者の評伝を出版。現在は文筆業。映画、歌舞伎、ポップスに関する著書多数。近著に『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)、『玉三郎 勘三郎 海老蔵 平成歌舞伎三十年史』(文藝春秋)など。
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