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『酔う化け』の真摯な姿勢が誘う共感と感動 “やめられない”現実を人はどう乗り越える?

リアルサウンド

20/3/6(金) 12:00

 『酔うと化け物になる父がつらい』は、漫画家・菊池真理子の実体験を基にしたコミックエッセイを映画化したものである。

 お笑い芸人としても脚本家としても活躍しているザ・プラン9の久馬歩が脚本を担当し、ドラマ『きのう何食べた?』(テレビ東京系)の演出や、自身の企画である『ルームロンダリング』で初めて長編映画のメガホンを取った片桐健滋が脚本・監督を務めている。

 物語は、田所家で父のトシフミ(渋川清彦)、母のサエコ(ともさかりえ)、妹のフミ(今泉佑唯)と4人で暮らしている長女サキ(松本穂香)の目線で描かれる。彼女の暮らしがよそと違っていたのは、父がアルコールに溺れていることだった。サキは父が酔った日にはカレンダーで×をつけることでささやかな抵抗をしていたが、その×は次第に多くなっていく。

 トシフミは酔って家に帰ると玄関でものを散乱させながら倒れこんで寝ていたり、居間のテーブルに付きながらも、うたた寝をするような父親なのだが、前半ではそれを妻と子どもたちが、責めるでもなく、“珍しい生き物”のように面白がっているようなところもあった。渋川清彦は、そんなダメな父親をとことんダメに、だけども見捨てられない愛嬌をにじませて演じている。

 原作コミックでは、比較的最初から父親が「化け物」だと思われるエピソードが次々と出てくるが、映画の前半ではそこまで「化け物」と思えるエピソードが描かれない。そんな淡々とした状況が、母のサエコが自身の誕生日を機に家族の前から姿を消したことを境に一変する。のほほんとした日常の中にも、やはりこの父親が「化け物」であったのだとわかるエピソードが、だんだんと描かれていくのだ。

 私は、こうした実話を元にした話で、そこに当事者――それはアルコール中毒の父親を持つ家族と、アルコール中毒患者である父親本人が出てくるという意味で、二重の当事者性がある――が出てくるこのような映画は、慎重に見ないといけないし、いわゆる「感動ポルノ」のようになってもいけないと思っている。だからこそ、この映画に描かれているメッセージはどのようなものなのかと、最後まで必死で追ってしまった。

 結果としては、非常に複雑ではあるが、本作が描いているものは真摯なものであり、同じ状況を経験したことのない人にも通じうる物語であると感じた。自分と家族の関係を振り返り、思わず涙を流してしまう人もいるのではないか。その真摯さ、そして複雑さについて書いてみたい。

 例えば、肉親が「化け物」に見えるほどに毎晩、酔ってしまうことに対して、逃げたり放っておくこともできるが、それがなぜだかわからないけれどできないことは現実にはあるだろう。またそのつらさをまぎらわそうとしてつきあった男が、とんでもないDV男であるということも、現実にも起きうるのだろう。サキがつきあうことになったのも、束縛が激しく暴力をふるうような男で、それは酒を飲んでいる時のサキの父親と重なる部分がある。サキ自身も自覚しているように、半ば父のような存在と恋愛することで寂しさを埋めているつもりだったのだ。サキの心の中の葛藤と、気持ちのやり場のなさはギリギリで、まさに八方ふさがりの状況に次第に陥ってしまう。

 こうした状況は、完全なフィクションであれば、「やめたらいいのに」と簡単に言えるし、すっぱりやめる状況を描けると思うが、これが実話をもとにしたものであるからこそ難しいし、主人公のサキも説明のつかないやり方でその溝を埋めようとしてしまう。その様は、見ていて心が痛むものであり、誰にでもそんな状況が起こり得るからこそサキを見守るような気持ちで見てしまう。

 この映画の中で濃く描かれていたのは、やはり主人公のサキのように、どうしようもない環境の中で暮らしている人が、どんな葛藤を抱え、どんな風にそれを乗り越えるのかということでもあった。

 映画の後半で、日頃の深酒がたたって父親は病に伏してしまう。サキは、父親に対しての怒りをかなり強くぶつけるし、父親が亡くなってからも、やっぱり父親の行動は自分を傷つけたのだとはっきりと言う。最初ののほほんとした印象と一変して、映画の後半はシリアスな印象になるが、過酷な状況にいたことを妙に肯定して乗り切るよりも、怒りをちゃんとあらわにしていることのほうが、フィクションとして誠実に思えた。

 一方で本作には、冒頭に「化け物は私だったのかもしれない」という原作と共通するモノローグがある。個人的には、「化け物」は父親であって、サキが自分も「化け物である」と背負うことはないとは思うのだが、トシフミが依存症であったことを考えると、そのセリフには説得力があるし、またサキ自身が父親の死を乗り越えるためには、そう思ったほうが「生きていける」のかもしれない。

 生前、困らせるようなことをした人、遺恨を残した人が突然なくなってしまうと、残された人は、そのことに向き合うために自分を責めたり肯定したりと逡巡しないといけないことがある。劇中、父親の同僚・木下(浜野謙太)が、ケンカをしたままでトシフミが他界したことを後悔しているシーンがあるのだが、サキも困った父親だからこそ、自分の感じていた怒りや許しについて、より考えないと乗り越えられないということがあるのだろう。

 サキは、父を許さない気持ちを持ったまま生きていくことのつらさを、ある部分では責め、ある部分では認め、行ったり来たりしながら、少しずつ軽くしていくのかもしれない。また、友人・ジュン(恒松祐里)や妹・フミが手を差し伸べてくれて、そしてその手を握ってもよいのだと思えるシーンがあり、決してその状況は八方ふさがりではないとわかるのだ。コミック原作と映画を観た感覚はかなり違うし、映画では映画独自の救いを求めるような結末にもなっているのだが、それは、解釈を重ねた結果なのではないだろうか。

 本作のトーンは一貫して、おとぎ話のような雰囲気があるのだが、その中に描かれている気持ちは徐々にリアリティを増してくる。アルコールや恋愛など様々な問題を乗り越えてゆくサキを演じた松本穂香は感情の変化を繊細に表現しているのだが、特に冒頭と最後の表情には注目してもらいたい。その違いから、またさまざまな解釈が生まれるのではないだろうか。 (文=西森路代)

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