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三枝成彰 知って聴くのと知らないで聴くのとでは、大違い!

オペラ『Jr.バタフライ』その2

毎月連載

第26回

20/8/8(土)

写真提供:メイ・コーポレーション

プッチーニの名作オペラ『蝶々夫人』には、アメリカ海軍士官のピンカートンと、ヒロインである長崎の芸者・蝶々さんのあいだに生まれた幼い息子が出てきます。

ピンカートンと蝶々さん(年齢設定はQuindici=15歳)はつかの間の愛をはぐくみ、子どもまで持つものの、やがて彼の突然の帰国により幸せは消え失せます。ピンカートンにはアメリカに妻がいたのです。

子どもをピンカートンに預ける約束をしたものの、人生に希望を失った蝶々さんは、亡き父の遺品である刀を手に、武士の娘の誇りを守ることだけを頼りに、みずから命を断つ……。

そこまでは、オペラ・ファンならよくご存じでしょう。

しかし、その幼子がそれからどうなったかは、オペラには書かれていません。

ピンカートンの非情さと無責任さへの怒り、そして蝶々さんの潔さと無念さがないまぜとなるなかで、もっとも胸に迫ってくるのは哀しみです。

それだけに、息子のその後については、忘れられがちだったといえるでしょう。おおげさに言うならば、オペラの歴史に秘められた謎のひとつでした。私と作家の島田雅彦さんは、そこに注目したのです。

また、プッチーニの『蝶々夫人』について、私は、その末尾が何とも不思議な終わりかたをしているのがずっと気になっていました。

音楽用語で「終止音」と言いますが、そこまでプッチーニはh moll(ハー・モール、シの音が主音になる短調)で書いているので、作曲技法の常識にしたがうなら、最後はH・D・Fisが主和音となって終わるべきなのです。

でも『蝶々夫人』は「Ⅵ度の和音」、つまりHから始まるH・Cis・D・E・Fis・Gの6番目のGの音を根音とした、G・H・Dの第一展開形の一番下の音がHで終わるように書いています。

専門的な言葉の羅列になってしまいましたが、読者の皆さんにはぜひ実際にDVDなどで『蝶々夫人』をご覧いただき、幕切れのいちばん最後の音に注意して聴いてみていただきたいと思います。

要はとても不思議な、中途半端な音になっているのです。

プッチーニほどのオペラを書くことに意識的で、テクニックを持った作曲家はいません。

『蝶々夫人』にも相当な力を入れて臨んだはずですから、これは単なるミスであるはずがありません。

『Jr.バタフライ』を書き出すにあたって、あらためて『蝶々夫人』を子細に聴いていったとき、これを私は、プッチーニ一流の“たくらみ”ではないかと思いました。

つまり、あたかもこの続きがあるかのように予感させる音に聞こえるのです。

プッチーニには、まだここで終わらない物語の構想があったのではないか?

それは「この物語はこれで終わりではない」という気持ちのあらわれであり、「どうかこの続きがあってほしい」という願いだったのではないだろうか?

それを示す史料や証言があるかどうかはわかりません。でも、私にはそう思えたのです。

そこで私は『Jr.バタフライ』の幕開けに、この『蝶々夫人』の終幕の音を鳴らすことにしました。私なりの、プッチーニへの敬意の証しであるとともに、彼が思い描いていたかもしれない“新たな物語”のプロローグにふさわしいと思いました。

また、戦争や原爆といったテーマを扱っていることから、演出はグローバルな視点を持つ人にお願いしたいと考え、名指揮者クラウディオ・アバドさんのご子息で、オペラ演出家として活躍中のダニエレ・アバドさんに依頼しました。

アバドさんからいくつかいただいた意見のうち重要だったのは、「この物語を歴史として語るナレーターがほしい」との頼みでした。その意見を容れて新たに生まれたのが、時空を超越した語り部である「詩人」という役でした。

写真:山本倫子

ピンカートンと蝶々さんの息子である「JB」は、日本とアメリカの血をひく混血児でしたが、ピンカートン夫妻に引き取られ、アメリカ人として育ちました。

オペラにはそこまで描きませんでしたが、相当な差別も受けたに違いありません。JB(佐野成宏さん)が自分を語るセリフには「この顔を見ろ。ジャップでもなくヤンキーでもない。あいだに生まれたこうもりだ。私はこうもりの自由を生きる」という自虐がにじみます。

