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佐々木俊尚 テクノロジー時代のエンタテインメント

刑事告発されたYouTube動画の事例から考える、ネット時代に大切なnot for meという概念

毎月連載

第33回

生きているハムスターやウサギを、ペットのヘビなどに食べさせる動画をYouTubeに投稿していた人が、動物愛護団体から刑事告発されるできごとがあった。現在はこれら数十本の動画は削除されているが、わたしは番組『ABEMA Prime(アベマプライム)』でこの問題を取り上げた際に、動画をいくつか見る機会があった。

これらの動画を見て感じたのは、次のようなことだ。まず第一に、肉食動物の飼育や狩猟などの世界に慣れない人が見れば、かなり残酷に感じるであろうということ。生き餌でなければ食べない肉食動物もいるが、実際に目の前で生きた動物が食べられるのを見るのは、けっこうきつい。

第二に、とはいえ、そういう肉食動物を飼うことに喜びを感じ、爬虫類などそれらの動物を愛している人たちもいる。彼らにとっては、どのように生き餌をペットに与えるのかというのは必要な実用知識である。生き餌を食べる際にペットが噛まれないよう、生き餌の歯をニッパーで切る様子も出てきたりして、きわめて残酷に感じる人もいるだろうが、これも必要な知識の範囲ではないだろうか。餌を安楽死させるため、脊髄を切断したり、二酸化炭素で窒息死させる様子が出てくるのもそうだ。

第三に、しかしそうした点を考慮しても、投稿されていた動画は、生き餌が襲われる様子を繰り返しリプライしたりスローモーションで見せたり、「ファイト」「VS」などの煽りテロップを使ったりしている。これらは残虐さをエンタテインメントとして扱っており、行き過ぎではないかと感じた。この点において、わたしは動画は配信するには不適切だと考えた。

この動画に寄せられた3つの批判意見

さて、では実際にこの動画に対してどのような批判が出ているのだろうか。

まず第一に、動物愛護法40条の「動物を殺さなければならない場合には、できる限りその動物に苦痛を与えない」に違反しているという批判。この判断は検察の判断や刑事裁判で裁かれるべきことで、刑事告発されているのでいずれその結果は明らかになるだろう。

第二に、単に「食べられる動物がかわいそう」という批判。これは狩猟や解体のブログ記事や映像、写真が猟師さんなどからネットに投稿されるたびに起きる批判で、つねに議論になっている。狩猟の側は、われわれ人間は肉も食べる雑食動物であり、みずからの手で殺めた動物をみずから解体するという行為は、“生”の現実により近づく行為であり、それを非難される理由はないと考える。みずからの見えないところで屠殺された家畜をスーパーで買って気軽に食べるほうが、よほど冒涜的ではないかという反論である。

この批判をさらに突き詰めると、そもそも動物の肉を食べるという行為自体が冒涜であり、ベジタリアンになるべきという過激なイデオロギーへと行き着き、議論はもはや成立しなくなる。

そもそも「かわいそう」論はしょせんはお気持ちであり、冷静な議論にはなりにくい。実際、『アベマプライム』に出演された動物愛護団体の人は「生き餌だから良いだろうというような話を突き詰めていけば、人を生きたままワニに食べさせてもOKということになってしまう」と驚くような極論を展開され、わたしは正直ちょっと引いた。

第三は、ゾーニングの観点からの批判である。先ほどの動物愛護団体の人は「お母さんにとっては小さな子どもがこういう動画を目にしてしまうのはショックだと思うし、与える影響も少なくないと思う。児童ポルノの問題と同様、子どもの目に触れやすいところに危険な動画をアップすることについては議論を深めた方がいいと思う」と話されていた。

たしかに子供の目に触れないほうがいいコンテンツというのは、存在するだろう。しかしそれをネットで配信されているコンテンツ全般に当てはめてしまうのは、わたしは行き過ぎだと考える。YouTubeにはYouTube Kidsという子供向けのアプリも用意されており、子どもに見られることが心配なら、そのようなアプリを使わせるという判断も検討すべきである。

ネットの普及で深刻になるゾーニングの問題

インターネット以前の社会では、ゾーニングの問題はさほど深刻には考えられていなかった。出版業界にはアンダーグラウンドな書籍や雑誌があり、ポルノ雑誌も隆盛をきわめていた。しかしそれらは専門書店だったり、大きな書店の片隅の薄暗い場所にまとめてコーナーを作られていたりして、「子どもが足を踏み入れたら怒られる場所」でもあったのだ。

しかしネットが普及して、キーワードで検索すればわずか数秒で誰でもそのようなアングラコンテンツに触れられるようになった。それはたしかに問題を引き起こすが、かといってすぐに規制してしまえばすむ問題でもない。ひとつには「何を規制し何を規制すべきではないか」という線引きがあいまいなまま、弾力的に規制を引き入れてしまうことは表現の自由に抵触する可能性がある。

ふたつめとして、そういうアングラなコンテンツが裾野として存在したことで、文化というものは発展していくのだという視点も忘れてはならない。上澄みだけの清潔なコンテンツだけにしてしまった先には、豊かな文化は生まれない。きれいな広場と同時に薄暗い路地裏もあるからこそ、街の魅力はさらに輝くのである。

ネットではきれいな広場も薄暗い路地裏も、すぐにリーチできるようになった。これは良い点でもあり、同時に副作用もある。それを認識しつつ、子どもの使用にはキッズアプリやフィルターなどを活用しつつ、「ここは自分にとって必要な場所ではない」「これは私のためのものではない」、つまりnot for meという概念をもっと社会に導入していくことが大事だと私は考えている。薄暗い路地裏の存在には、ある程度目をつむって看過することも、ネットの時代には大切な姿勢なのだ。

プロフィール

佐々木俊尚(ささき・としなお)

1961年生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学政治経済学部政治学科中退後、1988年毎日新聞社入社。その後、月刊アスキー編集部を経て、フリージャーナリストとして活躍。ITから政治・経済・社会・文化・食まで、幅広いジャンルで執筆活動を続けている。近著は『時間とテクノロジー』(光文社)。

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