私と島田さんは、JBを外交官にして、アメリカの戦時情報局に勤め、神戸に赴任しているという設定にしました。ときはあたかも日米開戦前夜、世界がきな臭くなっているときです。上司から「この国はアメリカと戦争するつもりか?」と聞かれたJBは、「日本を追い込んでいるのはアメリカだ」と反論します。

このオペラの初演は2004年の4月でした。

3日間の公演のうち、初日を終えた次の日に、ちょうどイラクで日本人の青年男女がテロ組織に誘拐されるという事件が起こり、日本中が騒然としました。

その翌日に2回目の公演があったのですが、3月末に現地駐留の兵士を殺されたことによる米軍の報復攻撃があった直後のことでした。

偶然とはいえ、あまりに時流と重なるところが多い内容に、一幕が終わったときに拍手が起こらず、客席がしんとしていたのを覚えています。

二幕ではJBと恋人の日本人女性ナオミの結婚が描かれますが、幸せもつかの間、日本軍による真珠湾攻撃の知らせが飛び込んできます。

三幕では、捕虜として収容所にいるJBとナオミ(佐藤しのぶさん)、そして二人のあいだに生まれた息子との別れの場面があり、ナオミはJBの生まれ故郷である長崎で待つことを約束して旅立ちます。

しかしそこに、原爆が落とされるのです。

それから二カ月が経過し、日本が降伏し、焼け野原となった長崎を、自由の身となったJBが訪れ、瀕死のナオミに再会します。

JBはナオミに永遠の愛を誓いますが、やがて彼女は息絶えます。

ここで私はJBに、ナオミのもとに駆け寄って、抱きしめてほしいと願いました。

おそらく多くの方は、その考えにうなずいていただけるものと思います。愛する人との永遠の別れに抱き合わないなんて、考えられるでしょうか?

ところがアバド氏の考えは違いました。「ここまでのストーリーでじゅうぶん、悲しさは伝わっている。いまさら抱き合わせる必要はない」というのです。

情を重んじる私たち日本人スタッフと、理詰めで考える西洋人スタッフとの意見の違いが、もっとも顕著にあらわれた場面でした。

さんざんに意見を戦わせましたが、結局、私は演出家であるアバド氏の考えを尊重することしました。

初演の舞台では、焼け跡の瓦礫のなかに横たわるナオミと距離を置いたところで、JBが崩れるように悲しみに暮れるさまを描いて、幕が下ります。

もっとも、翌年にこの作品を神戸で再演することになった際には、どうしてもラストで二人を抱き合わせたいばかりに、ニューヨーク滞在中のアバド氏を訪ねました。

彼を説得するためだけに行ったので、現地にわずか1泊でとんぼ帰りという強行軍でしたが、「わざわざ来てくれたのだから、かまわないよ」と彼は言ってくれました。そのおかげで神戸での再演では無事に(?)、JBとナオミの抱擁が実現できたのです。

写真:山本倫子

お客さんの反応はさまざまでしたが、それでもあの時期にあの内容のオペラを上演できたことは、いまでも大きな意味があったと思っています。ご支援下さった皆様には、ほんとうに感謝申し上げます。

その内容ゆえか、私のオペラのなかではもっとも外国で再演された回数の多い作品ともなりました。イタリアのプッチーニ音楽祭で、外国人の作品として初めて上演されたほか、のちには全編をイタリア語に直し、イタリア人キャストで再演もしましたし、ハンガリーでも再演されました。

オペラの本場であるヨーロッパ人の心にも響く作品が書けたことは、私のささやかな誇りです。

『忠臣蔵』のお話のときにも書きましたが、『Jr.バタフライ』にならい、世界のオペラ劇場で再演される機会が増えたらと、他のオペラもイタリア語に直すことを進めています。何といってもオペラの共通言語はイタリア語ですから。

プロフィール

三枝成彰(さえぐさしげあき)

1942年生まれ。東京音楽大学客員教授。東京芸術大学大学院修了。代表作にオペラ「忠臣蔵」「Jr.バタフライ」。2007年、紫綬褒章受章。2008年、日本人初となるプッチーニ国際賞を受賞。2010年、オペラ「忠臣蔵」外伝、男声合唱と管弦楽のための「最後の手紙」を初演。2011年、渡辺晋賞を受賞。2013年、新作オペラ「KAMIKAZE –神風-」を初演。2014年8月、オペラ「Jr.バタフライ」イタリア語版をイタリアのプッチーニ音楽祭にて世界初演。2016年1月、同作品を日本初演。2017年10月、林真理子台本、秋元康演出、千住博美術による新作オペラ「狂おしき真夏の一日」を世界初演した。同年11月、旭日小綬章受章。

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